閑居シニアの写真館

リタイヤして30年、いろいろと写真を写し続けています。最近は身近な風景を見たまま気ままに写真を楽しんでいます。

夕暮れのご近所

2021-12-23 10:27:26 | 散歩道

日没後の外出

日暮れて間もない頃、所用で寒さに首をちじめながらの外出。

陽が落ちて間もない頃と云うのに人出はちらほら。

見慣れた昼間の景色とは違い寒々とした風景。

道行く人は首をちじめ背を丸くして歩いている。

パソコン教室には生徒さんらしい人影が映る。

隣のカフェに人影は無い。

美容室もがら空き。

我が家近くの焼き鳥屋さん、時間的に早いのか或いはコロナの影響で人が入らないのか客の姿は無い。

或るお宅の窓辺の猫が不信顔でこちらを見ている。

我が家のお向かいさんの玄関前にクリスマスツリーが輝いていた。

毎年この時期に飾られる。

我が家近所で唯一のクリスマスツリーだ。

明日はクリスマスイブ。

子供たちが小さい頃や、孫たちの小さい頃は我が家もクリスマスを楽しんだものだ。

現在は老骨夫婦のみ、淋しいクリスマス。

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夕暮れの散歩 

2021-12-17 09:58:33 | 散歩道

夕暮れの散歩道

比較的暖かい日の夕暮れ時、散歩に出る。

5月頃に畑が宅地化され、住宅建設が始まって以来約6か月、殆どの住宅が完成又は完成近くなっている。

完成した住宅には早くも住み始めた家庭がある。

モダンな建物の窓に夕焼けの景色が映る。

この住宅に変わった畑の道を隔てた前にある畑が何と整地されているではないか、ここも畑が無くなり住宅になってしまうのだろうか。

わずかに残った畑までもが無くなってしまう。

いよいよ此処もかと心淋しい思いだ。

一方廃屋と云うか住む人もなく荒れ放題になっている住宅も多々ある。庭には雑草が生い茂り、手が付けられないような状態の所もある。

何処かおかしい。

久しぶりに内藤神社に立ち寄る。

戸倉の町名の中に内藤神社とは何故?

はっきりとは知らないが、江戸時代にはこの辺りは新田開発が行われ、この辺りは内藤新田と云われていた。

その後、この辺りは戸倉新田に併合されて現在の地名は戸倉となっている。

神社だけは内藤新田に移設されること無く昔のままに据え置かれたために、戸倉の中に内藤神社が有ることになった。

祭礼の際には遥か離れた内藤の住民たちによって祭祀が執り行われると言う変わった神社なのだ。

鳥居脇には庚申塔の石碑。

社殿は如何にも歴史を感じる佇まいだ。

社殿から鳥居方向を見る。

内藤神社前の農家の庭先に野菜の無人販売所がある。

マーケットで販売されるものより新鮮、朝取り野菜の新鮮さと価格の安さが売り物だ。

市内の農家の多くはこのような販売所を設けている所が多く、市民にとっては有難い存在だ。

新道の建設現場近くの通行止めの柵の造りが面白い。

キティちゃんだろうか。

日が西空に沈んだ。

今日も一日、無事息災を感謝しながら帰途に付いた。

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早いクリスマス?

