高砂の松も昔になりぬべし なほ行く末は秋の夜の月 寂蓮法師
(堂可佐こ能満つも舞閑し尓な利ぬ邊し 那本ゆ倶春衛盤阿支のよ濃徒き)
高校時代の書道の時間で習い、何故か覚えていた歌2首の内の1首です。
もう1首、式子内親王の歌(山深み・・・)は先に(2024.4.1)アップしました。
何故、この2首だけを覚えていたのか、記憶は定かではありませんが、
今思えば、おそらく課題かなにかで、何回も書かされたからだと思われます。
書かされたといっても、多分喜んで書いたのではないか、と。
今回は本歌を継色紙“風”に書いてみました。
字体は角川書道字典の継色紙から選字(集字)し、
行の構成などはいくつかの作品の見様見真似で、上掲のように配してみました。
鉛筆でのデザイン段階でかなりの時間をとりましたが、
実際に筆を持ってからは、意外と肩の力が抜けて書けたのではないか、と。
でも継色紙本体の、どこか寂しげな字体や絶妙な空間とは、
かけ離れたものではありますが、そこはお許しあれ。
[補記]
マイケル・サンデル教授が「大谷翔平選手を通じた日本人の素晴らしさ」を語る
前回は、ハーバード大のあのマイケル・サンデル名物教授が、
これも世界的な社会人類学者であるクロード・レヴィ=ストロース氏(両親がユダヤ人)の所論を引用しながら
「日本文化の素晴らしさ」について講演したことを記しました。
今回はそのサンデル教授が、大谷翔平選手を通して日本人の素晴らしさについて語ったことを
記したいと思います。
youtube「侍メジャーリーガーちゃんねる」様(2024.4.24時点で1ヵ月前アップ分)
から引用させていただきました。
同動画によりますと、同大での講義の休憩中、学生から大谷選手のことについての質問があり、
それに答える形で語ったとのことです。
サンデル教授が語ったこと(趣意)を要約しますと
「彼の活躍・成功には、彼のストイックな“努力”と、成功に甘んじない“謙虚さ”があり、
この努力と謙虚さは、ともに日本人が長い時間をかけて育んできた素晴らしい特性である」と。
“努力”については、
大谷選手自身のストイックさ(目標の設定、計画的な努力、
厳しいトレーニングなど)に触れた後、
大谷選手のこのストイックさの背景には、日本人ならではの特性があると捉えています。
そして、その欧米には無い日本人独特のストイックさについて教授は、
“日本人は昔から新しい物事を理解し、自分達流にするのが得意な人々だった。
外国から持ち込まれた技術や習慣を柔軟に理解し、
自分たちが使いやすいように改良もし、新たなスタンダードを作り上げている、“と。
そして次のように続けます。
“確かに、人種や国籍や国という枠組みには関係なく、
成功した人々も、国々も多くあると思います。
しかし、日本人ほど努力して成功した人々はいないのではないか。
日本人は一人一人に努力という考え方が根付いている文化だから、
この日本人の精神こそ大谷選手に当てはまり彼は大成した。
彼は、多くの人からは否定された二刀流選手としての成功を夢見て努力を続け、
自分の意思を貫いた。”と。
大谷選手のもう一つの側面“成功に甘んじない謙虚さ”についても
日本人的感覚がある、と。
人は成功すると、その満足感に浸り、そこにアグラをかき、キャリアを終えるアスリートも多い。
しかし大谷選手は違っていて、次の目標、次の目標と目標を設定し続け、
それに向かって努力を重ねる。
成功したからといって慢心に陥らない“自己”への謙虚さである。
そして自分のキャリアは自分だけのものではなく、
自分に経験を積ませてくれた関係者全てのお蔭とし、彼らに感謝している。
欧米では、成功したら、それは自分の結果であり、自分の力で勝ち得た、と強調しがちだが、
日本人は、周囲の人々へも光を与え、
自分の成功は周囲の人々の支えがあったから実現できた、という認識がある。
このように日本人の成功者は、自己にも他者にも謙虚な姿勢を保ち続けているのである。
最後に学生から、次の質問あり。
「他国の人々でも、大谷選手のような精神を持てば、彼のように活躍できるか?」
サンドラ教授応えて曰く
「日本人と同じように振舞うことは、とても困難です。
彼らは長い時間をかけてこの精神を育んできたのです。
大谷選手も、謙虚な気持ちと厳しい姿勢を常に心がけて、幼少期から努力を続けています。
国民性というものは長年かけて培われるものであり、容易に変えることはできません。
日本人を見習いたいという気持ちと意欲は素晴らしいですが、
本当に実践するのであれば、形だけでなく、常に不屈の努力を続け、
成功に甘んじない謙虚さを持ち続けることが何よりも大切です。」と。
・・・以上です。
なお、サンデル教授は昨年、中国公共テレビに招かれた際、
中国記者からの“中国の経済成長と国民性”について聞かれ(当然、中国への誉め言葉を期待して)、
彼は、「経済成長は確かだが、中国の国民性については、世界が評価しているとはいいきれない」、とし、
“それでは、どの国が優れた国民性か?”との重ねての質問に、
「日本こそが優れた国民性を持った国」と即答明言、
危機時の冷静さや秩序、他人のための自己犠牲などなどを例示したとのことです。
昨暮、拙ブログ「みよしのの・・・」(2023.12.18付)の[補記]の中で、
大谷選手による、日本文化の世界への発信について記しました。
今回は奇しくも、この大谷選手を通じての日本人の素晴らしさを
サンデル教授がとりあげてくれました。
僭越ながら、自分の中では、
日本人の素晴らしさというテーマで、
前回のストークス氏ともども3人の世界的スーパースターのオンパレードと相成りました。
尤もといいますか、日本人の素晴らしさといわれても、
今の日本を眺めれば、情けなくなるような事象も数多、目にとまります。
また今自分なりに研究しているユダヤにしても、
あるいはそのユダヤに支配されたアメリカにしても、
はたまたリベラル左翼の牙城と化したとされるハーバード大学にしても、
良きにつけ悪しきにつけ、化け物みたいに複雑怪奇なところです。
2人の発言の背景などは、正直、今の自分には分かりません。
ただ、世界に名を馳せるには、そこに皆に共感を持たせる何かがあるからでしょう。
その彼ら2人が、日本を好意的に理解し、その良さ、素晴らしさを世界に発信してくれている
・・・ここは素直に喜んでおきましょう。
拙ブログ、5月6日はお休みとし、次回は5月13日からとさせていただきます。
日本人、日本文化の素晴らしさは、それを見出してくれる方々もそのような感覚があるから気が付かれると思います。
そしてその例として誰にでも分かり易いようにその部分を見事に実践している大谷選手を挙げたと思いますが、多くの日本人の何処かに宿っていることも事実だと思います。
そうは言いながら他文化にも触れやすくなった近頃は、想像もつかないようなことが起こりますが、日本文化の素晴らしい部分は今後も続いて欲しいと願って止みません。
絵画的要素と漢字かな交じりの美しさが織り成す芸術なんですね、日本人でよかった。
大谷選手、日本人の良いとこどりした「芸術人間」といったらおかしいですが、天性、努力、謙虚、まことに誇らしい「ひと」だと思います。
祖先から受け継がれた日本的精神が失われないよう一人一人が心がけていきたいものです。