久しぶりにバラを描きました。
下の【補記】ではかたい内容が続きますので、
ふと花が描きたくなり筆をとった次第です。
半開きや蕾などの周辺部分には筆を入れすぎず・・・
が自分なりのテーマです。
花はどんな花でも華やいだ気分になりますが、
やはりバラが一番かと・・・。
【補記】
「ユダヤの行動原理とこれからの日本」
全体の目次:2024.10.28付拙ブログによります
第2章目次
本章での用語
第2章 【中世~近代】キリスト教国家群からの迫害受け・寄生・活躍
第1節 十字軍遠征によるヨーロッパ各国での迫害受け
[ディアスポラから11世紀までは共存]
[十字軍遠征とともにユダヤ人への迫害が始まる]
[ラテラノ教会会議でユダイヤ人の隔離政策]
[ヨーロッパ各国がユダヤ人に対してとった迫害・追放]
第2節 イベリア半島経由のユダヤ人(スファラディ)
[ポルトガル・スペインによる大航海はカトリック先行]
[イギリス・オランダの時代とアメリカへの移住]
[ニューヨーク(NY)はもともとユダヤの街]
[国際金融中心がロンドンのシティへ]
第3節 東欧(ロシアなど)経由のユダヤ人(アシュケナージ)
[ポーランド・ウクライナ経由ロシアへ]
[ロシアでのポグロム受けとアメリカ、イギリスへの脱出]
本章での用語
スファラディ:イベリア半島にいたユダヤ人 ヘブライ語でスペインを意味
アシュケナージ:ドイツなど東欧にいたユダヤ人 ヘブライ語でドイツを意味
ポグロム:19世紀後半から20世紀初頭にかけ、ロシアを中心に行われたユダヤ人に対する虐殺
コンベルソ:イベリア半島でキリスト教に改宗した(させられた)ユダヤ人
レコンキスタ:イベリア半島でイスラム支配を排除するキリスト教側の運動(711年~1,492年)
ラテラノ教会会議:ローマのラテラノ大聖堂で開かれた全世界カトリック教会会議
ユダヤ人の隔離政策などが決められた
第2章 【中世~近代】キリスト教国家群からの迫害受け・寄生・活躍
第1節 十字軍遠征によるヨーロッパ各国での迫害受け
[ディアスポラから11世紀までは共存]
本格的なディアスポラが始まりエルサレムを永久追放されたユダヤの人々は、
土地保有の自由はなく、そのため都市部に流れ込み居住区を作り、
手工業や商人の時代が続く。
一方、ローマはキリスト教を公認し、その後も衰退と分散を繰り返しながらも、
キリスト教を中心とするローマ帝国としての威光は失わずにいた。
ヨーロッパの再統一をしたカール大帝(フランク王国 在位768年~814年)の時代、
ユダヤ人の経済活動での貢献を認め、彼らを保護し特典も与えていた。
カトリック教会もユダヤ教への改宗とユダヤ人との結婚は禁止していたが、
商人としての活動も出来、村々への居住も認められていた。
ユダヤ人はヨーロッパ各国に流入し、ユダヤ人社会ができ、
ラビの指導のもと律法(トーラー)に従った信仰生活を行っていた。
[十字軍遠征とともにユダヤ人への迫害が始まる]
このような中、ユダヤ人の迫害が始まったのは、
11世紀末の十字軍の遠征以降のことである。
十字軍そのものの目的は、イスラム教徒からエルサレムを奪還することで、
主敵はユダヤではなくイスラムだったが、
ユダヤの人たちも迫害につぐ迫害を受けることになる。
攻撃の口実は、ユダヤ教がイエスを救世主として認めないこと、
イエスを殺したのはユダヤ人だったことがメインではあるが、
当時キリスト教徒たちがユダヤ教徒に対して抱いていた
“ユダヤ人は何を考えているか分からない”、
“ユダヤ人はいざとなったら何をするか分からない”という
一種の警戒感や恐れもあったのでは、とも。
荒唐無稽と思われるような言いがかりも多用された。
その中にはお互いの宗教行為上の言いがかりもあれば、
大火があればユダヤ人が起こしたと疑われたり、
内乱があれば王側、反乱側双方からの攻撃を受け、
疫病(ペスト)があればこれもユダヤの所為にされた。