2021-11-17 10:00:29 | 散歩道

サンタのお出迎え

窪東公園を後に帰途に就いたが、途中ある農園の前に出た。

農園入り口にはサンタクロースがお出迎え。

輪切りにした木の幹にサンタの顔が描かれている。

一つ一つの顔は個性的で面白い。

入り口を入ると、大きな温室が5~6棟あり、中にはクリスマスから正月に向けた花々が栽培されていて、これからの出荷を待っている。

変わり種と云うか新種?のポインセチアが出荷を待っている。

野外では季節に添った草花が置かれ、客が自由に選んで買い求める事が出来る。

一寸した観光農園のようだ。

農園の向かい側には天まで届けとばかりに朝顔が伸び、今にも電柱に絡みつこうとしている。

根元では朝顔がまだ盛んに咲いていた。

11月半ばになっても朝顔が元気に咲いているとは驚きだった。

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恋ヶ窪樹林地

2021-11-10 09:55:29 | 散歩道

恋ヶ窪樹林地

広大な畑が残っている近くに恋ヶ窪樹林地と呼ばれる雑木林がある。

猫の額ほどの小さな雑木林だが、市が買い上げて管理している。

市内の残り少ない雑木林の一つだ。

林の中にはコンクリート製のテーブルと椅子が一組だけ置かれている。

市民の憩いの場となるようにとの配慮なのだろう。

林の中央部分に舗装された散策路?が作られている。

林の中のコナラ・クヌギ等の木にはこれらの木に害をなす害虫を防ぐためにビニール布が巻かれている。

姿見の池近辺のコナラ等の木にも同じような手当てがなされていた。

このように残り少ない自然を残すべく、その保護に真剣に取り組んでもらいたいものだ。

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青空に誘われて

2021-11-08 10:21:44 | 散歩道

近間の散歩

この所、秋晴れの良い天気が続く。

暖かい風に誘われて近間の散歩。

膝の具合は大分良くなった。

コロナ自粛一年以上、殆ど外出せず閉じこもりの生活が続いた。

この後遺症が膝や腰に現れたような気がする。

すこしでもそれを取り返そうと、膝をかばいながらの散歩だ。

5月頃に始まった農地からの住宅建設はいよいよ佳境に入ったと云うかほぼ完成に近くなって来ていた。これで我が家近くの農地は、後一か所を残してすべて住にな宅ってしまった。

ここは、府中方面より所沢方面に抜ける府中街道と並行して走る新道の建設現場だ。

道幅30メートルの新府中街道だ。

地元の反対を押し切って建設されている。

国分寺市を横断する形で、国分寺市が二分される感じになる事に住民は不安を感じている。

ここは府中街道沿いの農地だ。

我が家近辺に残る広大な農地だ。

畑半分位にネギが栽培されている。

国分寺は従来近郊農業の町として発展して来た。

今、目の前にある風景こそ国分寺の原風景なのだ。

この風景が何時までも続く様にと願うのは老骨だけだろうか。

これから作付けが行われる畑。

遠くには宅地化された所に家が立ち並んでいるのが見える。

この農地も何とか生き残ってくれることを願う。

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姿見の池より帰途

2021-11-06 10:21:56 | 散歩道

姿見の池より帰途に就く

姿見の池で小休止の後帰途に就いた。

途中で見たものを写して歩く。

まず目に付いたのはこの花。

花名は勿論不明。

大きな株状になっており、そこに無数の花が付いている。

畑の脇に茶の木が植えられていて、花が咲いていた。

お茶の木の花は今頃咲くのだろうか。

これは見事なピラカンサスの木だ。

赤い実がびっしり付いている。

何故かこの実は鳥たちが食べる事は無い。

毒性があるのだろうか。

同じ赤い実でもハナミズキなどの実はあっという間に食べつくされてしまう。

我が家のハナミズキの実も今は全くない。

夏ミカンだろうか。

まさに実りの秋。

我が家近くの畑。

玉蜀黍の収穫が終わって、木はそのまま立ち枯れている。

引き抜く事はしないのだろうか。

その隣の畑。

ジャガイモ畑だったが今は草ぼうぼうの原っぱだ。

この農家はこのまま何も作らずに年を越すのだろうか、気になる所だ。

彼方此方見ながら家に着いた。

膝の痛みはかすかに残る程度で、何とか無事に散歩を終える事が出来た。

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久しぶりの散歩2

2021-11-02 10:14:29 | 散歩道

秋の風物詩

久しぶりの国分寺公園だが季節の変わり目と云う事だろうか、風景にあまり変化はない。

所々に紅葉し、散り落ちる落ち葉が見られる程度だ。

桜の木の葉だろうか、紅葉した葉に虫食いの穴が開いている。

夏の間、親木を養う働きに専念し、秋ともなればその役目を終えて散り落ちて行く。

自然の営みは何処か我が人生にそのもののように思え、身につまされる感じだ。

秋の風物詩と云えばススキだろうか。

太陽の光に穂波を白く輝かせて風になびく様は美しい。

 

陽光に輝く穂波の輝きはたとえようもなく美しい。

何枚も何枚もシャッターを切り続けた。

ススキの撮影を最後に公園の散策を終え帰途に就いた。

帰りもバス。

何とか膝痛も悪化することなく、家に無事に帰り着いた。

微かに痛みは残るが多少歩く外出には堪えられそうな自信が付いた事がこの散歩の収穫だった。

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久しぶりの散歩1

2021-10-31 10:09:11 | 散歩道

久しぶりの散歩

コロナ緊急事態宣言は解除され、毎日の感染者も二桁台と少なくなって来ており、日常生活が徐々に戻って来つつある今日この頃、外出も楽しめると云う時になって、何の因果化か足腰の具合が悪くなり歩行困難に落ちいっていた。

