Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 389 色々ありました 南海ホークス編

2015年08月26日 | 1983 年 
わざわざ面白話を探さなくても穴吹監督やドカベンの姿を追っているだけで面白いのが南海ホークス。それでも記録の方へ目を移せば門田の打点王あり、山内和の最多勝ありと実り多いシーズンだった。そんな偉大な記録に隠れているが珍しい記録にまつわる話…


初体験なんです…開幕から快調に打ちまくりプロ4年目にして本業の野球でようやく注目を浴びたドカベンこと香川選手。5月3日の近鉄戦でプロ入り初の三塁打を放った。体重100kg で走る事が最大の苦手な香川がゴムまりのように転がった。否、走った。プロ入り211試合目にして初体験だった。この先二度とお目にかかれないかもしれない出来事にスタンドのファンは大喝采。当の本人は周囲の笑いをよそに「ハァ、ハァ~、しんどいっスね。三塁打ってこんなに疲れるやね」と三塁ベースに腰を下ろし暫く動けなかった。

記憶にございません…「僕には本塁打はいりません。安打しか似合わないから」と日頃から言い続けている新井。小兵ゆえに「いらない」のではなく「打てない」のだ。ところが異変が起きた。9月15日の日ハム戦で高橋里、高橋一の2人から2打席連続本塁打を放ったのだ。「自分自身が一番ビックリしています。何であんなに球が飛んで行ったのかねぇ」と本人が信じられない以上に周囲が驚いた。普段は顔を見せない永井広報担当が記者席に現れ「新井の1試合2本塁打はプロ入り初。ちなみに法政大学時代以来の珍事」と報告すると「珍事はかわいそうだろ」と記者席は笑いに包まれた。

魔物が棲む球場…とにかく今季の南海は西宮球場で勝てなかった。プロとアマチュアチームが対戦しているかのようにコロコロと負け続けた。そこで誰かが言ったわけでもなく「ここには魔物が棲んでいる。じゃなかったらこんなに負ける筈がない」と。8月25日の試合にも負けて昨季から14連敗…。「こらぁ、エエ加減にせんかい!お前らプロか?たまには勝てや!」と熱心なファンも遂に堪忍袋の緒が切れた。「何でやろ?毎試合準備しデータを分析し試合に臨んでいるんやけどね…ホンマに不思議やわ」と穴吹監督もお手上げ状態。10月14日にようやく連敗をストップしたがこれで西宮球場の呪縛から解かれたかは不明だ。

石の上にも11年…新たな格言?を作ったのが池之上選手。投手で入団するも直ぐに投手失格の烙印を押され野手に転向。しかし野手でも目立った活躍には程遠くすっかり忘れられた存在となりそろそろ首の周りが涼しくなり始めた今季、突然変異とも言える大器晩成ぶりを発揮した。5月3日の近鉄戦で良川投手からプロ入り初本塁打。これを契機に打棒が爆発したのだ。周囲は勿論、本人までも「こんな事ってあるのか?」と不思議がる。プロ入り11年目にしての初本塁打も特筆ものだがここまで諦めずに努力してきた精神力にも脱帽だ。超遅咲きの池之上こそまさに「石の上にも…」の格言に相応しい男だ。

幻の一軍昇格…ベテランの山内新投手が極度の不振に陥り8月19日に二軍落ちし代わりに水谷投手が一軍に昇格した。度胸満点で抑え役にピッタリと期待されての昇格だったが好事魔多し。当日に肝炎を発症している事が判明して昇格当日に即降格の憂き目に会う事に。「お恥ずかしい限り。よし、やったるで!と意気込んだら病気になるなんて情けない…」と意気消沈。約2ヶ月の入院生活で今は元気になったが1日で登録&抹消は前代未聞。

満塁請負人…これぞ主砲の主砲たる所以。本塁打王に輝いた門田選手だが満塁本塁打4本はパ・リーグ新記録だった。5月24日に川原投手(日ハム)、5月27日に工藤投手(日ハム)、7月14日と9月13日は愛甲投手(ロッテ)から放った。通算では9本でこれは田淵(西武)と並ぶ現役最多記録。「たまたまそういう場面で打席が回って来るだけ」と本人は謙遜するがさすがポパイ、やる事がデカイ。
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# 388 色々ありました 近鉄バファローズ編

2015年08月19日 | 1983 年 
プロ初勝利…中継ぎで8勝して一躍新人王レースの先頭に躍り出た住友投手のプロ初勝利は4月24日の南海戦だった。谷崎投手の後を継ぎ二番手で登板して4回 2/3 イニングを2失点で降板した。勝利の瞬間マウンドにいたのは久保投手だったが勝ち投手は住友だった。久保は初勝利のウィニングボールを渡そうと住友を探したが自分は勝ち投手ではないと思い込んだ住友はそそくさとベンチ裏へ引き揚げていた。報道陣から勝利投手だと告げられると「エッ、僕がですか?本当に?」と何度も念を押すが半信半疑。小川に「お前が勝利投手だ、胸を張れ」と言われてセーブを挙げた久保から記念のウィニングボールを大事そうに受け取った。

とここまでは笑い話で済んだがもう一つの初勝利は笑えなかった。6月11日、日生球場での阪急戦でプロ6年目の良川投手が念願の初勝利を挙げた。先発の谷投手が5回途中で降板し二番手で良川が中継ぎ最後の2イニングを住友が投げて勝利した。西武をクビになり苦労した良川にとって待ちに待った初勝利だった。が、なんと住友は自分が勝利投手だと思い込みウィニングボールををスタンドへ投げ入れてしまった。直ぐに良川が勝利投手だと知らされるが後の祭り。急いでボールを探したが見つかる筈もない。「申し訳ない!」と平身低頭する住友であった。


いつも追っ手の足音を感じていた大石…大石が遂に世界の盗塁王・福本の牙城を崩し見事に盗塁王のタイトルを奪取した。昨季はシーズン終盤まで大石は福本をリードしていたが最後の最後で福本が1試合4盗塁の離れ業で逆転しタイトルを死守した。それだけに「5~6個はリードしてないと安心できません」の言葉通り5個差の60個で盗塁王のタイトルを手にした。しかし最終試合直前、得意の人工芝球場で荒稼ぎするまでは福本の足音が気が気ではなかった。来季は一転、最初から追われる立場となる。福本がいる限りゆっくり前だけを見つめて走り回れる事は無さそうだ。

珍プレーで名を上げた羽田耕一…羽田は決して守備が下手な訳ではない。昭和55年にパ・リーグを制覇した頃は大リーグの名手・ネトルズ(ヤ軍)になぞらえて「和製ネトルズ」と呼ばれていた程だ。ところが近頃フジテレビのプロ野球ニュース内の珍プレーのコーナーで羽田がゴロをトンネルする場面が繰り返し放送されると一躍全国区の人気者に。シーズンが終了しても特番に呼ばれ改めて特集を組まれると「羽田=珍プレー」がすっかりお茶の間に定着してしまった。本人は「皆さんに名前を憶えてもらえるのは嬉しいですけど、さすがにもういいですわ」と少々困惑顔の羽田であった。

妻の誕生日に「額の傷」を増やした鈴木啓…7月8日の平和台球場。マウンド上には通算 500被本塁打にあと1本となった鈴木投手がいた。「ワシは打者に真っ向勝負を挑むから一発を喰らう事が多いんや。並みの投手ならここまで打たれる前にクビになっとるで」と常々言っていた。そしてこの日、相手にとって不足はない門田(南海)に右中間席に運ばれ遂に500本目を献上した。試合もこの一発が効いて3対4で敗れた。鈴木は試合終了後「今朝、何気なく新聞の日付を見たら女房の誕生日だった。すっかり忘れてて…」と明かした。誕生日プレゼントは用意しておらず勝ち星で勘弁してもらおうとしたが門田の本塁打でフイに。宿舎に帰り恵子夫人に「大阪に戻ったら食事でも」と詫びの電話を入れた。「ワシにとって被本塁打は男の向う傷や」と胸を張っていた鈴木もこの日ばかりは打たれてガックリ気を落とした。

