先日、出版から わずか二週間で増版決定した著書、『邂逅(かいこう)』を読んだ。完全ノンフィクションで、最初の場面は自分にとっても馴染みの深い介護現場。そこでで余命わずかな死期を悟った利用者と施設管理者である著者の会話から物語は始まる。
http://goodbook.jp/newpage30.html
↑↑ 上記にて 著書の「立ち読み」が出来ます。
イヤな予感は的中した。
容態が急変した彼は、私が訪れた翌日の8月27日、突然逝ってしまったのだ。(著:御厨 まさと 『邂逅(かいこう)』goodbook出版2014年p48 8行~)
ここまで拝読し、私は思い出していた… 今から3年半前に起こった、ある冬の日の出来事を...
名前の由来「小米(こよね)さん」
「小さい米、と書いて、こよね、って言うんですよ、私の名前」
今から一年以上前。あの日も寒くて、「ワタ入りの ちゃんちゃんこが手放せない」と言いながら笑った「小米さん」
入浴にお誘いすると、「今日は寒いからやめとこうかねぇ…」と最初は渋る。でも、着替えの準備を手伝うと、最後は重い腰を上げたものだった。
寒い冬が苦手、という「こよねさん」は必ずお風呂は一番最後に入る、と決めていた。最後なら、自分のタオルを湯船につけて、ゆったりと温まる事が出来るから、という理由からだ。
ここはグループホーム。全介助が必要な人が殆どな中、一年前の「こよねさん」は自分の足で杖を使ってフロア、トイレ、居室内を自由に行き来していた。段々と片手引きでないと、歩行も困難になっていったものの、他の利用者さんと比べたら、一番元気だった。入浴も御自分で服を脱ぎ着し、背中以外は御自分で洗う。殆ど見守りだけで良かったため、自分の出る幕はなかったが、そんな「こよねさん」との入浴中、一番の楽しみは昔話に耳を傾けることだった。
「私の名前ね、小さい頃から よね子、よね子、って呼ばれてきたから、自分も家族も米子だと信じて疑わなかったのよ。それがねぇ…」
「大阪から九州へ引っ越してきたとき、先生が私を **こよねさんですって紹介してね。先生、私は米子です、こよね、じゃありませんって言ったの。そしたら書類を見せてくれて、小さい米って書いてあったのよ。信じられる? 同じクラスの男の子達みんなに笑われて、からかわれたわよ」
大阪生まれの「こよねさん」 偶然にも生まれた時から「米」と縁があったらしい。御両親は間違いなく 米の子と書き、「よねこ」と名付け、役所に届けたそうなのだがー。
「昔の役所はいい加減でねぇ。米子が 小米、と間違えられて、戸籍に記載されていたのよ! それに気がついたのが、転校先の小学校でよ。これが私の名前の由来よ」
湯船にゆったりと浸かり、タオルで時折、肩をこする。
「昔は自宅にも風呂がなくて、御近所の家の人が入った後に入れさせて頂いた、もらい風呂だったけど。最後に風呂に入るのが居心地いいのは、そのためかねぇ…」
肩にお湯をそっとかけると、「あ、いいよ。手がだるかでしょ?」と、こういう時は、九州弁だった。
大阪生まれ、大阪育ちらしく、ユーモアのセンスも抜群。認知度は進み、30分前にお出かけした事実もすっかり忘れてしまっても、少女時代を過ごした大阪のことや、九州へ引っ越してきた時のことは鮮明に記憶されており、新しいスタッフが入ると決まって、「名前の由来」を独特の言い回しで面白く語ってくれた。
「米子(よねこ)さん、、、が、小米(こよね)さん、にねぇ…」
そんな小米さん。今、聞いたことはすぐに忘れても、氷川きよしの顔だけは忘れない。スタッフに教えてもらった『イケメン』という新語も何故だか記憶に刻まれていた。
「小米さん、今日も氷川きよしが出演するよ!」と声をかけると、いそいそとフロアへ出てこようとする。片手を差し出すと、嬉しそうに手を繋ぎ、そのままソファに腰かけてテレビを見いっていた。
「イケメン、イケメン!」
と、にやつきながらー。
そんな小米さんが23日早朝4時に旅立ったそうだ。
最後は苦しまず、安らかに逝ったらしい。
棺には氷川きよしのカレンダー。
古都、京都の町屋に宿泊中、早朝に喉が渇いて目が覚めた。
(5時か…。まだ、早いな。それにしても寒い)
身ぶるいした後、静かに目を閉じたっけ。
もしかしたら あの時、大阪生まれの小米さんが、あちらの世界へ行く前に、関西に立ち寄って、最後の挨拶回りをしていたのかもしれない。
小米さん、93年の生涯。
最後の一年を共に歩けて良かった…。
御冥福をお祈り致します。
すず
追記:
長寿番組、「徹子の部屋」では、毎年この時期、今年逝った方々のVTR を流し、その人をしのぶらしい。全員に公開のブログに書くのは難しいかと思われましたので、1日のみ限定公開させて頂きます。2年前、私の祖父は90歳で12月31日に他界しました。年の暮れ~新年を迎える前に、静かに祈りたいと思います。合掌。
今から一年以上前。あの日も寒くて、「ワタ入りの ちゃんちゃんこが手放せない」と言いながら笑った「小米さん」
入浴にお誘いすると、「今日は寒いからやめとこうかねぇ…」と最初は渋る。でも、着替えの準備を手伝うと、最後は重い腰を上げたものだった。
寒い冬が苦手、という「こよねさん」は必ずお風呂は一番最後に入る、と決めていた。最後なら、自分のタオルを湯船につけて、ゆったりと温まる事が出来るから、という理由からだ。
ここはグループホーム。全介助が必要な人が殆どな中、一年前の「こよねさん」は自分の足で杖を使ってフロア、トイレ、居室内を自由に行き来していた。段々と片手引きでないと、歩行も困難になっていったものの、他の利用者さんと比べたら、一番元気だった。入浴も御自分で服を脱ぎ着し、背中以外は御自分で洗う。殆ど見守りだけで良かったため、自分の出る幕はなかったが、そんな「こよねさん」との入浴中、一番の楽しみは昔話に耳を傾けることだった。
「私の名前ね、小さい頃から よね子、よね子、って呼ばれてきたから、自分も家族も米子だと信じて疑わなかったのよ。それがねぇ…」
「大阪から九州へ引っ越してきたとき、先生が私を **こよねさんですって紹介してね。先生、私は米子です、こよね、じゃありませんって言ったの。そしたら書類を見せてくれて、小さい米って書いてあったのよ。信じられる? 同じクラスの男の子達みんなに笑われて、からかわれたわよ」
大阪生まれの「こよねさん」 偶然にも生まれた時から「米」と縁があったらしい。御両親は間違いなく 米の子と書き、「よねこ」と名付け、役所に届けたそうなのだがー。
「昔の役所はいい加減でねぇ。米子が 小米、と間違えられて、戸籍に記載されていたのよ! それに気がついたのが、転校先の小学校でよ。これが私の名前の由来よ」
湯船にゆったりと浸かり、タオルで時折、肩をこする。
「昔は自宅にも風呂がなくて、御近所の家の人が入った後に入れさせて頂いた、もらい風呂だったけど。最後に風呂に入るのが居心地いいのは、そのためかねぇ…」
肩にお湯をそっとかけると、「あ、いいよ。手がだるかでしょ?」と、こういう時は、九州弁だった。
大阪生まれ、大阪育ちらしく、ユーモアのセンスも抜群。認知度は進み、30分前にお出かけした事実もすっかり忘れてしまっても、少女時代を過ごした大阪のことや、九州へ引っ越してきた時のことは鮮明に記憶されており、新しいスタッフが入ると決まって、「名前の由来」を独特の言い回しで面白く語ってくれた。
「米子(よねこ)さん、、、が、小米(こよね)さん、にねぇ…」
そんな小米さん。今、聞いたことはすぐに忘れても、氷川きよしの顔だけは忘れない。スタッフに教えてもらった『イケメン』という新語も何故だか記憶に刻まれていた。
「小米さん、今日も氷川きよしが出演するよ!」と声をかけると、いそいそとフロアへ出てこようとする。片手を差し出すと、嬉しそうに手を繋ぎ、そのままソファに腰かけてテレビを見いっていた。
「イケメン、イケメン!」
と、にやつきながらー。
そんな小米さんが23日早朝4時に旅立ったそうだ。
最後は苦しまず、安らかに逝ったらしい。
棺には氷川きよしのカレンダー。
古都、京都の町屋に宿泊中、早朝に喉が渇いて目が覚めた。
(5時か…。まだ、早いな。それにしても寒い)
身ぶるいした後、静かに目を閉じたっけ。
もしかしたら あの時、大阪生まれの小米さんが、あちらの世界へ行く前に、関西に立ち寄って、最後の挨拶回りをしていたのかもしれない。
小米さん、93年の生涯。
最後の一年を共に歩けて良かった…。
御冥福をお祈り致します。
すず
追記:
長寿番組、「徹子の部屋」では、毎年この時期、今年逝った方々のVTR を流し、その人をしのぶらしい。全員に公開のブログに書くのは難しいかと思われましたので、1日のみ限定公開させて頂きます。2年前、私の祖父は90歳で12月31日に他界しました。年の暮れ~新年を迎える前に、静かに祈りたいと思います。合掌。
2011年12月「とある街のとあるスーパー」ブログ記事より引用
著:御厨 まさと 『邂逅(かいこう)』 を読んで~
