隔世の感あり
古い資料を整理していたところ、昔の会社の辞令が出て来た。
思わずへーえ~と言ってしまった。
父の辞令。
父は大正14年頃から名古屋で指物師として弟子を二人置いて商売をしていたが、昭和12年、日支事変が始まり、原木の輸入が出来なくなり廃業、父の妹婿が起こした軍需会社、三鷹航空に呼ばれて入社。
以来一介の職工から技師にまでなり、太平洋戦争終戦まで勤務していた。
その終戦の年の1月の月給の辞令だ。
当時の月給160円、これで家族7人が生活をしていたのだ。
当時母は病弱で家政婦を雇っていた。
月給160円でそんな生活が出来ていたのか想像もつかない。
これは、昭和12年に商売廃業、東京の三鷹航空入社のために東京に引っ越しをするときの父の友人たちからの餞別だ。
金額はに二十銭から二円位、大口でも二十円となっている。
この金額でも精一杯の餞別だったのだろう。
この時老骨6歳、この時もらった潜水艦のおもちゃの事はよく覚えている。
これはまた、昭和35年、妻が結婚後務めたカシオ計算機の辞令だ。
当時のカシオ計算機は会社が発足して間もない頃だった。
日月給と云うのは今で言う日給月給の事だろう。
給与は七千円。
当時の老骨の月給は一万五千円くらいだったと記憶している。
まさに隔世の感だ。