閑居シニアの写真館

リタイヤして30年、いろいろと写真を写し続けています。最近は身近な風景を見たまま気ままに写真を楽しんでいます。

新宿中央公園の春 1

2019-04-10 10:23:06 | 観光

新宿中央公園

ここ数年風邪を引いた事が無かったが、今年は3月18日頃に風邪にやられてしまった。

今年は桜を見る事が出来ないかも知れないと、半ばあきらめていたがようやく回復に向かい、4月4日新宿の病院での心臓の定期検査に初めて外出した。

この日は初夏を思わせる暖かい日だった。

例によって病院帰りに新宿中央公園によって見た。

桜は満開だった。

何とか今年も桜を見る事が出来たと嬉しかった。

公園の入り口に掛かる歩道橋の上から見た桜。

枝ぶりの良い美しい桜だ。

都庁バックの桜。

公園に来ると毎年の事ながら都庁バックの桜を写す。

都庁と桜を切り離して写せる場所を探すが見つからず、ごちゃごちゃとした写真になってしまう。

太田道灌と村娘の像の傍らのヤマブキの花も綺麗に咲いていた。

伝説の話そっくりの場面だ。

太田道灌が狩りに出たとき、にわか雨に遭い近くの農家に蓑を所望したところ、現れた少女が黙ってヤマブキの花を差し出した。

道灌には何のことやら分からなかった。

後にその意味を知り歌道に暗い自分を知り、歌を学んだと云う話が残っている。

その歌と云うのは「七重八重花は咲けどもヤマブキの実の(蓑)一つだに無きぞ悲しき」蓑をヤマブキの実に託した歌だった。

わが家は貧乏でお貸しするような蓑が一つもございませんと云う事を、歌を通じてやんわりと断ったのだ。

ヤマブキには実がならないつまり実の(蓑)一つもないと云う事だったのだ。

この像に関心を持つ人がいるのだろうかと何時も思う。

青くそびえるビルをバックの桜と新緑が綺麗だった。

花壇には菜の花が植えられ今満開。

桜と菜の花、正に春満開と云った暖かい風景だ。

ビルに反映するビルの影。

ビル群の密集する新宿ならではの風景だ。 

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ぶらり青梅宿 17

2019-04-08 09:37:40 | 観光

昔懐かしい商品

ショウーウインドウ式の展示がされていて、そこには昔懐かしい道具、医薬品、化粧品、遊び道具、事務用品等が陳列されていた。

子供の頃にあった家庭の常備薬、メンソレタームとか胃の薬などが懐かしい。

戦後まもなく発売されたスタートカメラ、ベークライト製の小型カメラだ。

ボルダ版と云うフイルムサイズ(35ミリフイルムを使用、24×24ミリサイズ)のカメラ。

豊島園に遊びに行った際、このカメラによる撮影会があり、このカメラを借りて写した写真が、一等入選した思い出がある。

この他、展示室を相当数撮影したが、どれも思い出深い物ばかりだった。

このような商品館は是非末永く存続してほしいものだ。

長々と青梅の町を散歩したが、新旧取り混ぜた青梅の町に心が癒された。

青梅の町がこれからも発展し続けることを祈りながら帰途に着いた。

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ぶらり青梅宿 16

2019-04-07 09:39:23 | 観光

映画看板その2

入り口の映画看板に感動したが、さらに奥に進むと、あるある大型の看板が彼方此方に展示されていた。

 

 

嵐寛寿郎の鞍馬天狗、高田浩吉(歌が歌える俳優)の女肌地獄。懐かしい。

上を見ると東千代之介の里見八犬伝。

この映画は確か何篇かに分かれていたような記憶がある。

市川歌右衛門の千両獅子、市川歌右衛門は当時時代劇の王様だった。

「旗本退屈男」の天下御免の向こう傷が売り物の旗本役は正にうってつけの役柄だった。

原節子、老骨の大ファンだった。

美しい容貌もさる事ながら、鼻に掛かったような声がたまらない魅力だった。

当時の写真家で松島進と云う作家がいた。

主に映画俳優のポートレートを撮影していたが、特に原節子の写真が魅力的だった。

この写真を見て自分もこんな写真を写す事が出来る写真家になりたいと憧れていたものだ。

ある部屋の天井近くには大型の映画看板がずらりと並んでいた。

若くして亡くなった赤木圭一郎の「紅の拳銃」

赤木圭一郎は確かゴーカートの事故により無くなったと云う記憶がある。(間違っているかも知れない)

