今回は、大伴邸で詠まれた梅歌のうち、
当時の筑紫歌壇の代表的な歌人であった山上憶良(筑前の守)の歌を、
原文にある“万葉仮名”そのものの字を用いて書いてみました。
波流佐礼婆 麻豆佐久耶登能 烏梅能波奈
比等利美都ゝ夜 波流比久良佐武
(半切大)
春さればまづ咲く宿の梅の花
独り見つゝや春日暮らさむ (山上憶良)
私が万葉仮名について知ったのは、かれこれ40数年前、
哲学者・梅原猛先生の書かれた「水底の歌」や「歌の復籍」を読んだ時でした。これらの本は
“歌聖 柿本人麻呂は、持統天皇とこれを支える藤原(不比等)政権によって、流罪に処せられ刑死(水死)した”
とする大胆な解釈を展開したものでした。
先生の本は、法隆寺を扱った「隠された十字架」など数冊を読みました。
勿論学術的なことは解りませんが、先生の博学ぶりに驚くとともに、まるで推理小説のように読み耽ったことでした。
その人麻呂に関連した本の中で、万葉集の原文は漢字で書かれ、
和歌のところも漢字(いわゆる万葉仮名)で書かれていることを垣間見ました。
が、何やら難しそうでとっつきにくく、並記してあった普通の平仮名などのみで読み進めました。
それ以降、万葉集や万葉仮名とはご縁のない期間でした。
そして今回の「令和」で、これらを目にすることになりました。
一方この間、万葉集には触れなかったものの、書道の仮名では変体仮名も見たり書いたりしていましたので、
意外とすんなりこの万葉仮名に向かうことが出来ました。
それもそのはず、何のことはありません、普通の平仮名や変体仮名はこの万葉仮名から出発しているのですから・・・。
また、万葉仮名は単なる当て字で、難しく考える必要もないことも今回知りました。
書にするにあたって今回は、字は原文のそれを仮名にしたものと決まっているため、その中でのデザインとなります。
“うめ”は本歌では“烏梅”で、32首の中でも最も多そうです。
先の大伴旅人の歌では“宇米”、ほかに“宇梅”、“梅”などがあるようです。
“ば”の“婆”はちょっぴり驚きでしたが、家内に“婆の字はよくできているね(波は皺に通じる)”といったら、嫌な顔をされました。
麻(ま)、豆(づ)、等(と)の字の仮名文字は、手持ちの(角川)書道字典にはなく、それぞれの草書体を当てています。
Wikiなどによりますと、山上憶良は、人生の苦悩と下層階級への温かい眼差しを注いだ人と紹介されていました。
大伴旅人との交流は深かったようで、この宴の2年前、大伴旅人が妻をなくしたとき、
憶良が旅人に捧げた「挽歌」も万葉集にはでています。
よく解らないながら、私も目を通してみましたが、それは心のこもったもののようでありました。
和歌の中の「ひとりみつつや」は、この旅人への配慮だとする説もあるようです。
拙ブログ、この1ヶ月、『令和』に絞った書を4回にわたって書かせていただきました。
このめでたい時期に、日本の代表的な作品で漢字や仮名で練習できる・・・こんな幸せはありません。
『令和』の「令」について、提案者とされる中西先生は、
令の中心は儒教の最高理念の“善い”であり、
令は“律”なりともいい、命令も人がいうことを聞く“善い命令”であるべき(趣旨 4.17付読売)、とされています。
我が国秩序の根本たる[憲法]も戦後七十数年を経過しました。
新たな令和の時代に、平成までの善かった面は残しつつ、
一方で、現にある“歪さ”はこれを是正し、より善い秩序を!と期待するものです。
次回は5月13日(月)から始めたく思っています。
今日は、平成最後の“昭和の日”・・・歴史を感じつつ・・・。
当時の筑紫歌壇の代表的な歌人であった山上憶良(筑前の守)の歌を、
原文にある“万葉仮名”そのものの字を用いて書いてみました。