最後まで口下手だった関口監督…10月21日、藤井寺球場内で辞任の記者会見に臨んだ関口監督。 " 仏のセキさん " と呼ばれているが実は物凄い熱血漢だが口数は決して多くはなく常々「ワシは口下手だから人前で話すのが苦手で…」と言っていた。そんな関口監督がかしこまった場で話す事に。「チーム管理が上手くいかず西武に独走を許した責任は…やはり監督である自分にあり…」と身体の中のたぎる血を抑えながら慎重に " 仏 " を最後まで貫き、静かに35年間も着続けたユニフォームを脱いだ。
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# 387 色々ありました 日本ハムファイターズ編

2015年08月12日 | 1983 年 
8月には優勝戦線から完全に脱落し、後は個人記録に目標を絞る事となりチームは3位。個人タイトルは二村と島田誠の2人だけと不甲斐ない1年だった。


320万円の靴で稼いだ34S…宿敵・西武に春先から独走を許し最終的に「20.5 ゲーム差」の3位に甘んじた中で唯一、守護神・江夏の2勝34Sだけは年俸7千8百万円に見合った成績だろう。思い起こせば昨年の西武とのプレーオフで片平、テリーの左打者にプッシュバントを決められ屈辱の涙を流した。苦手のフィールディングを突かれたのを教訓に今季は福本(阪急)や島田誠(日ハム)といった韋駄天が特注しているカンガルーのバックスキンで作られている軽量スパイクを40足もあつらえた。1足が8万円もするので計320万円の出費である。そのお蔭もあってか5年連続最優秀救援投手のタイトルこそ森(西武)に譲ったが2勝4敗34Sは合格点。シーズン終盤まで森とデッドヒートを繰り広げセーブ数は同じだったが最後は勝利ポイントの差で敗れた。「このタイトルだけは死守しようとしたが…来年も逃すようなら潔くユニフォームを脱ぐ」とまで宣言した。

9年目で花開く…プロ8年目の昨季、初めての一軍で4勝を上げた川原投手が今季は一気にチームの勝ち頭(11勝)に登りつめた。昨季同様に中継ぎ、敗戦処理で黙々と登板しているとあれよあれよと言う間に勝ち星がついていた。しかも東尾(西武)とシーズン終盤まで防御率のタイトルを争うまでに成長した。5月末に中指の爪を割るアクシデントに見舞われたが球宴後には破竹の5連勝。8月には6勝1敗1Sで月間MVPに選出された。「本当にやり甲斐のあるシーズンでした。初めて表彰されて終盤には2試合先発させてもらい感謝しています。防御率のタイトルは逃しましたがプロでやっていく自信がつきました」と充実した1年を振り返る。来季は植村新監督の下、先発・中継ぎ・抑えの何にでも挑戦する覚悟でいる。

チャボの快進撃…1㍍68㌢、66㌔ の小兵・島田誠が暴れまくった。先ず昨季までのプロ6年間で通算23本塁打だった非力男が今季は一気に14本塁打の大変身。加えて年間150安打はクリア出来なかったが自己最多となる148安打を放ち打率も三度目の3割を越えた(3割3厘)。更にダイアモンドグラブ賞にベストナインにも選ばれた。「大石(近鉄)に盗塁王は譲ったが来季こそタイトルを獲る」と高らかに宣言した。初の " 後楽園MVP " にも輝いた理由の一つが7年間で通算245盗塁、平均でも35盗塁した俊足である。どうやら切り込み隊長の活躍次第が来季の日ハムの浮沈を握っているようだ。

ここにも原因があった…「不振の原因は何かと問われても…要は力不足って事」と自虐的に話すのは今季まったく精彩を欠いた柏原。独走した西武が春先から両外人や田淵の活躍で波に乗ったのと対照的に日ハムの主砲・柏原の不振は目を覆わんばかりだった。好機に確実に適時打で得点する西武、同じく好機に凡打やゲッツーの日ハムでは勝負にならない。特に柏原は今季21個の併殺打ときては「純一が1本打ってれば状況は違ったな」と大沢監督の嘆きも頷ける。キャプテンの体たらくはそのままチームの低迷に直結したのである。

あと3つ残して…武蔵坊弁慶の " 千人斬りは " 牛若丸によって、あと一人で阻まれた訳だが高橋一投手は史上10人目の2千奪三振の快挙を自らの意志で絶った。プロ19年目、巨人時代から右打者の外角低目に逃げていくスクリューボールを武器に公式戦や日本シリーズで8度も胴上げ投手になった。通算 595試合・167勝132敗12S・防御率 3.18 の数字を残し、あと3個で2千奪三振だったが「もう体力も気力も無くなった」とユニフォームを脱いだ。周囲はまだやれる、せめて三振の記録を達成してからでもと説得したが本人は「もう未練は無い」とキッパリ。いや~惜しい。実に惜しい…
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# 386 色々ありました 阪急ブレーブス編

2015年08月05日 | 1983 年 
今季は2位になったと言っても優勝した西武には大差をつけられた。低迷と言っていい今季だったが暗い話題ばかりではなかった。水谷の打点王、蓑田の快記録など明るい話題もあった1年を振り返る。


2人の息子のお蔭です…打線の主役は水谷だった。広島から移籍1年目で初めてのパ・リーグ投手を相手に打点王を獲った。水谷を支えたのが長男・一郎くん(4歳)で西宮球場で土・日曜日に試合がある日は欠かさず駆けつけ声援を送った。水谷パパは「息子にあれだけ応援されたら打たん訳にいかんやろ。それに加えて今年はもう1人 " 息子 " が増えたからな」と。" 息子" とは5月に購入したベンツ(ちなみにお値段は1千万円也)。まるで愛おしい我が子のように可愛がり西宮球場に乗って来る。ところが買って1ヶ月も経たないうちに心無いファンに傷をつけられ大ショック。修理代は100万円ほどかかり「野球の方は上手い事いったのに…ホンマ、今思い出しても頭にくるワ」と怒りは治まっていない。来季プロ15年目を迎えるベテランは通算1500本安打と250号本塁打を是非とも達成したいと目論んでいる。

夫人の理解あればこそ…水谷に負けず劣らずの活躍を見せたのが蓑田。史上4人目となる「3割・30本塁打・30盗塁」の快挙を成し遂げた。奇遇にも蓑田も5月に水谷同様に新車を購入した。こちらはボルボでお値段は1千万円を少し越える。知人の紹介で購入したのだが実は真実子夫人には事後承諾だった。「プロ入りを決めた時も女房には相談しなかった。男の決断に女は関係ないよ」と亭主関白ぶりをチラリ。少々格好つけ過ぎかもと思われるがこれが蓑田の生き方なのだ。5年前に購入した我が家(5千万円)のローンに加え借金が増える事となり「借金は全然減らんわ。でもこれが俺の原動力で追い込まれた方がやる気が増す」と一笑に付す。苦手の夏場は鹿角霊芝なる漢方薬を服用しベスト体重を維持、加えて真実子夫人お手製の鍋料理で暑い季節を乗り切った。夫人の内助の功があればこその大記録達成だった。

贅沢は禁物です…弱体投手陣と言われた中で奮闘した一人が今井投手。シンカーを駆使して6月には月間MVPに選ばれる活躍だった。好調の秘訣は恵美子夫人の手作り料理。子供や奥さんたちの朝食はパン中心だが今井は「特に好物はないけど米にはうるさい方やね。味噌もやっぱり故郷(新潟)のがいい。贅沢して美味いものばっかり喰ってちゃ良い成績は残せんのや」と頑固一徹ごはん党。そんな今井を恵美子夫人に採点してもらうと「100点」との答え。「皆は俺の事を大酒飲みと言うけど家では大人しいもんやで。ビール1本でエエ気分になる」と100点は当然とばかり大きな顔。もっとも酒好きなのは相変わらずでブランデーを緑茶で割った " 雄ちゃんカクテル " なるものを考案して山田や松永に盛んに勧めて「これを飲めば次の日は必ずエエ結果が出る。山田なら完封、松永なら猛打賞やで」と底抜けに明るい今井だった。

