時代を往けるなら過去へと思うが、平安は宮中のしきたりに窮屈を覚えるし江戸時代は身分の階級厳しい。平民であろうと自覚も、薬草中心の暮らしならと興味が深い。生きていく術のこと、どの時代であろうと困難は必須。
過去へも未来であろうと、命を与えてのことに抗わず逝く使命を全う也。小説に書かれての主役は、今を生きる躊躇しながらも賢明さ失わず悩むことあれど立ち止まらず。数々の物語、書き手に縁りしや読み方にも雲泥の差。
水上勉・土を喰らう日々は、文庫で読み映画を観に行き先日DVDを注文したもの。中井貴一・記憶にございませんがなく、金券内で納めるのに選んだ。時に思うが何故、洋画より邦画は価格安くないの?田舎は不便極まる。
仕事を辞めては、書籍は図書館利用と出費は押さえて久々のこと。檀ふみさんが出演され住職の娘として梅干しを持参する件、あの酸っぱさを想い祖母を偲んだ。画像の素晴らしさは云うに及ばず、あらゆるシーン胸が篤く。
創作の原点は、誰にも書かれない自らの言霊と意識が深い。うつくしいとの表現・風のさまや雨の降り方に、聴こえてくるもの也。ひらがなで綴り漢字での記載等、想いの丈が籠められ文章は感性しなやかに纏まりゆくかな。
個人の好む読物、異なるが所以に愉しみたく図書館へと出向く。童話や絵本は子どもだけが読む物でなく、ささくれた大人の心にこそ必要不可欠。新しい書籍、これまでに出版された書物にも心を捉えること多くあるとも。
我はロボット・南総里見八犬伝・森のかくれんぼう・誰も知らない小さい国・藁1本の革命・旧暦と暮らす・天空の舟・孤宿の人・星まんだら・百億の昼と千億の夜、限なくある中を何れもわたくしの宝物。
土を喰らう。水上勉。
自分で育てた野菜を自分の手で調理して食べる。
当たり前のことが最近はスーパーを喰らうです。(笑)
水耕栽培や電気の明かりで育てた物、野菜工場とか。
時代では片付けられない事だと思いますが時短や便利で形の整った真っ直ぐのキュウリや見た目のきれいな葉物。
考えないとですね。
有難うございます。
何でもを、あるのが当然と・・・
買い・使い・壊れ・棄てる、廃棄の山です。
公害になり、環境汚染。
星も観えない宙に、見た目だけの生活。
なんだかやるせない・・・
地球への感謝や、命を授かった祈りがなければ。
明日は、東日本大震災。
望日を過ぎ、長潮でした。
どんな慰霊のことばにも、失われた命は還りません。
訪問・応援、コメントありがとうございます。
タイムスリップするなら?? 原始時代が良いな??
回りを気にしなく??? ソンナ訳ないか~~
私は 今の時代に ついてくことにします~
最近は 回りを気にしない し 余り大勢の人の中に入るのが 疲れるし 書籍も 読む気が起きなく
見ると眠くなるんです~ 他人に迷惑かけず
今は 気楽な暮らし?と思ってるから 此の生活勝が 何時までも続いてくれることを祷のみ・・・・・
天命に逆らわず 仰せのトウリに 従います。
笑顔がとても素敵なアヤさん、長年の連れ添いには、言葉にならないご苦労も。
今を愉しめる気持ちになられたこと👏
そうよ❢
身体の若さこそありませんが、思慮分別はありますものね。
明日にお迎えが来ても、悔いないように過ごしましょう。
犬を見かけたら、ワンダフル。
猫なら、にゃんとも好きなように。
それが自らの逝き方です。
自分に正直・素直であれば閻魔さまは見過ごしてくれますわ。
四苦八苦はとっくに済みました。
これからは愉しみと、歓びだけです。
アヤさんの覚悟の程に🥂
命のあることへ感謝ですね。
いつも訪問してくださり、応援をありがとうございます。
アヤさんから、多くの励みを贈ってもらえ言葉にならぬ想いです。
>童話や絵本は子どもだけが読む物でなく、ささくれた大人の心にこそ必要不可欠。
本当にそうですね。
今も図書館に行くと、子どもの本のコーナーも眺めて、なつかしい本だけでなく
新しい本も借りて読んだりします。
蕗の下の神さま、そのタイトルで絵本があります。
佐藤さとる・誰も知らないは、最初の件だけ小学校の6年生の三学期に載っています。
実は、子どもの教科書で知りました。
そうして、とある同人誌の集まりに参加して、当人にお遭いして、吃驚致しました。
感激にぶっ倒れそうでしたよ。
夢見心地で、天に舞い上がっていました。
絵本、描くのは大人です。
画家の力量もありますね。
永遠の桃花、何度も繰り返して観ています。
マーク・チャオ、素敵♡
応援・訪問と、コメントありがとうございます。
そんな風に想像していたら楽しいです
養生の仕方が悪いと叱られながらも枇杷の葉を煎じて下さったりお酒につけたビワの葉を貼って下さったり物語が出来どうです
アナザンスターさんは江戸時代鬼平犯科帳に出てくる女性榊原伊織医師です。
本当は小川笙船らしいですが
きっと養生の仕方がわるくて叱られても枇杷はを煎じて飲ませてくださったりビワ葉を貼って下さったりするお医者様だったと
そんなこと考えていたら楽しくなりました
物語が出来るかもです
何処行ってたのかしらん、戻って来ました。
江戸時代の小石川療養所、八代将軍の取り組んだ庶民への施行ですね。
テレビでは綺麗で、医者も多く対応してですが、内情は不衛生だったようですね。
仲介人が、儲けを貪り甘い汁に群がる役職の者もいたようですね。
女医さんがいたのですね。
病を治すのも、治療して養生させるのも、医者ではなく本人で、手助けしかできないと。
その言葉に頬をぶたれました。
思いあがってはいけないのです。
慢心の心では、患者の気持ちには添えません。
苦しみも哀しみにも、本人を差し置いては、できないと思えました。
現代も江戸時代にも、治ろうとする気力が失せてしまったら、医者にはどうすることもできない。
身代わりお不動さまを、蒟蒻えんまさまに、ひたすらに祈った庶民の心が通じたのですね。
枇杷葉は、その想いを受け留めたものでしょう。
力丸ママさんのやさしい思いに、胸が篤くなります。
どうぞ波動が亘りますことと祈ります。
ありがとうございます。