玄関の白梅も、先日の風で散ってしまった。庭の方も、一片もない。紅梅の咲いているのは、残っているが、ここ2・3日だろう。我が家のは、李が満開です。白い可愛い花ですね。数年前に購入していたのですが、さっぱり花をつけませんでした。後から買ったのは、その年に実が4個生ったのですが、翌年枯れてしまい、今年は脇芽が出ているだけです。生協で取り扱う苗は、保障がないので困ります。
台所の出窓では、シクラメンが今を盛りと咲いている。ちょっと時期がずれているようですが、花に罪はありません。庭では、アネモネ・椿・ヒヤシンスが咲き乱れ、パンジーもビオラも蕾を膨らませています。花瓶に活けようと少し切りました。その匂いが濃厚です。枇杷葉の花芽の、結実していないのが、強風に煽られて落ちています。今年も、実付きが少ないようです。
お墓参りに行こうと、休みをもらっていた。昨夜は、雨と風と雷がおいかけっこでもしていたか。朝には雨も上がり天気だったが、黄砂が飛んで霞んでいる。桜も咲き始めた。気忙しいことですね。桜が満開になると、ざわつきと賑やかさがあって落ち着けない。暖かくなるのはいいが、季節の緩みがもたらす災害には、案外気がいかない。機能不十分にならないように、突発事項に気をつけましょう。
鶯が春の日を満喫しているのか、かなり囀り方がうまくなった。木々の枝をうれしそうに飛んでいる。山の三月というが、生き物にとっては大切な時期です。実家の白猫が姿を消した。誰も住まなくなった家屋には、生命の宿りが無い。そういうのを事の外、知っているんだね。餌だけ置いていればいい。という考えでは残酷だよ。快適で住み易い条件に、猫は入っていないんだ。野良でも生きていけるだろうが、不憫でならない。
今月は、年度末も終了ということで、春休みが待っています。孫は三年生と幼稚園の大きい組になります。この春休みには、二人で泊まりに来て、いろいろ手伝ってくれるそうですが、如何相成りますか。普段は、車での移動なので、電車に乗っての探検も面白そうね。歩いてみるのもいいかもしれないよ。自然を満喫、というものではないが、歩くという作業が思いの外、しんどいことだってのもわかるのはいいね。
心身ともに健康であることが、どれだけ幸せかは、そういったことがないと気づかない。基本的な危険さは、そういった能力の欠如なのかもしれない。学校までは、どんなに遠くても、あたりまえで歩けたから。今は、車がないと学校には行けない。これでは学力は愚か、体力も低下していくだろう。何だかすごく残念です。小さい頃は病気でもなければ、黄昏るまで外で遊んでいたものです。
季節によって違う空気の味、風の色、宇宙の変化に目がいかない。学校でしか機会がなかったり、図書館での知識だけでは、何等解ったことには程遠い。年寄りがいなくなった。自然の知識を知っている人が皆無です。快適で便利な生活がもたらした弊害です。時代の波に乗っていくことばかりがいいのではない。不便さがあってこそ、心は豊かになっていく。私は、今更ながら祖母に感謝している。
枇杷葉を一人でも多くの人に教えてあげ、その効果を解ってもらえれば、祖母も枇杷冥利に尽きるでしょう。祖母のしたくてもできなかったことを、孫の私がさせてもらえることには、深い意味はないかもしれない。けれども枇杷葉で、何人の命が助けられたことか。つくづくと輪廻転生、ということに想いを馳せる。
玄関の七分咲きの白梅。紅梅は未だ蕾です。
台所の出窓では、シクラメンが今を盛りと咲いている。ちょっと時期がずれているようですが、花に罪はありません。庭では、アネモネ・椿・ヒヤシンスが咲き乱れ、パンジーもビオラも蕾を膨らませています。花瓶に活けようと少し切りました。その匂いが濃厚です。枇杷葉の花芽の、結実していないのが、強風に煽られて落ちています。今年も、実付きが少ないようです。
お墓参りに行こうと、休みをもらっていた。昨夜は、雨と風と雷がおいかけっこでもしていたか。朝には雨も上がり天気だったが、黄砂が飛んで霞んでいる。桜も咲き始めた。気忙しいことですね。桜が満開になると、ざわつきと賑やかさがあって落ち着けない。暖かくなるのはいいが、季節の緩みがもたらす災害には、案外気がいかない。機能不十分にならないように、突発事項に気をつけましょう。
鶯が春の日を満喫しているのか、かなり囀り方がうまくなった。木々の枝をうれしそうに飛んでいる。山の三月というが、生き物にとっては大切な時期です。実家の白猫が姿を消した。誰も住まなくなった家屋には、生命の宿りが無い。そういうのを事の外、知っているんだね。餌だけ置いていればいい。という考えでは残酷だよ。快適で住み易い条件に、猫は入っていないんだ。野良でも生きていけるだろうが、不憫でならない。
今月は、年度末も終了ということで、春休みが待っています。孫は三年生と幼稚園の大きい組になります。この春休みには、二人で泊まりに来て、いろいろ手伝ってくれるそうですが、如何相成りますか。普段は、車での移動なので、電車に乗っての探検も面白そうね。歩いてみるのもいいかもしれないよ。自然を満喫、というものではないが、歩くという作業が思いの外、しんどいことだってのもわかるのはいいね。
心身ともに健康であることが、どれだけ幸せかは、そういったことがないと気づかない。基本的な危険さは、そういった能力の欠如なのかもしれない。学校までは、どんなに遠くても、あたりまえで歩けたから。今は、車がないと学校には行けない。これでは学力は愚か、体力も低下していくだろう。何だかすごく残念です。小さい頃は病気でもなければ、黄昏るまで外で遊んでいたものです。
季節によって違う空気の味、風の色、宇宙の変化に目がいかない。学校でしか機会がなかったり、図書館での知識だけでは、何等解ったことには程遠い。年寄りがいなくなった。自然の知識を知っている人が皆無です。快適で便利な生活がもたらした弊害です。時代の波に乗っていくことばかりがいいのではない。不便さがあってこそ、心は豊かになっていく。私は、今更ながら祖母に感謝している。
枇杷葉を一人でも多くの人に教えてあげ、その効果を解ってもらえれば、祖母も枇杷冥利に尽きるでしょう。祖母のしたくてもできなかったことを、孫の私がさせてもらえることには、深い意味はないかもしれない。けれども枇杷葉で、何人の命が助けられたことか。つくづくと輪廻転生、ということに想いを馳せる。
玄関の七分咲きの白梅。紅梅は未だ蕾です。