オフの主役は懲り懲り…今季は主役になれなかった山田投手だがオフに突入するや主役に躍り出た。阪神や巨人をはじめ数球団からトレード話が舞い込んだのだ。開幕から7試合連続完投しつつも1勝6敗と勝ち運に見放された。これだけ出足しの悪いシーズンは経験していない。「私が球場へ行くと勝つ確率が高いのに主人は『来るな』の一点張り。素直じゃないんだから」と幸枝夫人はその頃しきりに山田を説得したが山田は「夫が苦しんでいる姿を女房に見せてどうする」と頑として受け付けなかった。更に6月には右肩痛で1ヶ月間の戦線離脱。「1ヶ月間何もしなかったのが良かったのか後半戦に7連勝出来たけどトータルで見たら今年ほど苦しいシーズンはなかった」と振り返る。オフシーズンはゴルフ三昧の毎日を過ごし「トレード話もそろそろ落ち着くだろうし後はノンビリさせてもらう。来年こそ200イニング・20勝してシーズンの主役になりたいね。オフの主役はコリゴリや」と山田は苦笑いする。
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# 385 色々ありました 西武ライオンズ編

2015年07月29日 | 1983 年 



1983年ペナントレースはパ・リーグは西武、セ・リーグは巨人が制し日本一は西武。日本一になれなかった他の11球団は勿論、勝った西武にも色んな事があった1年だった。そんな人と事件で綴る小噺集である。


宿敵・巨人を倒し2年連続日本一を成し遂げた西武。今年を振り返りながら数々の話題を提供してくれた諸氏を讃え、次なる賞を贈りたい

よく眠れたで賞…昭和53年のヤクルト初優勝を含め3度リーグ優勝を果たした広岡監督。10月10日、本拠地で阪急に勝利した後、次のように苦笑いした。「今年ほど楽なシーズンはなかった。悩んで眠れぬという夜は一度もなかった。こんな楽に優勝してしまっていいのか、と違う意味で悩んだくらい」と話すほど余裕の優勝だった。開幕後に首位に立つやそのまま2位以下に大差をつけて独走。毎晩ぐっすり眠りにつく事が出来ました。

長嶋を超えたで賞…5月24日から29日までの大阪遠征で田淵が嘗て阪神時代に人気を集めた関西でホームランフィーバーを巻き起こした。26日に木下投手(阪急)から通算444号を放った。これで大卒選手として最多の長嶋氏の記録に並んだ。28日には山内孝投手(南海)から445号を放ち長嶋氏を超えた。5月の月間MVPにも選出され「憧れの長嶋さんに追いつき追い越せてこんな感激は生涯初」と満面の笑顔。

耐えたで賞…松沼兄が8月4日にプロ入り初となる二軍落ちとなった。7月末の球宴期間中に自らの不注意で左外腹斜筋挫傷を痛めてしまった。幸い軽傷だったがそれが日頃から自己管理に厳しい広岡監督の怒りを買ってしまったのだ。「ちょうど兄弟100勝がかかっていた時期でショックだったし弟に負担をかけてしまって申し訳なかった」と振り返る。それを糧に奮起し日本シリーズでの開幕投手を勝ち取った。

怒って完封したで賞…北の街・札幌で監督とエースの対立が勃発?7月16日、東尾投手は南海を相手に再三のピンチを切り抜け完封勝利。前日に東尾は球宴の監督推薦に漏れ少々オカンムリで広岡監督との勝利の握手の際も表情はブスッとしたまま。そんな東尾を広岡監督は「普段は喜怒哀楽が表情に出る東尾が今日は終始無表情で良かったね。投手はあれくらいポーカーフェイスじゃないと」と皮肉たっぷり。

冷たい目で賞…広岡監督に加え森ヘッドコーチの冷たい視線は時として大きな効果を生んだ。入団早々に洗礼を浴びたのが期待の左腕・野口投手。当初の即戦力の期待を裏切り二軍で燻っていたが5月になり一軍で打撃投手を務めたが「2人の視線が怖くて…」と意識過剰になり本職の方はサッパリな1年となった。その視線を生かしたのが松沼弟で「マウンドにいてベンチから冷たい視線を浴びせられる度に必死に投げましたよ」と奮起し15勝も出来たのは2人の視線のお蔭かも?

ズッコケで賞…「ありゃ珍プレーでしょうな」普段の試合後は寡黙な広岡監督が珍しく自分から報道陣に話しかけた。5月31日の日ハム戦の6回裏、走者一塁でソレイタが放った打球はフラフラと遊撃・石毛の後方へ。捕球に走る石毛と中堅手・岡村が激突して落球。ここまではよくあるプレーだったが急いで球を拾った岡村が三塁へ送球したがその球が山崎の背中へドスン。もんどりうって苦痛に顔を歪める山崎を尻目に走者はホームイン。「いやぁ~焦っちゃって…」と岡村は平身低頭。相手ベンチの日ハムナインが大爆笑していたのは勿論の事である。

魔術で賞…とっておきの西武のお家芸が隠し球である。役者は山崎と片平で「年に2~3回はやっている(山崎)」らしい。今季は8月21日の南海戦で山本和をカモった。6回一死に右前打で出塁した山本、山崎は右翼手のテリーから返球された球を素知らぬ顔でグローブの中に忍ばせた。高橋投手がセットポジションに入る仕草を見て山本が離塁するや片平に送球しタッチアウト。茫然とする山本。「さすが山崎、とぼけるのは超一流だ!」と西武ベンチからヤンヤの喝采を浴びた。
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# 384 今年を彩った男たち ②

2015年07月22日 | 1983 年 



落合博満(ロッテ)…今季ラストゲームの10月18日の日ハム戦後に「やる事は全部やった。後は天に任せるだけだよ」と笑顔を見せたが取り囲んだ報道陣は意外であった。9回裏に西村の代打で登場したが江夏に右飛に打ち取られ打率を1厘下げ、打率2位のスティーブ(西武)が5厘差まで迫って来ておりさぞかし不機嫌な対応をするものと思っていたからだ。「ここ2試合は欠場し急に代打を告げられて準備不足だった。今季の最後を綺麗に締めくくりたったけど残念だった。でも悔いはないよ、全力を尽くしたシーズンだったから」と涼しい顔。それだけ落合には自信があったのであろう。報道陣が電卓片手に打率の計算に懸命になっていたが落合本人の頭の中ではスティーブが残り4試合で12打数7安打以上をマークしないと落合を越えられないのを既に把握していたのであろう。

振り返れば今季ほど落合にとって苦しいシーズンはなかった。キャンプ中に苦手の内角高目の球をドライブをかけて左翼線いっぱいに落とす新打法を試みたがこれが災いした。開幕してからの1ヶ月は2割7分台を行ったり来たり。得意の外角打ちも影を潜めてしまった。史上初の4割どころか3年連続の首位打者すら厳しい状態だった。試行錯誤を繰り返していた7月上旬の金沢遠征中に急遽フォームを元に戻した。顔の正面でバットを構えていたのをオーソドックスにし重心を下げてクローズドスタンスに。これを機に落合のバットから快音が再び聞かれるようになり球宴直前には打率を3割台に戻した。苦しい夏場も徹底した体調管理で乗り切り8月13日からの阪急戦の札幌遠征では2試合で7打数5安打し3割2分台まで打率を上げ、いよいよトップに踊り出るかと思われた8月31日の阪急戦でアクシデントが起きた。