当初行われた迫害行為は、略奪、改宗強要、虐殺、中でも火あぶり等の火刑が多かった。
[ラテラノ教会会議でユダイヤ人の隔離政策]
13世紀に入って、ヨーロッパ各国にとって大事なキリスト教の会議があった。
それは「ラテラノ教会会議」(ラテラノはローマの大聖堂の名前)と呼ばれる会議で、
1215年の第4回会議で決められたことは各国の対ユダヤ人対策に大きな影響を与えた。
その会議で決められたことはユダイヤ人の隔離政策で、
キリスト教徒に対する利子徴収の禁止、ユダヤ人の服装規定(一目で見分けできる)、
キリスト・ユダヤ両教徒の同席、飲食禁止などなどである。
[ヨーロッパ各国がユダヤ人に対してとった迫害・追放]
以下、各国別に。
○イギリス
十字軍の遠征では、イギリス各所に散在していたユダヤ人共同体に対し、
いわれない口実で処刑などが行われていた。
「ラテラノ教会会議」を受け、イギリスでは王自身が乗り出しくる。
エドワード1世(元十字軍指揮官の経験)は、1,290年に、
ユダヤ人は3ヵ月以内にイギリスを去るよう追放の命令を出した。
国家(王)として、“ユダヤ人の一掃は国家の責務”としたのはイギリスが最初、とのこと。
○フランス
先の「ラテラノ教会会議」を受け,ルイ9世がユダヤ人国外追放の布告を出した(1,249年)が実行されず。
ルイ10世の1,320年、各地の井戸に毒物混入という根拠のない嫌疑で大量虐殺が行われ、
生き残った者は国外追放に。
その後も、財政難になると国王がユダヤ人の帰国を許し、
襲撃されると追放ということを繰り返す。
1,394年、シャルル6世によって最終的に追放された。
追放されたフランスのユダヤ人はドイツやスペインへ逃れる。
○ドイツ
神聖ローマ帝国皇帝カール4世(在位1,347年~1,378年)治下のドイツでは、
国外追放措置はなかったが、ユダヤ人に対する虐殺は続いていた。
15世紀は、1,421年のウイーンからの追放をはじめ、主要都市部からの追放が続いた。
16世紀初めに始まったマルティン・ルターによる宗教改革では、
ローマ・カトリック教会に対する改革運動が主題ではあったが、
ルターはユダヤ教に対しても否定的だったため迫害は続いた。
追放されたドイツのユダヤ人はポーランド、ウクライナなど東方に逃れる。
ドイツを中心に東欧にいたユダヤ人は「アシュケナージ」(ヘブライ語でドイツを意味する)と言われた。
のちにホロコーストの対象になり、新生イスラエル建国を主導した。
○スペイン
イベリア半島は、ローマ時代からユダヤ人が住み始め、
8世紀初めのイスラム教の進出に伴い多くのユダヤ人が移住してきていた。
スペインは最も安全なラテンの領土で、
ユダヤ教とキリスト教は衝突する前に論争が出来る場所でもあった。
一方でイベリア半島ではキリスト教側のイスラム教排除の動き(「レコンキスタ」と総称)も続いていたが、
1,212年に起きた、キリスト・イスラム両軍の戦いで、
キリスト教側が勝利することとなり、事態は一変する。
加えて、当時ヨーロッパ各国で十字軍遠征とともに行われていたユダヤ人に対する迫害などが
イベリア半島にも及ぶようになった。
1,391年にはスペイン全土でユダヤ人襲撃があり、約7万人が犠牲になり、
多くがキリスト教への改宗を余儀なくされた。
改宗者は「コンベルソ」と呼ばれた。
1,479年には統一「スペイン王国」が成立、
イサベル王女は「宗教裁判所」を設置し(1,480年)、
コンベルソの中の偽改宗者のあぶり出しを本格化させた。
1,492年には、イスラムの最後の拠点グラナダを陥落させ、
長年続いた「レコンキスタ」が完成する。
同年、ユダヤ教徒追放令が出され、ユダヤ人は出国するか改宗するかを迫られ、
その多く(10万人以上)は隣国ポルトガルや地中海沿岸のイタリア諸都市、
オスマン帝国のイスタンブールなどに逃れた。
(後にオランダ、イギリス、そしてアメリカへと。)
同じく同年1,492年にスペイン王の命令でコロンブスが大西洋の横断に成功、
