日々のあれこれ

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逆説の日本史 22巻 西南戦争と大久保暗殺の謎

2022-02-27 18:02:15 | 読書

  21巻貸し出し中のため、22巻を先に読みました。

これまでに読んだ逆説シリーズの中で、最も分厚いかもしれません。525ページ!文庫であれば、3冊分くらいの分量ですね。盛沢山の内容で、とてもすべてを書き記すことは出来ませんが、特に‼ 私が勘違いしていた(それゆえ、人物評価も180度変化した!)人物について、最初に書かねばなりません。

 岩倉使節団がいない間、留守を預かった いわゆる留守番組が成し遂げた偉業

1⃣ 地租改正

2⃣ 太陽暦採用

3⃣ 徴兵制度の施行 

4⃣ 紙幣の発行

5⃣ 鉄道事業の開始 (伊藤博文は近代化のためには人のみならず物資の輸送が欠かせないことを留学中、実感。何より鉄道整備を急いだ。)

6⃣ 学制改革

これらを わずか明治4年11月から明治6年9月までに成し遂げた。

ここまで国内。

そればかりか、外交においても、

7⃣ 日清修好条規 締結❣ あの、聖徳太子以来、日本の悲願だった、「中華思想に毒された中国(当時は清国)と対等な関係を結ぶ」という… 遂に、締結に至ったのですから、肥前の副島種臣(そえじまたねおみ)が批准・発効に持ち込んだは日清修好条規は、日中間初の「対等条約」として もっと高い評価を受けてもいいと思う。

日清修好条約、と歴史で習ったけれど、 肥前の副島種臣さほど有名な名ではないではないですか~ 少なくとも伊藤博文や大隈重信ほどではなく、明治政府で活躍した政治家の名前として、どのくらいの日本人が最初に名を上げるでしょうか… (私は漢字の読み方すら知らなかったよ…とほほ💦)

そうならなかった理由…彼が薩長出身ではなく、逆賊扱いされた肥前の江藤新平と同じく肥前出身だったからではないか、と井沢さんは述べています。 (193ページ参照のこと)

一般的に 江藤新平をはじめとする旧佐賀藩主の大きな功績は、井上薫など汚職まみれな長州人を裁判で追い込もうと懸命だったことで、抹殺された。 江藤は政府の司法卿として、長州人の様々な汚職を徹底的に追及しようとした。つまり、近代国家の枠組みの中で正当な手段で戦おうとした。 しかし、西郷や、後に大久保利通(が黒幕だろうと井沢氏)が利用することで、つぶされた。江藤は辞職に追い込まれる一方、 井上薫は反省するどころか、尾去沢銅山を地主に返すこともなく、益々私利私欲だけが目的で汚職に手を染めている。(維新前までは、立派だったのにガッカリ 💦)

 佐賀の乱は 辞職後、江藤が故郷へ戻ったことで 佐賀の乱において、祭り上げられたことで起こった悲劇だった…(とは、全く知らなかった私)

 

 ここで毛利敏彦氏の著書『江藤新平 急進的改革者の悲劇』(中央公論社)から一部抜粋、まとめを;

江藤こそ、明治維新を真に維新に至らしめた鍵を握る人物だった。

理由は

「士農工商の封建的身分規制を撤廃」

[四民平等の近代社会関係を基本的に創出」

江藤によって、

「日本歴史上に初めての人権 (人民の権利)が国法上に確認された」

政府中枢での活躍期間がわずか4年であったにもかかわらず…❣

 

鉄道では伊藤博文、法では江藤新平、 (彼は佐賀の乱の首謀者ではない!!)という歴史上の事実を再確認した上で、これらの功績を 記憶に留めっておかなければ、と思う。

余り書きたくはないけれど、江藤新平は佐賀の乱の首謀者として逮捕され、裁判では全く弁明の機会すら与えられず、数日で 「死刑 斬首 首はさらす」という江戸時代に戻ったかのような判決内容だった。

井沢さん曰く、「あまりお勧めはしたくないが、今でもその首はネットで観ることができる」そうですが、なんて悲惨で慈悲もなく酷い裁判なのでしょう… 江藤新平は裁判で戦おうとし、素直に捕まったのに。その機会は失われ、井上薫の汚職も闇に葬られた… 

詳しくは22巻をお読み下さいませ。

(今年24冊目)

Comments (6)
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