初代水戸黄門の月形龍之介、若き頃の中村錦之助と東千代之介の格さん助さん、完全懲悪の面白さはその後何代も続き、テレビドラマにも発展していった。

小津安二郎監督の名作「東京物語」原節子、笠智衆の親子の物語だ。

この映画は3~4回は見ているだろう。

「キューポラのある街」若き頃の吉永小百合の出演。

この頃の吉永小百合は「小百合スト」と呼ばれるファンが日本全国にあふれていた。

これだけ多くの看板を見る事が出来て本当に嬉しかった。

映画好きを自認する老骨の映画漬けだった若き日を思い出す事が出来、懐かしかった。

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ぶらり青梅宿 15

2019-04-06 09:43:03 | 観光

映画の看板

カメラ等が展示されているウインドウの上には、何と映画の看板・・・・

と云っても小型のものだが数点掛かっていた。

このメトロ商品館で映画の看板を見る事が出来たのは意外な喜びだった。

 

何とこのメトロ商品館で映画の看板が見られるとは・・・嬉しかった!

 

とは無き往年の名優たちのあたり役のポスターだ。

市川雷蔵、片岡千恵蔵、東千代之介、渥美 清、勝新太郎、美空ひばりと懐かしい顔ぶれだ。

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ぶらり青梅宿 14

2019-04-05 09:33:22 | 観光

昭和tレトロ商品博物館

赤塚不二夫会館の隣に昭和レトロ商品博物館がある。

ここには昭和の時代の懐かしい商品が展示されている。

入り口を入るとすぐに懐かしいカメラが置いてあった。

8ミリフイルム映写機や16ミリフイルムカメラとフイルム。

昔、愛用したものだ。

雑然と置かれていたのが少々悲しかった。

蛇腹のカメラ、初期の一眼レフカメラ、ニコン等がある。

皆、思い出が詰まった懐かしいカメラたちだ。

二眼レフ、ローライコード、蛇腹のフジカシックス、皆,昔使ったカメラだ。

ハーフサイズのオリンパスペン、同じく当時画期的だったハーフサイズの一眼レフペンF。

老骨の愛用のカメラだった。

ペンFは現在でも人気のカメラだ。

老骨は現在もペンFの後裔デジタルカメラペンFを愛用している。

その他、昔懐かしいおもちゃがごちゃごちゃと並べられていた。

駄菓子屋さんの店が再現されていた。

子供の頃、5銭玉を握ってこのような駄菓子屋に通ったことが昨日のように蘇ってくる。

駄菓子屋の店先にガラス瓶に入ったタバコ「ゴールデンバット」が置いてあった。タバコを吸わない自分には分からないが、現在でも市販しているのだろうか。

昭和の初期には「ゴールデンバット」は庶民のたばことして愛飲されていた。

太平洋戦争勃発後、敵性語は駄目と云う事で、「金鵄」と云う名前になった。

昭和十五年、紀元二千六百年には老骨は小学校3年生だった。

その時歌われた歌がある。

「金鵄輝く日本(ひのもと)の、栄えある光身に受けて、今こそ祝えこの朝(あした)、紀元は二千六百年、ああ一億の胸はなる」と云う歌だ。

当時この替え歌がはやった。

「金鵄上がって15銭、栄えある光30銭、今こそ上がるたばこの値、紀元は二千六百年、ああ一億の金は減る」この年タバコの値段が一斉に上がった事への皮肉を込めた歌だった。

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ぶらり青梅宿 13

2019-04-03 10:14:41 | 観光

色々な展示物

撮影OKの場所は漫画の登場人物のキャラクターとかグッズの展示が殆どだった。

中にはこのように猫がご神体の神社があった。

これも猫町の宣伝物なのかも知れない。

赤塚不二夫の全作品が展示された部屋もあった。

色々な展示を見る事で、今まで知らなかった赤塚不二夫の作品の魅力が分かったような気がする。

漫画本を全く読まなかったことに何となく時代に取り残されたような気分になった。

漫画本を読まなかったことにつながるのだが、映画好きを自負する自分だが、アニメ映画は見た事が無い。

今迄に見たものは「崖の上のポニョ」「千と千尋の神隠し」位のものだ。

これからは努めてアニメ映もを見る事にしよう。

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ぶらり青梅宿 11

2019-03-31 10:12:45 | 観光

青梅赤塚不二夫会館

青梅には昭和幻燈館、赤塚不二夫会館、昭和レトロ商品博物館の三館がある。

残りの2館のうちの一館、青梅赤塚不二夫会館に入る。

 

青梅赤塚不二夫会館入り口上にはまだ映画の看板が掛けられてた。

赤塚不二夫は「天才バカボン」「おそまつ松くん」「ひみつのアッコちゃん」等でお馴染みの漫画作家だ。

「おそ松くん」?のシエーがはやった時期があった。

長男が5歳ころだったろうか、家族の前で「シエー」のポーズをして笑わせていたことが記憶に新しい。

老骨は実は漫画なる物を見た事が無い。

子供の頃何故か父親から漫画を読むことを厳禁されていた。

当時の漫画は、「のらくろ一等兵」とか「冒険ダン吉」「タンク・タンクロー」などが人気漫画だった。

父親に見つからないように隠れて読んだものだが、成人するにしたがって、漫画を読む事は全くなくなってしまった。

従って近代の漫画事情については恥ずかしながら全く無知なのだ。「天才バカモン」と「おそ松くん」の区別さえつかないのだ。(笑)

