日本最古の勅撰正史である「日本書紀」。
巻第一の神代上、すなわち書き出し部分です。
漢文で書かれており、正直なところ読みづらいし、その意味も難しそうで、
何やら距離感がある書物でした。
でも古代史の本を読むにつけ、
日本という国の原点があることを教えられました。
また書道を、古典等の書き出しシリーズという形で練習するなか、
日本最古の正史を書いてみるのも(自分の中では)意義あることかと思い
チャレンジしてみました。
行書体で65文字、結構な文字数で、一字々々の集字から始めました。
半切一枚に、どこまで書くか悩みましたが、
内容としては、渾沌があって、天地に分かれ、
そして『神が生(な)られた』ところまで書かねば意味はないかと。
出来るだけ、内容の区切りを各行ごとにとりました。
字体の範は松本芳翠先生が最も多いですが、他の書家の方のものも結構あります。
齋藤孝先生の「声に出し読みたい日本語」の最後がこの「日本書紀」です。
ここでは漢文そのものではなく、読み下し文を書いてあり、
また大変分かりやすい口語要約も添えられていましたので、
以下、引用させていただきます。
古(いにしえ)に天地(あめつち)未(いま)だ剖(わか)れず、陰陽(めお)分(わか)れず、
渾沌(こんとん)にして鷄子(とりのこ)の如(ごと)く、溟涬(めいけい)にして牙(きざし)を含めり。
其(そ)の清陽(せいよう)なる者(もの)は、薄靡(たなび)きて天(あめ)に為(な)り、
重濁(じゅうだく)なる者(もの)は、淹滯(とどこお)りて地(ち)と為(な)るに及(いた)りて、
精妙(せいみょう)の合摶(ごうせん)すること易(たやす)く、
重濁(じゅうだく)の凝竭(ぎょうけつ)すること難(かた)し。
故(かれ)、 天(あめ)先(ま)づ成(な)りて土(つち)後(のち)に定(さだ)まる。
然(しか)して後(のち)に神聖(しんせい)其(そ)の中(なか)に生(な)れり。
口語要約は次の通り
口語要約は次の通り
昔、天地も陰陽も分かれず、渾沌のさまは鶏の卵のようで、ほの暗さの中に物事が生まれようとする兆しを含んでいた。
それの澄んで明るいものが薄くたなびいて天となり、重く濁ったものが固まって土となる際に、
澄んだのが丸く集まるのは容易だが、重く濁ったのが固まるのはむずかしく、天が先にできて、のちに地が定まり、
そのあと神がその中に生まれた。
[補記1]
上記書きました文のあと、
・先ず最初の創造神として、「國常立尊󠄁」(くにのとこたちのみこと)など、すべての原点になる造化三神が登場され、
・次に「伊弉諾尊」(いざなぎのみこと)、「伊弉冉尊」(いざなみのみこと)など男女神四組八柱が、
・「伊弉諾尊」「伊弉冉尊」は、大八州の国や山川草木、そして「天照大神」(あまてらすおほみかみ)、「素戔嗚尊」(すさのをのみこと)を。
・「天照大神」は、孫の「瓊瓊杵尊」(ににぎのみこと)を、国を統治するため地上に(天孫降臨)。この際三種の神器を。
・「瓊瓊杵尊」は、日向国の高千穂峰に降り、「木花咲耶姫」(このはなさくやひめ)との間に二人の兄弟(兄:海の幸 弟:山の幸)が。
・弟の「彦火火出見尊」(ひこほほでみのみこと)と「豊玉姫」(とよたまひめ)の間に「彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊」(ひこなぎさたけうがやふきあわせずのみこと)が。
・「彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊」の子が初代「神武天皇」。
・日本書紀は第41代「持統天皇」までが記述されている。(とのこと)
[補記2]
「ねずさんの『世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』」(小名木善行著)によれば、
第10代崇神天皇のときに疫病が大流行し、民衆の半分以上が亡くなりました。
天皇は大社(明治の官幣大社)、国社(今の県庁)、神地(市区郡役場)、神戸(地域の氏神様)と、
中央と地方をつなぐ行政システムを作られます。
この際天皇は、その大社から神戸まで、
すべての神社における「手水舎」(ちょうずしゃ)の設置と、
そこでの「手洗い」と「口をゆすぐこと」を徹底し、疫病を終息させ、
その後もこれを国民に習慣化し普及されたとのことです。
今現在、コロナ対策でも手洗いが真っ先に推奨され、多くの国民がこれをまもっています。
その源流がこの第10代崇神天皇にあり、それが日本書紀に記されていたとは驚きです。
ど素人の私にしてみれば、今日は高校時代の漢文の教育を受けていた頃を思い出しました。程度が高く、少しでも理解しようと必死です。こういうことを日頃趣味として深めておられることに改めて敬服です。
一字一字もさることながら、全体の構成を考え制作される、これぞ書道なのでしょう。
解説を読み、改めてしみじみ拝見、厳かな大和の歴史を感じさせていただきました。