あれから1年たちました。
TVでは各局とも、大震災関係の番組ばかり。
常々思うけど、災害に直面した時は、自分の頭と目で判断することが大事。
やみくもに徒党を組まない、デマを信じない、流されない。
これが生き残れるかどうかを大きく分けるような気がします。
あの日、大阪ミナミの喫茶店で、某料亭主人と打ち合わせの真っ最中。
濃い内容に、トイレに立った際、頭がクラッと来たと思ったら、後で地震だったと知った。
仙台の兄から、「宮城震度7」のメールが入り、そんなもん阪神淡路に比べたら…なんて一笑にふし、
宮城ナナなんて女優みたいやなぁ・・・と軽口叩いて返した。
あとで思ったらテニスプレイヤーにいたが、徐々になんと軽率だったかと、青ざめる結果に。
思えば、森達也のドキュメンタリーではないけど、うしろめたさを感じるばかり。
友だちの陸前高田にパンツを送る援助に少しばかり協力したぐらいで、
自ら汗かいて、現場に脚を運んだわけでもなく、なんだか立場がありません。
思えば神戸は3日後に入った訳ですから、やはりみちのく、遠い。
そんなことは言い訳にもなりゃしませんがね。
関西はそのままいてくれたらいいの、こんな時こそ関西が頑張って…なんて声もありましたが、
相変わらずの閉塞感の中、カラ元気出してみたって、無力感ばかりが募ります。
政府の対応やその後の原発を見ても、この国を治めるひとってのは
一度たりとも、国民の方を向いたり寄り添ったことがないのではないか。
国民の代表みたいなことを言うのは、選挙の時ばかりなり。
何百年もそれでやってきてしまった、国民の方もお上意識ばかり。 くそったれ。
今宵は死者のみなさんのことを思い、神戸の震災の経験上、
やっぱり温かい白いご飯でしょう。 腹へったでしょうね、みなさん。
岩手花巻の宮沢賢治は「雨ニモマケズ」で、一日4合の玄米を食べ・・・と記しましたが、
昔の人、特に昭和初期の東北の冷害が頻発した寒村では、ご飯から栄養をとるよかなかった。
いや、麦めし食えればまだましだったかもしれない。
三陸の米どころ、み~んな津波かぶっちまって。
寒い寒い、1月17日の神戸よりも寒いだろう、東北の3月11日。
被災地では温かいごはんが、どれだけほっとさせてくれたか。
次に生まれ変わってきたら、きっと腹いっぱい食って下さいよ~。