打球を右手首に受けたのだ。幸い骨には異常はなく打撲で済んだが9試合欠場を余儀なくされた。好調だった打撃に悪影響が出るのではとの心配をよそに復帰後も打ちまくった。10月4日の日ハム戦で5打数3安打の固め打ちで3割3分3厘とし遂に112試合目にしてトップの座に帰り咲いた。以降、クルーズ(日ハム)とスティーブ(西武)との三つ巴の戦いが展開されたが落合が逃げ切り自己最高打率3割3分2厘で3年連続首位打者に輝いた。改めて今季を振り返って落合は「フォーム改造は長い目で見たら無駄ではなかった。今のフォームがベストではないのは確か。いずれ変えるよ」と改造をまだ諦めてはいない。苦しみながらも長嶋、王、張本といった強打者たちの記録に並ぶ3年連続首位打者を成し遂げた意義は大きい。今後の夢は史上初の4割打者。「永遠のテーマだよ。チャレンジし続けたい」と話す落合は目を輝かせた。



三浦広之(阪急)…イバラの3年間だった。来る日も来る日もシャドーピッチングと球拾い、背番号「22」の栄光を憶えている嘗ての女性ファンの多くが今では子持ちの主婦族だ。昭和56年5月のある朝、洗面所で朝の支度をしていた時ビリッという嫌な音と共に右肩に激痛が走った。福島商からプロ入りした1年目に4勝、翌年は7勝と先ずは順調な滑り出しだった。しかし3年目に3勝と成績を落とすと以降は下降線を辿る事となり挙げ句に肩を痛めてしまった。「もう思い出したくもない。『生きながら葬られ…』てジャズソングがあるけど本当にそんな感じでした。それでも故障した翌年はまだ再起出来ると思ってました。でも現実は厳しくフォームを下手投げに変えたりもしたんですがね…」 ここ3年は一軍は勿論の事、二軍ですら登板の機会は無かった。肩の痛みは消えたが後遺症で投球フォームがバラバラになり嘗ての球速は影を潜めたのだ。

それでも毎年キャンプの頃には「今年こそ」と期待は大きかった。今年も高知キャンプでは好きな酒を断ち深夜まで宿舎のロビーでシャドーピッチングをする三浦の姿が目撃されている。ルーキー時の躍動的な力強い投球フォームのビデオを見て山口二軍投手コーチとマンツーマンで復活を目指した。23歳、日蔭生活が続いた青年なら人生の進路を今一度考え直さなければならない年齢である。「自分にプロ野球の世界で明日があるのか、と自問自答してみると不安な思いしか浮かんでこない。来年も二軍で球拾いするのかって…惨めですよ」と。心機一転、そんな三浦が出した結論がプロゴルファー転向だった。嘗て「球界の玉三郎」と持てはやされた男がドロに塗れる覚悟をしたのだ。ゴルフは2年前から始めた。球界でも指折りの運動神経の持ち主である三浦はみるみる腕を上げていった。

初めて出場した阪急グループ企業で構成されているブレーブス後援会のコンペでいきなり優勝した。その時のハンデは「24」だったが直ぐに「15」にまで下げられた。その腕前にゴルフ関係者が目を付けてゴルファー転向を打診したのだ。「ゴルフで食べていけるなんて考えもしなかったけどこのまま野球を続けても先は見えない。新天地にかけてみようと思います。僕にもプライドがありますからね」と気持ちは既に固まっている。だが両親をはじめ後援者の多くがゴルファー転向に反対している。10月15日に球団フロント陣や上田監督と話し合いの場を設け残留するよう説得されたが結論は出なかった。例え来季も現役を続けても見込みが低い事は本人が一番分かっており引退・退団は固い。球団からはフロント転身を薦められたが「まだ20代、表舞台から身を引くには早すぎる」と話す三浦は10月末にも進路を表明するつもりだ。



篠塚利夫(巨人)…10月15日の夜、東京・文京区役所を訪れた篠塚の脇には小柄でチャーミングな女性が寄り添っていた。二人揃って婚姻届を提出に来たのだ。このニュースは海を渡り大リーグのワールドシリーズ視察の為に米国にいた長嶋氏の耳に届いた。「へぇ~本当?いや今はじめて知ったよ」と公私共に恩師である長嶋氏は驚きを隠さなかった。同じ頃、日本でもスポーツ紙が一面でこの電撃入籍を報じ大騒ぎとなった。新婦は嘉津子さん(28歳)で妊娠2ヶ月だという。篠塚より2歳年上の姉さん女房で、母親は『月よりの使者』で看護婦役を演じた元映画女優の折原啓子さんで長女の嘉津子さんは母親譲りの美貌の持ち主。来年6月にはパパになる予定である。そんな目出度い時に野暮は承知で篠塚の最近3年ほどの私生活を振り返ってみる。

昭和55年12月、篠塚は当時の " 多摩川ギャル " と恋に落ち挙式の日取りも決まり幸せ一杯の筈だった。ところが挙式の9日前に突然の婚約解消。「性格が合いませんでした。彼女にも周囲にも迷惑をかけて申し訳ないです。心機一転、来年は野球に打ち込みます」と頭を下げた。その言葉通り翌年は打率.356 と首位打者こそ逃したが大ブレークして一流プレーヤーの仲間入りを果たした。で、その年(昭和57年)のオフに政美さん(前妻)と一緒になった。ただ1年前の事があっただけに挙式は延期し翌年12月に長嶋夫妻の媒酌で盛大な式を挙げた。「日本的でしっかりした女性。彼女の為にも今度こそ首位打者を獲りたい。子供もなるべく早く欲しいです」とアツアツぶりをアピールした。

ところがところが僅か8ヶ月後に政美さんは実家に戻ってしまった。「別居は事実です。理由は性格の不一致」と以前どこかで聞いた台詞。前年には甲斐甲斐しくテレビ中継をビデオ録画し藤田(阪神)との首位打者争いに内助の功を発揮していたのに。それはまた恩師である長嶋氏の顔に泥を塗る失態でもあった。しかし、まさかその時すでに新妻・嘉津子さんと恋の炎を燃え上がらせていたとは恐れ入る。余りの早業にただただ驚くばかりだ。感想を求められる藤田監督も困惑気味に「まぁ大人同士ですからね…今度こそ失敗を繰り返さないようにしっかりした家庭を築いて欲しい」と答えた。本人は「いろいろ言われるのは覚悟の上です」と " 三度目の正直 " にかける。
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# 383 今年を彩った男たち ①

2015年07月15日 | 1983 年 



ペナントレースも終わり今はもうすっかり秋。振り返るまでもなくあの試合、あの場面が手に取るように甦っても来る。選手もまた同じ。バラ色の落合もいればここにきて自らの人生に方向転換を計ろうという三浦らもいる。彼らの笑みと苦悩の軌跡を追ってみる。


衣笠祥雄(広島)…12年連続の全試合出場。今季を終えて連続試合出場記録は1695試合。とてつもない記録であり来季以降も伸びて行くに違いない。恐らく王貞治の本塁打記録と共に日本球界不滅の大記録になるだろう。ただ今年も打率3割の壁を越える事が出来なかった。「俺の毎年の目標は沢山のヒットとホームランを打つ事だ」と特に打率には拘っていないよう振舞うがそれは強がりに過ぎない。ゴルフ界のヒーロー・青木功が今年16年間のプロ生活でどうしても欲しかった日本オープンのタイトルを取った。過去に「欲しい、とにかく欲しい。お金で買えるなら幾らでも出す」とまで言っていたタイトルだ。恐らく衣笠も「3割」に対して同じ心境だろう。まして衣笠はプロ19年目であり青木以上かもしれない。

