「てぇへんだぁ~ てぇへんだぁ~ おかしらが、キラ爺に斬りつけ ムショに入れられやした!」
とうとう…やっちまったか…。
第一報を耳にした、暴力団 鼻緒組のサブリーダー、大石は、思わず深いため息をついた。いつかこのような事態になるとも限らないと、ある程度の覚悟はしていたのだが。
何せ、かしらの浅野は初代総長と比較すれば、人徳の面で格段に落ちる。私怨があろうが、無かろうが、公の場での衝突は避けるべきだった。今度、大きな事件を起こせば、組は解体させられ、子分たちは全員路頭に迷う。特別 賢くはなくとも、せめて正常な頭であれば、お家取り壊しとなるような、浅はかな事件を自ら引き起こさないだろう。リーダーとは、いつの時代も、そういうものだ。
新参者グループは、早くも、「おかしらの仇を取るぜ~ 討ち入りじゃ~!」と騒いでいる。しかし、大石の関心事は、どうすれば組を解体させられずに済むか、という点に集中していた。幸いにも令和の総理大臣は、動物愛護にも熱心で、死刑を嫌う徳川綱吉首相だ。これまでの判例を調べれば、何か手立てが見つかるかもしれない…。
大石は早速、過去の判例を調べてみた。すると見つかったのだ!
「内藤忠勝・忠知は刃傷で相手を殺した。浅野長短は、傷付けただけであるが、死刑になった。その一方で、弟の忠知(ただとも)は出仕を止められたが、結局、許されている。つまり後家は続いた、のである。長短の浅野家は傷付けただけで断絶させられたのに。 どうして「殺人犯」より、「傷害犯」の方が重い刑となったのか? その決め手は「乱心」だ。つまり、統合失調症で罪は軽くなる。(『逆説の日本史 14巻』89ページから一部抜粋)
大石は、ここに目をつけた。
明日には斬首、或いは寛大な綱吉首相であれば、武士の情けで切腹という御判断をされるかもしれないが、浅野は、こんな事件を起こしたというのに、三杯飯を平らげたという。どうみても正気ではない。明らかに馬鹿リーダーだ。しかし、大石とて自分の組の「かしら」をバカとは言えない。
とにかくも、前例があるのだから~と大石は鼻緒組存続のため、浅野のため、走り回った。
しかし…ダメだった。
よりによって、浅野は 「乱心だったのであろう?」という問いかけに、「いいや、正気だった」と答えたという。子分たちや組(お家)存続の危機にあって、この受け答え。バカというしかない。
大石は、死刑(切腹)という政府(幕府)のご判断には全く意義なし!と書き記し、署名した。 ただ… ただ、浅野は乱心、つまりは現代でいうところの統合失調症だったのだから、罪は軽くなるべし! 死刑は免れずとも、お家存続は認めて欲しかった、という抗議を秘め、討ち入りを覚悟したのであった。(注意:井沢説)
大石の子分たちは口々に言う。
「あのキラ爺は気に入らねぇ。だから、おかしらも背後から斬りつけたのに、命は助かりやがって! うちの親分だけムショとは… そして死刑… さぞかし無念だっただろう。あのキラ爺の命を奪えなんだ。 だからオイラたち、皆で仇を取るぞ~ おかしらが果たせなかった無念を オイラたちで実行に移す時がきたってわけさぁ」
2・26事件が昭和の忠臣蔵であれば、令和版 忠臣蔵が今、まさに起ころうとしていた…
(青年将校たちは、昭和天皇が信頼していた側近を殺害した。昭和天皇が望んでいる、などと大きな勘違いをして。ドラマでは、正面から浅野が声を掛け、正々堂々と斬りつけた、とされるが創作である。キラを悪人に仕立て上げるため、憎悪説も作られた「忠臣蔵伝説」の罪は深い)
さて、江戸時代の忠臣蔵伝説には寛大な昭和生まれの庶民たち~ 令和版には、どのような感想を持つだろうか。
「よくやったぞ! 若者の気持ちは理解できる」
「リーダー浅野は、よほど人徳がある人だったんだな。47人【途中、独り抜けて46人】に慕われて!」
「彼等の団結心は、見上げたものだ!」
…となるのでしょうか。
ここまで 原作:井沢元彦 脚本(?といって良いのか?):すず、でお送りしました。
『逆説の日本史14 文治政治と忠臣蔵の謎』より~