波流佐礼婆 麻豆佐久耶登能 烏梅能波奈
比等利美都ゝ夜 波流比久良佐武
(半切大)
春さればまづ咲く宿の梅の花
独り見つゝや春日暮らさむ (山上憶良)
私が万葉仮名について知ったのは、かれこれ40数年前、
哲学者・梅原猛先生の書かれた「水底の歌」や「歌の復籍」を読んだ時でした。これらの本は
“歌聖 柿本人麻呂は、持統天皇とこれを支える藤原(不比等)政権によって、流罪に処せられ刑死(水死)した”
とする大胆な解釈を展開したものでした。
先生の本は、法隆寺を扱った「隠された十字架」など数冊を読みました。
勿論学術的なことは解りませんが、先生の博学ぶりに驚くとともに、まるで推理小説のように読み耽ったことでした。
その人麻呂に関連した本の中で、万葉集の原文は漢字で書かれ、
和歌のところも漢字(いわゆる万葉仮名)で書かれていることを垣間見ました。
が、何やら難しそうでとっつきにくく、並記してあった普通の平仮名などのみで読み進めました。
それ以降、万葉集や万葉仮名とはご縁のない期間でした。
そして今回の「令和」で、これらを目にすることになりました。
一方この間、万葉集には触れなかったものの、書道の仮名では変体仮名も見たり書いたりしていましたので、
意外とすんなりこの万葉仮名に向かうことが出来ました。
それもそのはず、何のことはありません、普通の平仮名や変体仮名はこの万葉仮名から出発しているのですから・・・。
また、万葉仮名は単なる当て字で、難しく考える必要もないことも今回知りました。
書にするにあたって今回は、字は原文のそれを仮名にしたものと決まっているため、その中でのデザインとなります。
“うめ”は本歌では“烏梅”で、32首の中でも最も多そうです。
先の大伴旅人の歌では“宇米”、ほかに“宇梅”、“梅”などがあるようです。
“ば”の“婆”はちょっぴり驚きでしたが、家内に“婆の字はよくできているね(波は皺に通じる)”といったら、嫌な顔をされました。
麻(ま)、豆(づ)、等(と)の字の仮名文字は、手持ちの(角川)書道字典にはなく、それぞれの草書体を当てています。
Wikiなどによりますと、山上憶良は、人生の苦悩と下層階級への温かい眼差しを注いだ人と紹介されていました。
大伴旅人との交流は深かったようで、この宴の2年前、大伴旅人が妻をなくしたとき、
憶良が旅人に捧げた「挽歌」も万葉集にはでています。
よく解らないながら、私も目を通してみましたが、それは心のこもったもののようでありました。
和歌の中の「ひとりみつつや」は、この旅人への配慮だとする説もあるようです。
拙ブログ、この1ヶ月、『令和』に絞った書を4回にわたって書かせていただきました。
このめでたい時期に、日本の代表的な作品で漢字や仮名で練習できる・・・こんな幸せはありません。
『令和』の「令」について、提案者とされる中西先生は、
令の中心は儒教の最高理念の“善い”であり、
令は“律”なりともいい、命令も人がいうことを聞く“善い命令”であるべき(趣旨 4.17付読売)、とされています。
我が国秩序の根本たる[憲法]も戦後七十数年を経過しました。
新たな令和の時代に、平成までの善かった面は残しつつ、
一方で、現にある“歪さ”はこれを是正し、より善い秩序を!と期待するものです。
次回は5月13日(月)から始めたく思っています。
今日は、平成最後の“昭和の日”・・・歴史を感じつつ・・・。
万葉仮名、変体仮名、平仮名はそうだったんだと思いながらも実物を比べてみていないので、感覚的にしか分かりませんが。
新たな令和の時代、まさに言われる通りです。
このブログ見せていただいた見事な「書」と学んだ万葉の心は、令和の元日5月1日からも更に噛みしめて過ごしたいと思います。