今現在も、ちびちびとコーヒーを味わうように、ゆっくり時間をかけて読んでいる『珈琲千話』を除いては、goodbook出版の新刊をここ最近、購入していなかった。正直なところ、興味をそそられて購入するきっかけとなったのは、久々に覗いた編集長の「きまぐれ日記」にて 早くも初版が品切れする勢いで注文が殺到している、という文面を読んだからだ。 新聞、雑誌、TVやラジオといったメディアを使った大々的な新刊PRを全くしない出版社なので、作者に求められるのは、作者が自ら動くこと。 つまりは自身が広告塔となり、営業し、本を売ること! なのだ。 だが、他人の本を宣伝する勇気はあったとしても、自分の著書を売り込むなんて、大それたこと、顔を合わせたface to face では、まず、出来っこない。ただ、自分が読者という立場から思うことは、goodbookから出版される本に関しては、「一冊目を購入し、面白かったら宣伝してもらわなくとも、新刊が出たら必ず買う」ということだ。まだ全国的に名が売れていない著者に対して敬意を払いつつ応援し、販売協力する、という意味も込めて ただ、申し訳ないけれど、例え好きな作家であっても売れっ子作家の本は買わずに図書館で借りて読む傾向が強い。常に手元に置いておいて、何かのとき、さっと手にとって読み返したいと願う本以外は…。
「邂逅(かいこう」ってどんな意味なのだろう? 早速辞書で調べてみる。電子辞書リストの2ページ目にようやく見つけた。「思いがけなくであうこと。めぐりあうこと。三〇年ぶりのー」とある。
日本の様に人口密度が高い国で暮らしていると、なかなか赤の他人と視線を合わせようとはしない。たとえば満員電車の中で。或いは食堂で。群衆の中にあっては、なるべく事なきを得てその場をやり過ごそうとすることが多い。ぎゅうぎゅう詰めのエレベーターの中で、たまたま居合わせた人達に自ら声をかけて会話をしようとしないことも(国内では!!) その一方で、オーストラリアでエレベーターに乗ると、必ず見知らぬ人が声を掛けてきたものだ。「君は法学部の学生? いや、違う? そうか、成程…。 ところで、プリンセスAIKOが生まれたそうだけど、日本語でAIKOとはどういう意味があるの?」 法廷を見学し、帰りのエレベーターでの会話。 先程までモーツアルトのようなカツラを頭にのせ、威厳ある裁判長が突然 気さくな人として自分の目の前にいた。
「プリンセスAIKOの意味は愛か…AIKOのAIは日本語で愛。なんて素晴らしい!」
出会いは一瞬。 たまたま声を掛けられたことで、エレベーターを降りた後も数分程会話が弾み、記憶の引き出しにしまわれている。 懐かしいオーストラリアの太陽を浴びた乾いた草の香と共に。
自分という存在が誰かの心に記憶として残る、それは必ずしも一緒に過ごした時間の長さじゃない。 邂逅(かいこう)に登場する利用者と著者が過ごした時間は、出会ってからわずか1カ月未満。しかも、その後、彼は緊急搬送され、退所となったため、著者はホスピスを訪ねていくことになる。 わずか 数える程の面会が 本として この世に残されるこのにより、今後も ずっと多くの人々の心に留まるとしたら。しかも、自ら命を断とうとしている人が思いとどまったとしたらー 思いがけない出会いも命を手繰り寄せることで、必然となる。
いじめを受けた体験を本にして残しておきたい。生きたくても死期が迫り、生きられない自分が最後に この世でやり遂げたいこと。 それが 今、いじめで悩んでいる人が思いとどまり生きる選択をする、そんな本を残すことだった。 その夢を実現すべく協力した著者と、著者のこれまでの人生の振り返りが分かりやすく無駄なく語られていたので、一気に読むことが出来た。 そして本を読み終えた私が一番に思い出した笑顔は... 湯船に浸かって自分の名前の由来について語る小米(こよね)さんだった。
すべての出会いは必然だと思う。インドネシア、バリ国際空港で、「日本に帰国して、最初の梅干しを食べた時は、自分を思い出して!」と笑ったフランス人のお兄さんも。 「これ、日本のチェリーだよ」というと口いっぱいに梅干しを頬張って、「騙されたぁ~」と梅干のような顔になったトンガ人のケプも。 混雑した中華街のフードコートで、空席が無く合い席した際、黙っているのも気まずくて、話しかけたら意気投合!! 食事を終えて、そのまま一緒にショッピングし、はたまた帰国後も文通することになった香港出身の彼女も…。
ほんの少しの勇気を出して、アイコンタクトをとるだけで、群衆の中の一人が特別な人になる。 忘れかけていた何かを思い起こさせてくれる著書だった。
他にも ロックミュージシャン、CHARさんやPANTAさんとの運命的な出会いについても著書の中で紹介されている。
PANTAさんとの出会いも、入居者さんとの出会いも。
思いがけなく出会ったとしても それはきっと必然だったんだろうな。