「今年もラッキョウが出来たよ、取りにおいで」と言われ、園田の伯父宅へ。ここは祖父母の家でもあったので懐かしい。田舎のない人間としては唯一そんな風情をとどめている家だ。ラッキョウの大きな瓶を頂くと共に、ちょっと一杯とギネスの黒ビールが出てきて、次々に伯母の料理が登場した。そもそも洋酒やパイプ、昔から珈琲をミルで挽いたりと何かと凝り性の伯父だ、この伯父に鍛えられたのか、褒められて腕を上げたのか、実に手早く、しかもその味は家庭レベルではない。「あまからアベニュー」をやっていた頃、伯母はしょっちゅう加藤敏彦氏の料理を作って寸評をもらったものだ。
鱧揚げ出し大葉添え。鱧皮と胡瓜のざくざく。鱧骨の唐揚…やっぱり関西の夏は鱧だんなぁ。梅雨の水を飲んで鱧は美味しくなるというが、三条さかい萬の主人に言わせると、暑くなって人間の方が滋養に富む鱧を美味しく感じるようになるのだとのこと。鱧皮というのも大阪のすたりもの、始末の最たるものだが、蒲鉾作りが盛んだった昔と違って、なかなか手に入りにくいものになりつつある。
いか雲丹。愛媛で漁師がごく小規模に作っている塩雲丹をさっと和えただけ。掛け値なしで美味。男の浪漫、ポテトサラダは形を残したジャガイモ、ピリ辛ソーセージが刻んで入り、マヨネーズとアンチョビで味をつけ、辛子を思い切って利かしてある。これがよく出来ていて、北新地のバーで出てきてもおかしくない。一体何処で覚えたんだろう。ゴーヤのきんぴらも面白い。イノシン酸のうまみ調味料を加えるのがコツらしい。野菜はその多くが自家製。伯母が丹精込めて作ったものだ。伯父はただ食べるだけ。これが老人が作った料理。う~む…市井には恐ろしい人が潜っているのだ。
この伯父というのが、戦後シベリア鉄道で労働させられながら、バンドを組んでマンドリンを弾いていたという変わり者である。その血はボクにも流れている。