今年はチャンスだった。3割の大台を常にキープし晴れて2000本安打も達成し勢いを持続出来ていた。このまま行けばまさに両手に花だった筈が野球の神様は意地悪だった。死球を受けて左手親指を骨折したのだ。実は当初はさほど痛みを感じず単なる打撲と勝手に判断し病院にも行かなかった。しかし10月に入ると徐々に痛み出し満足にバットが振れないようになる。連続試合出場の記録さえ無ければ試合を欠場できるがそうはいかない。打率はみるみる落ち始めてとうとう3割を切ってしまった。3割死守にもがく衣笠を一番熱烈に応援したのは担当記者の面々だった。

3割1分前後をキープしていた頃には衣笠がプレッシャーを感じないよう極力本人の前で打率の話は避けていた。10月になりズルズルと打率が落ち始めると記者達が " 臨時打撃コーチ " になりアドバイスを送ったりしていた。その頃はまだ骨折の事実が知らされていなかった為「そのうち打てるさ」「何ならバントヒットを狙ってみたら」などと多くの記者が冗談半分で茶化していたりした。そして安打か失策か際どい打球で出塁すると公式記録員のジャッジを固唾を飲んで待ち、失策とされると「安打にしてやれよ」と落胆した。1年中、衣笠の傍にいるので本人の苦悩が手に取るように分かり他人事でなくなったのである。敵・味方関係なく愛される衣笠ならではだ。

しかしそんな願いも虚しく今年も打率3割は達成出来なかった。だがこれこそ衣笠らしいと言えるのではないだろうか。3割を打っては衣笠ではない。「不死鳥」「鉄人」「豪快な空振り」などと並んで「3割を打てない」も立派な衣笠の代名詞なのである。3割を打ったら万人に愛される衣笠ではなくなるのである。衣笠は打率3割を自らに課した永遠のテーマにしているが3割以上に本人はプロ入り以来「遠くに飛ばす」事に重きを置いている。フルスイングの結果に3割を達成する事こそが男子の本懐なのである。来季はプロ20年目の節目の年。「よっしゃ、来年は20周年記念で3割達成だ」と言い放つ。1月には37歳になるベテランにバット置く気は毛頭ない。



荒木大輔…屈辱のJr.オールスター戦。あの時のキッとした表情が忘れられない。7月22日、後楽園球場で全イースタンの先発として登板したが定岡(広島)に先頭打者本塁打を喫した。降板後のインタビューで記者から「公式戦じゃないし大して悔しくはない?」と問われるとそれまではにかみながら答えていた荒木が目を吊り上げ「悔しいに決まっているでしょ。僕は打たれようとして投げている訳じゃないですから」と語気を荒げた。厳しい言葉の響きに生きるか死ぬかのプロの世界に身を置いている事を改めて実感した。人気だけが先行して実力が追いついていない、そんなイメージを払拭する為にも打たれてはいけなかった。それなのに・・「相手が甲子園で投げ合った畠山(南海)だったでしょ。口では意識していないと言っていたけどやっぱり…」と悔しさを滲ませる。その畠山が3回をピシャリと抑えてMVPに輝いただけに悔しさは倍増だ。

荒木の周囲には常に人気と実力のギャップが纏わりついた1年だった。球団そして首脳陣は腫れ物に触るように破格な扱いに終始した。それは7年前のサッシーこと酒井投手の比ではなかった。キャンプ前から激励会、後援会の発足、引きも切らない取材攻勢、そしてCM出演。しかも親会社より先に他社製品のCMに出演するのは異例中の異例。忙殺される日々に荒木に心底からの笑顔は無かった。その端正な顔に会心の笑顔が初めて広がったのは5月19日、神宮球場での阪神戦でプロ初勝利を上げた時だった。予告先発、少し前の5月9日に19歳になったばかりの荒木にこれまで経験した事のない重圧がのしかかったが、5回を3安打無失点に抑え大杉の本塁打による1点を守り勝利を手にした。

試合後の会見で「新人王?まだ1つ勝っただけでそんな大それた事・・今はずっと一軍で投げられるよう頑張るだけです」と語っていたが実はその時に言わなかった感想を後になって話している。それは「1つ勝つ事の難しさと怖さが分かった」と打ち明けた。チームの方針で実力不足は明らかなのに一軍に帯同し自分が納得出来る練習もままならず興味と嫉妬の視線に常に晒され、不本意ながら言われるがままに投球フォームを幾度に渡り改造された挙げ句に結果を出さないと「所詮は人寄せパンダ」と酷評された。

自分は何をすればいいのかすら分からないまま一軍で開幕を迎えた。首脳陣はなるべく負担が少ない負け試合の中継ぎで起用しプロの世界に馴染めるよう努め、荒木もまたそれに応えて一応の結果を出して挑んだプロ初先発。自分を勝たせる為に周囲の大人がどれだけ気を使っているかを記念すべき日を境に思い知る事になった。首脳陣の狙いは既に今季ではなく来季以降に大きく伸ばす事にあると荒木にも分かる。投球回数は28回 2/3 と新人王の資格を来季に持ち越して今季を終えた。「監督さんの配慮はとても嬉しいです。せっかくですから来年の開幕前には " (新人王を)狙ってみたい " と言えるよう頑張りたいです」とその間に横たわるハードルが高い事は百も承知で荒木は力強く答えた。
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# 382 男の決断

2015年07月08日 | 1983 年 



プロ野球ペナントレースも終盤、あと少しで日本シリーズが始まる。多くのファンが日本一をかけた戦いに注目が集まる時、2人のスター選手が自らを顧みている。 " 巨人キラー " の平松(大洋)と " 月に向かって打て " の大杉(ヤクルト)である。2人の周辺を追ってみた。


大杉勝男…「野球をやめてちょうだい」 芳子夫人は涙ぐんで訴えた。だがこの男は打席に立った。そして再び襲った不整脈。そして倒れた・・それでも来季もやるという。男・38歳の " かすみ草 " はそう簡単に引き下がれない。「ONがヒマワリでノムさんが月見草なら俺は神宮に咲くかすみ草だ」と大杉が一世一代の名台詞を吐いたのは史上5人目の通算1500打点を池谷(広島)からの20号本塁打で達成した8月21日での事だ。誇らしさの中に大杉独特のユーモアを交えたのだが、この時すでに大杉は病に侵されていた。19年目の今シーズン、キャンプでの出遅れが原因で決して順調なスタートではなかった。初スタメンは11試合目で徐々に調子を取り戻し次々と記録を達成していく事となる。

史上初となるセパ両リーグ 1000本安打(6月3日)、通算4000塁打(8月6日)、両リーグ 1000試合出場(8月8日)、そして前述の通算1500打点。大杉が身体の変調を最初に感じたのは記録達成ラッシュ中の8月2日の広島戦の試合中で昨年の夏に一度経験していた不整脈の発作だった。ただ今回は周囲に知られずに済んだ。「まずい、例のヤツだと思ったけどチームが大事な時期だったから」と不安を押し殺し翌3日は小倉、4日は広島へと移動し3連戦を何とか終えた。だが4日の試合後の大杉は他のナインが足早にベンチ裏へ引き上げるのと対照的にベンチ内の長イスにぐったりと腰を下ろしたまま苦しげな表情で動けずにいた。周囲は異変に気づく事となる。

「俺から監督に言ったんだ。しんどくてバットが振れないって」しかし大杉は試合に出続けた。ボロボロの身体を記録達成への気力だけで支えていた。そして8月8日の「両リーグ 1000試合出場」を達成した試合の途中で交代した。まだ病を公にしていなかったが試合後の「途中交代?余りに興奮し過ぎて足が縺れちゃって…」は今となると大杉の心の奥が透けて見えるようで忍びない。この頃の芳子夫人は「何もそんな身体で…。もう野球をやめて下さい」と涙ながらに何度も懇願したという。しかし大杉は試合に出続けたが遂に限界がやって来た。9月29日、広島市民球場内で発作を起こし救急車で広島県立病院に搬送され緊急入院した。帰京後の10月3日に代々木の中央鉄道病院で精密検査を受け「発作性心房細動」と診断された。

