『義』なる文字です。
(半切1/3ほど大、画像処理でフィルター掛けを。)
お手本は、高塚竹堂先生の「書道三体字典」(野ばら社)にある字の行書体。
何年ほど前になりましょうか、この字典を入手して最初にこの字を見た時以来
最も気に入った字体の一つです。
お手本のそれは実に堂々として筋が通っており、
いかにも“義”という字らしいなあ、と自分は感じ入っていました。
いつかは書いてみたいと思っていましたが、今回この文字に敢えて大筆でチャレンジしたものです。
その大筆、ほぼ1年前、家内のお友達だった方がにお亡くなりになられ、
その形見として2本の大筆をいただいておりました。
拙ブログ「佛心」(家内のお友達のご遺作)(2020.6.15付)の方です。
早いもので1年が経ち、故人を偲びつつ書かせていただきました。
共に穂長が8㎝ほどでイタチ毛と羊毛の筆です。
羊毛筆は初めてのこととて、最初はこちらの練習から始めましたが、
自分には大きすぎて使いこなせず、
結局、中筆を新たに入手してチャレンジし、拙ブログでも数点をアップさせていただきました。
今回はもう一本の大筆イタチ毛のそれを初めて使わせていただいたものです。
ところで、『義』、辞書には、
他人に対して守るべき道、物事の道理にかなっていること、
道義、道理、条理、理由あること・・・などと記されています。
この微妙な日本語を英語でどう表現するか興味があり調べてみましたら
第一義的には“justice”(正義、合法性)だとか。
ついつい去年の米国大統領選挙でのバイデン側の大規模な不正選挙を
思い出してしまいました。
選挙の“justice”こそが大きな問題だったからです。
中国も米国もこの「義」とは程遠い国になってしまったようです。
ほかに、「徳」を意味するものとして“morality”、「信義」は“faith”、
「忠義」は“loyalty”、「義理」は“duty”・・・
勿論、一つの単語では言い表せないし、
日本語として「義」が持つ、いわく言い難いニュアンスはそもそもが無理なのでしょう。
さてさて「不義理」ばかりを重ねてきたわが人生、
今更どうあがいても取り戻せそうにもありません。
ただただお許しを請うばかりであります。
これからも、今回のような“一字もの”もアップしていきたいと思っています。
日常を問われると、誰しも恥じるところはあると思いますが、生きていく上でこの様に在りたいと言う姿勢の一つだと私は思っています。
我々世代以前は、子供のころから「義を見てせざるは勇なきなり」のフレーズを聞きながら育ったように思います、一字シリーズ、楽しみです。