日々のあれこれ

現在は仕事に関わること以外の日々の「あれこれ」を綴っております♪
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文鳥・夢十夜 著:夏目漱石

2018-04-03 22:07:02 | 読書

 漱石の短編集、或は随筆集です。英国留学時代の日記や「吾輩は猫である」のモデルになったであろう猫が死期を迎えるまでの話も含まれており、大変興味深く読みました。私が小学3年生の頃から高校2年生の冬、2月の終わりまで一緒だった白猫の最期と重なりました。弱っていく様子が、ほぼ重なるのです。最初は一点を見つめていた目が、段々と焦点が合わなくなり…食べたものを吐いてしまう。うちの猫は亡くなる前日、一時的に食欲が戻り、私の手からミルクを飲みました。「もしかしたら、持ち直すかも!」と本気で喜びました。最後に元気な姿を見せたかったのかな、翌日、息を引き取りました。私達も漱石と同じようにお墓を作りました。花を飾り、好物の切り身もご飯入れの器に入れました。その内、外へは出ず、棚の上にお供え物を置くようになった所まで漱石一家と同じだなんて!

 自ら率先して渡英した訳ではなかったと聞いている漱石の英国留学。一人、部屋に籠って書物ばかり読んでいた、と何処かで聞いたことがあったのですが、この本には何と! 漱石にとって最初の下宿先についての記述があったのです。英国も現在の豪州と同じく有料の下宿(homestay)が基本です。家主(ホストマザー)は、生活をするために外国人を住まわせることとなった経緯を漱石に直接、話して聞かせます。更にはそこで出会った人々、日本人の知り合いについても触れられているのです! 豪州が南半球の太陽を連想させるとすれば、漱石が寒さや霧の中で、「さて、どうやって(下宿先へ)帰るか」と呟いている通り、英国での生活に関する記述はどれも霧の都を思わせます。重く湿った空気まで文面を通し、読者へ伝わってきそうです。特にKくんを訪ね、元下宿先を訪ねた場面…。一体、漱石の知人に何が起こったのか? わざわざ訪ねておいて、2階へ上がらず、知人に会わずに帰ってしまうのか。結局、彼は死んだのか? 何故、ここで筆を止めたの? 実はまだ私、最後延べージまで読み終わっていません。だけど ちょっとだけでも感じたままをここに記しておきたくなりました。

 表題作の「文鳥」を読み、すっかり忘れていたのに思い出してしまったことが幾つもありました。主人公である漱石は、後輩作家、鈴木三重吉に勧められ、文鳥を飼うことになります。懐かしい思い出、辛かった思い出。父が職場からもらってきた産毛もはえていないひな鳥を飼う側となった自分たちの姿は漱石と重なり、ツガイのひな鳥を知人たちにあげ、その後、訪れた悲しい結末を読んだ時、やはり自分も鈴木三重吉と同じ態度だったな、と。

「文鳥は可哀想なことを致しました」とあるばかりで家人が悪いとも残酷だとも一向書いていなかった。」新潮文庫 平成23年2月20日出版 (26ページ16行から抜粋)

 当時の自分はまだ子供で、「そう…」と黙って報告を聴いていただけ。ただ、帰宅後、「可愛そうだったね…お腹が空きすぎて手乗りインコじゃなかったのに、最期は手に乗ってきたんだろうね…」と自分の母親に言っただけだったっけ…。 忘れ去られた記憶を呼び戻す表題作。「手乗りにしたいなら、ひなの内に引き取ってね。育て方は、粟のエサをお湯に浸し、温めてからスプーンで上げて…」と説明していたけど、それは「困難」という判断だったのか、引き取ってもらった時はすでに若者のツガイ。餌箱の粟もカスだらけになるから、「ふう~っと吹いて…」ここまで詳しく説明すべきだったと後悔したっけ。餌箱を見れば分かるなどと思い込まず、初心者にはもっともっと丁寧に教えてあげるべきだったのに。その点、後輩作家の鈴木三重吉氏は、文鳥の飼い方について「講義」をしているかのように漱石に教えます。恐らく説明している過程において、新しい飼い主となる漱石が億劫がっている点も見透かして、鳥籠や餌箱まで用意し、文鳥を迎えさせたのかな…等々。その辺りは、文鳥が漱石宅に着た頃から最期を迎えるまでの心の動きを感じ取りながら読んでみました。一人称で書かれているため、余計に漱石を身近に感じやすいです。明治の文豪で偉大すぎて遠い存在である筈の夏目漱石先生が、急に隣のおじさんのように思えたエッセイでした。今でいうならエッセイかも。『小品』と当時は読んでたそうで、解説を書いている三好行雄さんが分かりやすく説明して下さっているので、以下に抜粋しておきます。

「日本の近代文学には<小品>と呼び慣わされた独自のジャンルがある。小説ともつかず、感想ともすかず、いわば短編小説と随筆との中間にひろがる曖昧な領域なのだが、小説のように身構えることをしない、いたって自由な語りくちが、逆に、小味ながらあざやかな感動をたたえていたり、深い情感に裏付けられた新鮮な表現を手に入れていたりする。思いがけない作家の素顔や肉声を彷彿することも多い。」(332ページ1行目~5行目)

 

 同じく表題作となっている「夢十夜」10つの夢が書かれてあります。どれも全く異なるお話でして、いやぁ~実は私も結構、はっきりとした夢を見る方で、その内のいくつかは、ブログに書いてしまったこともありましたが…。夢を見る人間は誰でも作家、といった人は誰でしたっけ? フロイトだったか? 「夢の中では、小道具から自分で用意して…」という記述がありました。今、思い出した!「ソフィーの世界」の中でフロイトが登場し、そこでの表現でした!

 短編なら芥川龍之介が真っ先に浮かんだものですが、漱石の「小品」も面白いです!それがたとえ悲しい思い出を呼び起こすこととなっても…。文鳥になぞらえられた女性は漱石の大切な方だったのでしょうか… 漱石の「今」と「思い出」がリンクする、そんな文章も好きです。

 

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