過労やストレスが発作の原因で運動は厳禁レベルの病状だった。現在は安静と軽いジョギングを繰り返し薬餌療法をしながら定期健診を受ける毎日を過ごしている。「とにかく今は治す事だけ考えている。引退?冗談じゃない、来年もやるよ」と周囲の心配をよそに時折思い出したように愛用の950g のバットを握り絞める。来年3月で39歳となる大杉にとって来季は引退を賭けてのシーズンとなるだろう。一昨年に名球会入りした打撃の職人がその集大成をファンの瞼に姿を焼き付ける。来季のシーズン第1号本塁打は史上初の両リーグ200本塁打となる。




平松政次…ホエールズのエースに君臨してきたプロ12年生の平松が今シーズン終了を目前にして揺れている。「ボロボロになってまでプレーしたくない。僕にもプライドがあるし引き際は綺麗にと常々考えてきた」 平松はユニフォームを脱ぐ時期を決めかねている。実は今年の正月、自主トレを前にして平松は「(あと8勝の)200勝出来たらユニフォームを脱ぎたい。今の力からして8勝くらいが精一杯だろう。遠くも近くもない丁度いい目標だし肩の状態もシンドイ…」と早々に引退宣言をしていた。そして開幕。キャンプで右足内転筋を痛め一軍合流が1ヶ月遅れたものの5月19日の巨人戦で初勝利を完封で飾ると球宴前の7月21日の広島戦までの2ヶ月で5勝し通算200勝達成は間近と思われた。

ところが後半戦に入るとまるで勝利の女神が平松を引退させまいとしているかのようにパタッと勝てなくなる。8月、9月を過ぎても勝ち星は挙げられず「今年はもう無理だ」と本人も半ば諦めるとその開き直りが良かったのか10月に入ると勝ち運が戻って来た。トントンと連勝しあと1勝(10月10日現在)にまで迫っている。今シーズン終了までまだ2~3回は先発する機会が残っており順調なら今年で引退は間違いのない様相になってきた。ところがここにきて引退を思い留まるよう説得する動きが出始める。先ず現場の責任者である関根監督が反対の狼煙を上げた。確かに平松の存在は大きい。今季は開幕から巨人戦は6連敗、その嫌な流れを止めたのが平松であり目下のところ平松の代役が務まる若手投手は見当たらない。更に中部オーナーまでもが「平松や辻はウチにとってまだまだ貴重な戦力。そう簡単に辞められては困る」と引退に異議を唱え始めた。

そんな現場だけでなく身内の家族からも「まだ引退は早い」と待ったの声が出た。平松ら6人兄弟を女手ひとつで育てた母親・ます江さんは「これまで何とかプロの世界でやってこられたのは監督さんはじめチームの皆さんのお蔭であるのを忘れてはいけない。それを自分の勝手だけで引退しては周囲を裏切る事になる。よく話し合ってチームに迷惑のかからない結論を出して欲しい」と。平松にとって誰よりも頭の上がらない母親の言葉だけに影響は大きい。更に「まだ子供も小さい(長女5歳・次女3歳)のでまだまだ頑張って欲しい」と洋子夫人も引退反対派。ここまで内外から引退に反対されると本人も「ウ~ン、参っちゃうねぇ」と困惑顔。

実は引退に関して平松には " 前科 " がある。昨年5月に持病である右肩痛を発症した際に遠征先の名古屋市内の宿舎で関根監督に引退を申し出ている。その時は関根監督が必死に思い留まるよう説得して事なきを得た。ただ今年は持病の肩痛に加えて精神的要素も加味されている。「目標(200勝)を達成した後の自分に自信が持てないんだ。負けても悔しくならないというか抜け殻のようになってしまうのが怖い」と不安を吐露する。目ざといマスコミ界は今季の引退を想定して早くも2社ほどが「是非ウチに」と声をかけている。オールスター戦や日本シリーズでのゲスト解説で喋りの達者ぶりは証明済みで引く手あまたなのだ。平松の決断が下されるまで大洋ファンの落ち着かない日々は続く。
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# 381 ドラフト展望 ⑤

2015年07月01日 | 1983 年 
【阪神タイガース】:高野、池田、和田、とにかく投手が欲しい…元々が弱体投手陣の所に加えてエースの小林が突然引退してしまい何が何でも投手の補強が必要となった。❶高野(東海大)❷池田(日産)❸和田(法大)❹中西(リッカー)これが大雑把に見ての1位指名入札候補(順番は現段階でのスカウト陣の評価)である。とにかく " 今すぐ使える投手 " が必要なのだ。「マスコミの皆さんは宣伝上手だから名前の出た投手は全員が直ぐにでも2ケタ勝てるように勘違いするけど実際は社会人出身でも2~3年は鍛える必要がある」が安藤監督の持論だがこれはここ数年の「即戦力」の筈だった中田や大町あたりでの実体験から得た結論であろうか?

安藤監督の意見を好意的に受け取ればドラフトだけではなくトレードも含めた補強に目途が立っているのかもしれない。何はともあれ投手を指名するのは間違いなく抽選次第では水野(池田)や仲田幸(興南)といった高校生も1位指名と成り得る。また「投手、投手と言いますが長期的なチーム展望からすれば野手も補充しなければならない(小林スカウト部長)」から池山(市立尼崎)を狙う動きもある。昨年の1位は木戸の単独指名に成功した。それは田丸・小林両スカウトの法大OBラインの賜物だったが今年も和田(法大)獲得に大いに利用する腹づもりだ。



【中日ドラゴンズ】:藤王は譲れないが山内新監督は投手に未練…近年の中日のドラフトで今年ほど方針が明確な年はない。1位指名入札は地元の藤王(享栄)以外あり得ない。「ポスト谷沢は彼しかいない(田村スカウト部長)」「何が何でも藤王を獲れ(堀田球団社長)」と日を追って藤王獲得熱はヒートアップしている。球団は故障中で出番の無かった水谷投手を6月にスカウトに転身させ藤王番としてピッタリマークさせている。その水谷は11月のスカウト会議で「外堀はほぼ埋めた。両親は勿論、学校関係者の支持は取付けた」と豪語した。藤王獲りは中日本社の意地とメンツがかかっている。

フロント主導となった今年のドラフト。新任の山内監督と言えども口を挟む余地はない。山内監督は「守ってこそ野球」と高野(東海大)や水野(池田)の名前を挙げているが、過去に槙原(巨人)や工藤(西武)をミスミス他球団に獲られた事に東海地区の反発は強く再び地元のスター選手を逃がしたら堀田球団社長の責任問題に発展しかねない。首尾よく藤王を獲得できた後は野中・紀藤(共に中京)、仲田幸(興南)、池山(市立尼崎)、穴吹・林(共に岐阜第一)、伊藤(享栄)あたりを獲得する狙いだ。



【ヤクルトスワローズ】:水野に御執心。一方で左腕投手と捕手に色目…中途半端な即戦力よりもパワーとスピードに溢れた素材の獲得、これが今ドラフトの方針だ。田口スカウトの「朝9時の新幹線に乗って午後2時くらいに着く所にいる選手が欲しい」によるとそれは水野(池田)という事になる。パワーとスピードの条件にピタリと嵌り人気も申し分なし。また使える左腕がベテランの梶間ひとりという事情から将来のエース候補として小野(創価)や仲田幸(興南)もリストアップされている。チームの弱点は捕手陣にもあり大矢が兼任コーチとなった以降は八重樫ひとりと心もとない。そこで仲田秀(興南)、野村(熊本工)を調査中だ。

野手に関しては武上監督から「内野手でチームリーダーになれる選手が欲しい。出来れば大学で揉まれていて統率力のある選手を獲って欲しい」と注文が出されている。主将、もしくは副主将で全日本クラスとなると的は絞られてくる。主将を務めた銚子(法大)か白井(駒大)、或いは小早川(法大)か西浦(近大)あたり。このうち銚子は大洋が1位に指名するのではとの情報があり分析を進めている。「とにかく欲しい選手を指名する。重複も覚悟だ(田口スカウト)」と昨年は荒木を抽選で獲得しているだけに運には自信があるようだ。
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# 380 ドラフト展望 ④