しかし、鎮痛剤の効果か、ある程度回復に向かい、室内の歩行は何とかOKと云う事になって来た。

一昨日、思い切って外を歩いてみようと、何時もの散歩コース、国分寺公園コースを歩く事にした。

大事をとって、行き帰りはバスを使う事にし、歩くのは公園内だけと云う事にした。

久しぶりに見た公園は何と美しかった事か、心ワクワク浮き浮きと云ったところだった。

花壇にはあまり花は植えられておらず一寸寂しい感じだったが、それでも久しぶりの花壇すべての花が美しかった。

噴水池にはススキが秋の情景を遺憾なく発揮していた。

噴水もさる事ながら、人口の滝、水面の彩りが美しかった。

秋から冬への移り変わりの途中とあってまだ紅葉には早く、イチョウ並木もまだ青々としていた。

公園広場には陽だまりを楽しむ家族連れが大勢いた。

皆、日常を取り戻した楽しさにあふれているようだった。

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雨の晴れ間

2021-08-17 09:37:51 | 散歩道

雨の晴れ間の散歩

毎日うっとおしい日が続いている。

九州、近畿地方では猛烈な雨に襲われ、水害が広がっている。

幸いと云うか、関東地方では大雨になる事は無く先ず一安心。

コロナ緊急事態宣言もあるがこの天候の悪さで引きこもりが続いている。

そんな中、雨の晴れ間を縫って散歩に出た。

何日ぶりだろうか。

何時もの散歩コースではあるが何となく新鮮な気分だった。

引きこもりが多いためか足腰が弱っている感じで、歩き始めは何となくよたついて真っ直ぐに歩けなかったが、歩くにつれ平常に戻った?感じだった。

着いた所は姿見の池。

錦鯉が7~8匹群を作って悠然と泳いでいた。

この池には鯉などの魚を放流しないようにとの張り紙がしてあるにもかかわらず、錦鯉の数が増えている。

始めは2匹しかいなかった。

池を訪れる人たちにとっては目の保養になるかも知れないが、ビオトープを目指す管理者としては遺憾な事だろう。

鯉がいけない理由は、鯉はトンボ等の幼虫や水生昆虫などを食べてしまう事にあるようだ。

とは言え目の保養をして帰途に着く。

あるお宅の前で百合の花を見つけた。

赤い花は鬼百合かな?白い花は?植物の名に疎い老骨には分からない。

老骨にとって花名は関係なく、美しい花を見て心が癒されればそれで充分。

何時もそんな目で花たちを見ている。

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ひよどりと散歩

2021-07-14 11:50:31 | 散歩道

ヒヨドリ・散歩

毎日雨が降ったり止んだり、うっとおしい日が続く。

居間から何となく庭を見ていると、ヒヨドリらしき鳥が飛来した。

手元に置いてあった600ミリ付きカメラで写したが、二回シャッターを切っただけで、飛び去ってしまった。

最近野鳥が飛来するのは季節的にも珍しい。

十数年前までは雀の群れが飛来し賑やかだったが、現在では雀は一羽も見る事が出来ない。

我が家の周囲の雑木林や畑がすっかり姿を消し、住宅街になってしまった事が原因だろうと思う。

昨年までは我が家の庭にもメジロやシジュウカラの群れが飛来したものだが、現在ではほとんど見かけなくなってしまった。

 

雨の止み間、150~600ミリレンズ付きカメラを肩に家の周囲を歩く。

空には積乱雲に似た雲が沸き上がり、またまた雨が降り出しそうな気配。

600ミリでスナップ。

引っ張り効果で遠近感が圧縮され面白い効果を出している。

駅横の踏切周辺。

肉眼で見ても坂とは見えない踏切りが山のような坂に見える。

遠近感が圧縮されて遥か彼方のビルが正面に引き寄せられている。

この圧縮効果が面白い。

遥か遠くに咲くユリの花。

10m位の距離はあるだろう。

散歩のお供としてこのレンズは新しい視覚の写真を撮ることが出来るのではないかと期待している。

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