そんな老骨が見たこの会館は、初めて見る漫画の世界に唖然とするばかりだった。

 

この館内は撮影禁止の所が多かった。

撮影禁止の部屋の展示物は殆どが原画の展示だった。

その原画の美しいことには感心させられた。

撮影が出来るところは、アップしている写真のような所ばかりだが、興味のある人たちにとっては、面白いのだろうと思う。

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ぶらり青梅宿 11

2019-03-29 10:04:17 | 観光

昭和幻燈館 3

青梅宿幻想として青梅猫町通りなるジオラマ?が作られていた。

猫町の夜景で実に精巧に作られている

映画の看板など実物に近い出来栄えだ。

酒場の看板が「雀」「蜥蜴」「鼠」料理とあり、店名が「ねずみ料理」如何にも猫町らしい。

上から見ると奥行きがあって面白い。

これは普通の民家のようだ。

少女が赤子を負ぶっている様子はが昭和の初め老骨の少年時代を思いおこさせさせる。

長女が妹を背負って遊んだり、買い物に行っていた。

老骨も弟や妹をを背負って近くの公園で遊んだ。

当時は子供が多く、上の者が下の者の面倒を見るのが普通だった。

今は遠い昔の話になってしまった。

青梅キネマなる映画館。

昔の映画館の感じが良く出ている。

老骨の少年時代は映画とは云わず活動写真と云っていた。

母が映画好きで上映映画が変わる度に見ていた。

その母に連れられて映画は良く見た。

その影響かすっかり映画好き人間になってしまった。

このジオラマ?はすべて夜景になっている。

夜景の方が情緒あり見る者を引き付ける。

猫町情緒をたっぷり味わって昭和幻燈館を後にした。

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ぶらり青梅宿 10

2019-03-28 09:43:18 | 観光

昭和幻燈館 2

入館料を払って入った展示室はすべて猫に関する展示物だった。

薄暗い展示室で、展示物のみに照明がされていると云った状況で撮影は結構面倒だった。

色々な猫の置物、皆手作りのようだ。

一番下の写真のようなポスターもあった。

「仁丹」が「猫丹「雪印牛乳」が「猫印牛乳」「太猫ゴム長」「だるま猫」等々色々な商品名をもじった所が面白い。

初詣だろうか、さい銭箱の向こうで手を合わせる猫たち。

お祭りの屋台でのお囃子のようだ。

縁先で憩う宗匠頭巾の人と老人。奥に蓄音機を回す猫がいる憩いのひと時だろう。

昭和の初め頃の様子を連想させる。

子供の頃、毎日が待ちどおしかった紙芝居。

懐かしい場面だ。

映画「東京物語」の一コマに似ている画面だ。

このような絵がずらりと並んでいて、昔の良き時代を懐かしむ事が出来る。

 

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ぶらり青梅宿 9

2019-03-26 09:54:50 | 観光

昭和幻燈館へ

住吉神社を後にして昭和幻燈館に向かう。

昭和幻燈とはいかにも昔の感じがする。

幻燈は現在のスライドの事だ。

老骨にとっては懐かしい言葉だ。

 

昭和幻燈館に行く途中にこんなショーウインドウがあった。

店は美容院のようだった。

猫のポスターが8点ほどかけられていたが、絵は美容院と関係ないような絵ばかりだ。

どんな関係でショーウインドーにこのような絵を掛けているのだろうか。

昭和幻燈館の前に出る。

正面左にはやはり猫の看板。

正面から見ると大きな猫が入り口に立っている。

この猫の後ろと二階の庇の所には大きな映画の看板がかかっていたが撤去されていた。

幻燈館までが猫館に変わってしまったのだろうかと、思いつつ館内に入った。

入り口を入るとすぐ右上に「晩秋」の映画看板がかかっていた。

嬉しかったあ~ 映画看板はまだ生きていると叫びたくなるような感動だった。

狭い室内に6~7点の看板がかかっていた。

「晩秋」「椿三十郎」「七つの顔の男」どれも昔見た映画だ。

原節子、笠智衆、三船敏郎、「片岡千恵蔵」皆故人になったが懐かしい顔ぶれだ。

映画看板に気をとられていたが、館内を見ると往年のスターたちのブロマイドが売られていた。

ブロマイドの他はすべて猫に関する置物や土産品でいっぱいだった。

この部屋の奥に色々な展示物があり、有料になっていた。

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