2015年06月24日 | 1983 年 
【読売ジャイアンツ】:駒田・吉村がいるから藤王はない。狙いは水野… " 王野球 " は間違いなく攻撃主体となる筈でドラフト戦略もパワフルな打者に狙いを定めていると思われがちだが内情は投手陣に不安を抱えており実際は投手に絞ったドラフトを展開するのではと言われている。そこで1位指名入札は原の後輩でもある高野(東海大)か或いは競合を嫌い水野(池田)に行く可能性が高い。特に水野は寧ろ打者としての評価の方が高く投手として使えなくても損は無いという訳。また高野同様に川端(東芝)や池田(日産)も1位候補だがスカウト陣は水野の将来性を評価している。

球団内には攻撃野球の色を出す為に藤王(享栄)を推す一部勢力もあるが同じ左打ちで成長著しい駒田や吉村がいては藤王の出番は無く、敢えて競合の危険を冒す必要はないとの意見が大勢だ。水野入札でもしも他球団と競合し抽選で外れた場合でも投手路線は変更せず渡辺(前橋工)や小野(創価)ら高校生を指名する予定。幸い槙原や駒田・吉村といった高卒選手が育ち活躍している事がアマチュア球界でも「巨人は育成も上手い」と評価されており交渉権さえ獲得出来れば入団に障害は無さそうだ。



【広島東洋カープ】:地元の小早川が既定路線だが一転高野も…野崎球団本部長が「ウチは藤王や」と報道陣を前に大見得を切っても誰ひとり信じていない。思い返せば昨年も野崎本部長は「木戸(現阪神)で行く」と言いながら実際は田中富(現日ハム)に入札した過去があるだけでなく今年は地元・広島市坂町出身の小早川(法大)以外は考えられない。小早川は卒業を前にしても一般企業への就職活動はせずプロ一本に絞り、しかも「カープが好き」と事実上の逆指名をし、木庭スカウト部長も「彼の気持ちに応えてやらんといかんでしょう」と相思相愛で他球団の付け入る隙は無いなのが現状なのだ。

万が一、他球団に獲られた場合は投手陣の強化が急がれるチーム事情から仲田幸(興南)、三浦(横浜商)、青木(東芝)もリストアップしている。更にV奪回が至上命令で後がない古葉監督が高野(東海大)を高く評価しており、どうしても欲しいと球団に直談判すれば急転直下、高野入札も可能性はゼロではない。また2位以下の隠し玉は板倉(早実)と紀藤(中京)。板倉のパンチ力は昨夏の甲子園大会で実証済み、紀藤に関しては中学生の頃から木庭スカウト部長がマークしていて同じ中京高の野中以上の評価をしている。



【横浜大洋ホエールズ】:投手力不足は相変わらず。狙いは青木か…4年ぶりのAクラス入りを果たしたが打線におんぶに抱っこの弱体投手陣の補強が今ドラフトの目標。青木(東芝)、池田(日産)、中西(リッカー)ら実績のある社会人投手がターゲットとされているが、昨年指名した関根との入団交渉の際に日産側と行き違いがあり一時トラブルになった事から池田獲得は難しいのではとの声がある。また野手陣も山下や田代の後継者作りが急務で藤王(享栄)、池山(市立尼崎)が候補となっているがこちらは即戦力というより将来性を見越しての指名を検討している。

銚子(法大)は法大野球部の監督を務めた事もある藤田省三氏と関根監督の法大OB人脈を活用して獲得を狙っている。他にも外野手の鶴岡(日産)や鈴木(東芝)もリストアップされているがやはり本命は投手でスカウト陣の評価が高い青木であろう。しかし現場の関根監督や小谷投手コーチは高野(東海大)に御執心で「大学の先輩でウチの遠藤に似てるけど球速は高野が上だね(小谷コーチ)」と諦めきれないようだ。「大物が少なく少数精鋭だけに誰に入札しても1位指名の重複は必至(湊谷スカウト部長)」と玉砕覚悟で高野入札も消えていない。
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# 379 ドラフト展望 ③

2015年06月17日 | 1983 年 
【近鉄バファローズ】:再建は投手陣から。岡本新監督は水野を希望…水野(池田)の1位指名を山崎球団代表が早々に打ち出している。当初は即戦力左腕投手に狙いを定めて西村(新日鉄広畑)、中村(拓銀)、小野(創価)、仲田(興南)らの調査を続けていたが依田投手をテストで獲得して状況が変わった。今季、南海が畠山を獲得し予告先発で観客動員数を増やした例を見倣って実力と人気を兼ね備えた水野が1位指名候補に一気にのし上がった。櫟コーチが池田高の蔦監督と同志社大の先輩・後輩の間柄で、その関係を生かし積極的なアプローチを続けている。

岡本新監督も「チーム再建は投手陣の立て直しが第一。ドラフトも投手中心にお願いしたい」と要望している。梶本スカウト部長は「今年は1位指名入札で競合を恐れる必要はない。仮に抽選に外れても順番的に入札と同レベルの選手を獲れる」と見ている。粒揃いと前評判が高い今年のドラフトの恩恵に与ろうという訳だ。一昨年、対外試合禁止処分を受けて1年間公式戦に出場出来ず他球団が指名を躊躇していた小山(天理)を獲得したように今年も同じ境遇の加藤(倉吉北)に目をつけている。「球のキレは一級品。実戦から遠ざかっているだけで素晴らしい素材(河西スカウト)」と高評価の加藤が隠し玉か。



【南海ホークス】:左腕不足で小野。ポスト門田で小早川・銚子…1位入札はズバリ、小野(創価)か。左腕投手不在解消が長年のチーム課題。そこで全スカウト・スコアラーがビデオを参考に検討した結果、小野の名前が急浮上してきた。勿論、仲田幸(興南)や西村(新日鉄広畑)も候補だったが仲田は甲子園で評価を下げ西村は伸びシロの点で消えた。ただ流動的な面が残っているのも確かでポスト門田の主軸を打てる野手を求める声も根強く候補は共に法大の小早川と銚子。特に銚子は名門・法大の主将を務める程のリーダーシップの持ち主で将来の幹部候補生にと球団は考えている。

一方で水野(池田)を推す声も球団フロント陣の中で少なくない。昨年、池田高の先輩・畠山を指名したが当初は畠山サイドが大学進学を打ち出して入団交渉は暗礁に乗り上げたが粘り強い交渉の末に獲得に成功した。その際に開拓した交渉窓口を水野にも使えるという訳だ。ただ畠山自身にある種の " 池田アレルギー " がある事が露呈した。それは今夏の甲子園大会中に母校の池田高の戦いぶりの感想を記者から求められると畠山は露骨に嫌な表情で「池田高時代の話はしたくない」と頑なにコメントを拒否した。記者達は「高校時代に何かあったのか?」と訝しがったが畠山は現在に至るまで無言を貫いている。なので池田高出身の水野との共闘は無さそうだ。



【ロッテオリオンズ】:人気・実力に長けた高野にチームの浮沈を賭ける…ロッテの来季は今年のドラフトにかかっている。8日のスカウト会議では「とにかく即戦力投手」を再確認した。それは剛腕・高野(東海大)の1位指名入札を意味している。三宅スカウト部長は一応「川端・青木(共に東芝)、池田(日産)も候補」としているが本命は高野一本だ。幸いな事に高野も「大学の先輩である井辺さんがいるので心強い」とロッテに対して悪い印象は持っていない。

