先月末、京都を訪ねました。
嵯峨野の竹林の小径です。
日本紹介の、外国人向の英語版ガイドブックの表紙を飾るだけあって、外国人も多く見かけました。
そんななか、浴衣姿のお嬢さん達。
この竹林によく似合い、日本の風情を一層引き立ててくれていました。
[追記]
14日に本記事をアップ後、翌15日、
この春から通っている教室の先生(小玉精子先生 5年前、講座でお世話になりました)から、
ご指導いただき . . . 本文を読む
先月半ばの旅では、伊勢神宮にお参りしてきました。20年ぶりのことです。
2009年のお正月(3日)番組で、“(北野)たけし”のお伊勢参りをやっており、その時から是非もう一度と思っていました。
番組での、お参りを終えたばかりのたけしの感想が印象に残っており、
今回訪ねる前に、その触りをyoutubeで確認してから出かけました。(09.1.6付「ぼやきくっくり」さんのブログから)
曰く、「・・・圧倒 . . . 本文を読む
先日(4.13)、伊勢湾・二見浦の夫婦岩を見てきました。
二見興玉神社境内の磯場にあり、大注連縄(おおしめなわ)で有名です。
夏場、岩間から登る日の出の光景は、多くの写真や絵になっています。
ただこの絵では、神社も夫婦岩も見えません。
画面上、道路の行きつく先、すぐ向こう側の隠れたところあたりになります。
この松は、神社東側の参道からのものです。
夫婦岩に限らず、ここ二見浦は絶景の地で、多くの . . . 本文を読む
先日(4.14)、吉野山にいってきました。
今年はやや遅く、下の方の桜が満開でした。
染井吉野もありましたが、やや赤みがかった山桜が多く見られました。
ここ吉野の桜の特徴だとか。
当日はあいにくの雨でしたが、到着した昼過ぎには幸い雨も上がり、遠くの山には霞という置きみやげ。
桜そのものも霞にたとえられますが、これに本物が加わり、山全体が幻想的な世界を織りなしていました。
ついつい絵ごころをくすぐ . . . 本文を読む
1万円札や10円硬貨にも使用されている京都・平等院。
描く対象が高尚すぎると、これをストレートに描くにはためらいを感じます。
訪ねた時は、平等院右手(院から見て)の枝垂れ桜がまさに満開のとき。
これを簾にみたて、これ越しにみた平等院はどうかと。
あわせて池に映る姿も。
・・・結果、平等院とはとても分らなくなってしまいました。
アングルが悪かったのか、簾がきつすぎたのか。それとも・・・。
なお、 . . . 本文を読む
京都の人は数百年、千年単位で日本を眺めていると聞いたことがあります。
その象徴の一つが、数々の歴史を刻んできた御所です。
おおまかにみれば、皇居が東京(江戸)に存しますのは明治維新以降の約150年。
それに比べて京都には、平安時代の約400年(この時は首都)を含めて、優に1000年を超えています。
江戸時代にできた「上方」(かみがた)なる用語も、皇居が京都にあったことに由来するとのことです。
. . . 本文を読む
今回は京都・清水寺、それもその舞台下です。舞台の上では色々な催しものが開かれたり、ここで見物する人たちの光景はよくみかけます。
ではその下は一体どうなっているのか、ちょっぴり興味を持ちました。
山腹の崖を利用し、多くの柱や貫(ぬき)を、釘を使わず縦横に組み合わせた「懸造(かけづくり)」という工法とのこと。
木材という材質とショックを多層に吸収する構造・・・先人たちの知恵と技に感心したことでした。
. . . 本文を読む
(今春旅した奈良・京都シリーズに戻ります。時期はずれにはご容赦を)
幕末、新撰組の本陣にもなった、京都・金戒光明寺です。
数年前、水彩画を始めたころのこと。あるWebサイトに、この金戒光明寺の桜を描かれたのがありました。
黒っぽい重厚な本寺の山門とソメイヨシノのコントラストに感心したことでした。
このときから、今度京都に行ったら是非ここに、と思っていた場所でした。
訪ねた折の桜は3~4分咲きくらい . . . 本文を読む
“ねねの寺”と呼ばれる、京都・高台寺。その一隅にある“遺芳庵”という茶室です。
高台寺は、秀吉没後、出家した妻・高台院(ねね)の志をうけ、彼の冥福を祈るために建立されたとのことです。
寺院であるとともに秀吉とねねを祀る霊廟の性格も持っているようです。
枝垂れ桜や庭園も見事でしたが、巡っていると、茅葺で丸窓つきの、素朴ながらも風流な庵に出あいました。
茶道については素人の私ですら、思わず、おおうっ、 . . . 本文を読む
この春、身内の招きで奈良・京都を訪ね、寺社巡りをさせてもらいました。
今回からしばらくの間、その時の絵を中心にアップしていきます。(その他のものも)
初夏を迎える時期に、春の絵となりますが、お許し下さい。
最初は奈良・東大寺の南大門です。我が国最大の山門といわれています。
この絵の枠外ですが、上の方には「大華嚴寺」(東大寺のこと 字は右から)とあり、
同じく枠外の左右には、これも我が国最大の木彫 . . . 本文を読む