大航海時代が展開されていくこととなる。
○ポルトガル
スペインからポルトガルに逃げてきたユダヤ人は、大金を払えば入国できたが、
入国できないものの多くはアフリカ沿岸に回され奴隷になった、と。
1,497年、4歳から14歳までの子供すべてを強制的に改宗させるとともに、
同年、ユダヤ人の追放令が出される。
1,506年にはリスボンで約2,000人のコンベルソが殺戮された。
ポルトガルがスペインに合併され(1,580年)、イベリア半島全体で宗教裁判が厳しくなる中、
コンベルソとして生き残ったユダヤ人は、
プロテスタントの国・オランダ、そのバックのイギリスを新たな移住先として逃れていった、と。
イベリア半島のユダヤ人は「スファラディ」(ヘブライ語でスペインを意味する)と言われた。
第2節 イベリア半島経由のユダヤ人(スファラディ)
[ポルトガル・スペインによる大航海は宗教(カトリック)先行]
15世紀当時、世界は大航海時代に入り、ポルトガルとスペインが世界支配を始めていた。
両国は、狙った国々を、まずはカトリックという宗教を先行して洗脳し、
しかる後に軍隊を派遣し植民地化する手法で拡大を進めた。
そのカトリック教会は、ルターの反カトリック運動である宗教改革に対抗し、
全世界のカトリック化を計画、その先兵役がイエズス会(ポルトガル圏)とフランシスコ会(スペイン圏)。
イエズス会は、キリスト教のグローバル化と共に世界の経済的グローバル化の先鞭をつけ、
特に中南米、東南アジアでは、彼らの活動が後の植民地支配に直結。
日本にもイエズス会のフランシスコ・ザビエルが来たが、
秀吉や家康が彼らの策略に気づき、彼らを排除し植民地化されずに済んだ。
この際、イエズス会のスポンサー役をやっていたのがコンベルソ商人たちで
ザビエル本人にもコンベルソ説もあるとのこと。
ポール・ジョンソン氏によれば、
コロンブスはユダヤ系スペイン人の家族の出であったと思われ、
アメリカへの出航直前に洗礼を受けた、と。
コロンブス自身がダビデ王とつながっていることに誇りをもっていたとされ、
出航の諸準備や資金を提供したのもコンベルソたちである、と。
[イギリス・オランダの時代とアメリカへの移住]
一方、イギリスとオランダは宗教改革を受け入れ、カトリック教会と絶縁する。
スペイン領だったオランダは、イギリスの支援も受けて独立戦争に勝利しスペインから独立。
このオランダの勝利をスファラディ(イベリア半島に居たユダヤ人)は喜び、オランダとイギリスに迎え入れられた。
スファラディの力も得たイギリスとオランダは、
1,600年頃、東インド会社を設立、アジア貿易に乗り出し、
世界貿易の覇権争いがスペイン・ポルトガルからイギリス・オランダに取って代ることとなる。
オランダは、17世紀前半には同国一国で世界貿易の50%を占め、
アムステルダム銀行は世界初の中央銀行になるなどオランダ・アムステルダムが国際金融の中心に。
[ニューヨーク(NY)はもともとユダヤの街]
ニューヨーク(NY)はイギリスに取られる前はオランダの植民地で「ニューアムステルダム」と呼ばれていた。
毛皮貿易の拠点としてマンハッタン島南部を先住民から買い取り、
港と砦を建築し、そこに“スファラディ達”が移住してきていた。
17世紀後半の英蘭戦争のとき、オランダはマンハッタン島を横断する城壁を築く。
3次にわたる本戦争に勝利したイギリスは、ニューアムステルダムを英領「ニューヨーク」と改名。
城壁は撤去され道路となり、名前だけ残って「壁」(ウォール)街となる。
ユダヤ人たちはそのままNYに残り、新しくできたウォール街沿いに銀行や証券会社を立ち上げ、
アメリカにおけるユダヤ人共同体が始まる(1654年頃から)。
⇒隠れユダヤ人・コロンブスが見つけた新大陸アメリカに、ユダヤ難民を送りこんでつくった街がNY。
NYは初めからユダヤ人の街。
[国際金融中心がロンドンのシティへ]
ややあってイギリスでは名誉革命(1688年)があり、
オランダ総督ウィリアム3世をイギリス国王に招く。
ウィリアム3世はオランダで発達した金融システムもロンドンへ移植、
イングランド銀行が創立される。(1694年)
アムステルダムに代わり、ロンドンの金融街・「シティ」が国際金融センターとなる。
更にややあって19世紀半ば以降、このNYには、
ドイツからあるいはロシア革命で追われたユダヤ人(アシュケナージ)も押し寄せてくることになる。(後述)
(スファラディ主要人物:スピノザ(オランダ 哲学者)、デイズレーリ(イギリス首相)、
米フランクリン・ルーズベルト(アメリカ大統領)の母方)、ドラッカー(オーストリア 経営学者)、ピサロ(フランス 画家))
第3章 東欧(ロシアなど)経由のユダヤ人(アシュケナージ)
[ポーランド・ウクライナ経由ロシアへ]
十字軍の時代、西欧各地で迫害を受けたユダヤ人(アシュケナージ)はポーランドに逃げ込む。
ポーランドがウクライナに勢力を拡大、アシュケナージはウクライナにも。
ロシア帝国は18世紀後半ウクライナを、最終的にはポーランド本体をも飲み込む。
[ロシアでのポグロムとアメリカ、イギリスへの脱出]
ロシア帝国に飲み込まれたユダヤ人は過酷な運命に。
1881年、ロシア皇帝は暗殺事件にユダヤ人が関わったとして大規模なユダヤ人襲撃事件(ポグロム)を行い、
数十万人を殺害、数百万人がロシアを脱出し、英国やアメリカに亡命した。
この19世紀後半のロシアでのポグロムの前段階、19世紀半ばに、
ドイツ統一の混乱の中、ドイツ系ユダヤ人のアメリカ進出が加速し、
このときやってきたのが、
ゴールドマン・サックス社、リーマン・ブラザーズ社、クーン・ローブ商会それぞれの創業者たち
という錚々たるメンバーで、彼らがNY金融界で活躍しているところへ、
ロシアからの大量難民が、という次第とのこと。
この大虐殺で亡命した多数のユダヤ人が、後に世界最強の米国ユダヤ人社会を生んだり、
後に触れる新生イスラエルの誕生も、英国への亡命者が主導した、
ということは運命的なことではである。
また、このポグロムから半世紀後、1917年に起きたロシア革命は、
ユダヤ革命とすら称され、ポグロムへの反動の側面もある。
思想家マルクスはロスチャイルド家と縁者、首謀者レーニンもユダヤの血を引いているとされ、
実行役ボルシェビキもユダヤ系、金銭サポートもユダヤ系ということである。まさに、ユダヤによるロシアの乗っ取りである。
後述するが、ほぼ同じ頃の1,913年、
創設したばかりのアメリカ・ロックフェラー財団とともに、
ユダヤの国際金融資本家・ロスチャイルドの主導で、
アメリカのドルを、(アメリカ政府ではなく)民間銀行が発行・運用する「連邦準備制度」が始動する。
この時点で、ユダヤはアメリカとロシアを押さえたことに・・・。
(アシュケナージ主要人物;ゼレンスキー(ウクライナ大統領)、ネタニヤフ(イスラエル首相)、キッシンジャー(元米大統領補佐官)、
ザッカーバーグ(フェイスブック創業者)、ブリンケン(米国務長官)、ヴィクトリア・ヌーランド(元米国務次官))
本章の主要な参考文献等
『日本と世界の古代史&世界史』(田中英道・茂木誠著)ワニブックス
『ユダヤ人の歴史 上巻』(ポール・ジョンソン著 阿川尚之ほか訳)徳間書店
(ネット関連)
『世界史の窓』(Y-History 教材工房)
このバラは赤・青・黄のバリエーションが多く、華やかなだけでなく深みを感じるのは色遣いや筆致によるものなのでしょうか。
ユダヤの歴史、三千年に及ぶ迫害と虐殺、追放、放浪の繰り返しを考えると今現在のイスラエル問題は日本人の感性や常識をはるかに超える「怨念」を感じます。
アメリカの政界も経済界も人脈・金脈全てユダヤなくしては成り立たず、奥深い闇の世界なのでしょうか。
現代のグローバリズム、米欧露も含め、良きも悪しきもユダヤ人脈・金脈に振り回されているのかな?
次回の補記が楽しみです。