しかし高野に最大5球団が入札すると予想されるだけに抽選に外れた場合の次善策が大事となる。当然、即戦力の川端・青木、池田が候補となるが競合を嫌って高野を回避し彼らに入札する球団があれば最悪だれも残っていないケースも考えられる。その場合は藤王(享栄)や小早川(法大)など好打者も揃っているが野手は見送って渡辺(前橋工)や小野(創価)とあくまでも投手に固執する腹づもりでいる。昨年はドラフト外も含めて10人が入団したが「来年は丙午で高校生が少なくなるのでその分今年も昨年並みの人数を獲得するつもり(三宅スカウト部長)」と今年もロッテは意欲的だ。
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# 378 ドラフト展望 ②

2015年06月10日 | 1983 年 



【西武ライオンズ】:スターは高校生から。将来のレオの星は藤王…「人気プラス実力」 これがドラフト1位指名の条件である。野球の能力だけではダメ、さらに人気が備わっていなければ常勝軍団の1位には相応しくないと言う訳だ。しかしどちらをも合わせ持った選手となると限られてくるのは当然で導かれる答えは藤王(享栄)となる。パンチ力は高校生レベルを遥かに越えている。「何よりもホームランを打てるのが魅力。プロはショーマンシップだから」と担当する毒島スカウトはゾッコン惚れ込んでいる。また「ポスト田淵のスターは高校生から(坂井球団代表)」と公言するフロント陣の思いとも一致しており、藤王1位指名は間違いないと思われていたがここにきて情勢が少し変わってきた。

スカウト陣内部から実力ナンバーワンの高野(東海大)を推す声が日毎に増してきていて、ドラフト会議に向けて根本管理部長は最終的判断を決断する前に今一度、全スカウト意見とフロント幹部の要望を取りまとめる必要に迫られている。ただ球団内の大勢は藤王指名で固まっており入札はほぼ確実だ。いずれにせよ野手の高齢化が進み世代交代が必至の為、2位以下も白井(駒大)・西浦(近大)・池山(市立尼崎)と野手中心で行く予定。野手に比べて余裕のある投手は青木(東芝)・加藤(国鉄名古屋)・小野(創価)・渡辺(前橋工)らが候補に挙がっている。



【阪急ブレーブス】:現場は高野ら即戦力だが水野の人気も捨て難い…人気か実力か、ハムレットの心境になっているのが今年のドラフトに賭けている阪急。観客動員数をアップさせるには高校野球界のヒーロー水野(池田)を獲得したい所だがそうもいかない台所事情を抱えている。今季の戦いぶりを見て即戦力の投手が必要不可欠なのは歴然で上田監督としては1人でも多くの先発を務められる投手獲得を熱望している。今月の1日に行なわれた2回目のスカウト会議でも上田監督は「外角に来る直球は一級品。即戦力No,1間違いなし」と改めて高野(東海大)指名を求めた。

ただ人気面を無視する事も出来ない。観客動員数100万人を目標とする球団フロントとしては水野、野中(中京)の他にも小野(創価)も1位指名の候補に挙げている。藤井編成部長は「将来的に必ず戦力になる」と水野ら高校生投手を単に人気だけの選手とは捉えていない。ただ現実問題として山沖投手以外に信頼出来る先発候補が見当たらないのも事実で即戦力投手を補強出来なければ来季の先発ローテーションを組めない。上田監督以下首脳陣の希望もこの一点で一致しており1位指名は正攻法で高野、池田(日産)、川端(東芝)らの大学・社会人投手に落ち着くものと思われる。



【日本ハムファイターズ】:狙いは左腕投手。狙いは小野か仲田幸…即戦力にしても将来性にしても左腕投手を狙っている。6日に六本木の球団事務所で5回目の編成会議が開かれた。「順位をつけるのは最後の会議。まだプロ入りの可能性のある選手をリストアップしている段階で植村新監督の希望を聞かないと(三沢編成課長)」と煙幕を張る。一昨年の球団初優勝後は西武の後塵を拝し続けているだけに来季こそ打倒・西武が至上命令となり、その為には投手の補強が最優先課題で当然1位指名は投手重視になる見込み。高校生では水野、小野、野中、渡辺、吉井(箕島)、津野(高知商)、山田(久留米商)、仲田(興南)。大学・社会人では高野、川端、池田の名前が挙がっている。

「う~ん、コレッという選手がねぇ…。今年は即戦力が少ないので各球団も頭が痛いでしょうね」と渋谷・宮本両スカウトも顔を曇らす。「野手だと藤王、池山が頭ひとつ抜けている。しかも2人とも最近の在京セを逆指名する風潮に感化されず12球団OKと言ってくれて好感が持てる。出来たら2人まとめて一緒に獲りたい」とは丸尾球団顧問。しかし「やはり台所事情から言って左腕投手になるんじゃないかな」と三沢編成課長が発言している事から1位指名は小野か仲田の2人に絞られているようだ。
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# 377 ドラフト展望 ①

2015年06月03日 | 1983 年 



今年も暑い甲子園大会が終わり、いよいよドラフト会議に向けてスカウト達が本格的に動き出す。今大会で目立ったのは水野(池田)だがスカウト達が絶賛する声はどうやら建て前のようだ。確かに実力は投打とも高校生として抜きん出ている事は間違いないが、今のままプロでやっていけるかと問われると首を傾げる。打撃に関してはプロで経験を積めば一軍でプレー出来るレベルまでいくのは可能であろうが肝心の守る所が限られてくる。肩は強いがあのスローイングでは外野は務まらない。では一塁手?しかし投手としてのフィールディングを見る限り内野手は難しいだろう。そもそも一塁は動きの鈍くなったベテランや助っ人用のポジションに空けているのが各球団の現状で今は寧ろ投手としての評価の方が上ってきている。右打者の外角に決まる直球は確かに威力があり内角をえぐるシュートも通用しそうだ。

水野に関しては各球団の評価もまちまちである。近鉄は投手として評価していて「暫くは投手で。大学に進学したと思えば打者転向は3~4年後でも遅くない(担当スカウト)」と。阪急は打者として考えているが評価は藤王(享栄)より下で「昨年南海に入った畠山の契約金6千万円はとても出せない」としている。巨人はまだ投手でいくか打者かは決めかねていて同様にヤクルト、広島、西武も検討中だ。評価が分かれているのは仲田幸(興南)も同じ。阪急などは左腕不足で補強が急務であるだけに飛びつきそうだが「時間がかかりそう。2~3年先まで待つ余裕は今のウチには無い」と否定的。対照的に高く評価しているのが阪神でスカウト達には球団から仲田については箝口令が敷かれているらしく仲田に対するコメントは一切出していない。

仲田が素晴らしい素材である事は間違いなく魅力的だが不安も付きまとう。右打者の内角低目にズバリと決まる直球は確かに威力がある。しかし続けて同じ所に投げられる制球力がない。スピードと違って制球は練習すれば良くなると言う意見もあるが、過去にスピードはあるが制球難を解消出来ずに球界を去った先人は多い。制球難は直らないという持論の下、近鉄スカウトは仲田と同様に三浦(横浜商)に対する評価も低い。巨人は仲田や三浦に興味はなく秋村(宇部商)と吉井(箕島)に熱視線を送るが広島は2人には全く無関心で荻原(仙台商)を虎視眈々と狙っている。実のところ荻原は今大会での掘り出し物の左腕である。

野手で目立っていたのが池山(市立尼崎)である。大型遊撃手でありながら捕球の際にしっかりと腰を落とす基本が出来ている。何度かイレギュラーバウンドが襲ってきたが慌てず対応していた。これはかつての有藤(現ロッテ)の高校時代を彷彿とさせる。打撃は長打力も備えているが課題は変化球への対応だが、近鉄は打撃フォームに欠陥があり時間がかかると指摘し、更に近鉄は同じ大型内野手の金村の育成に手一杯で指名には慎重だ。阪急は春木(駒大岩見沢)にゾッコンで守りだけなら朝山(PL)の評価も高い。確かに春木の強肩はプロレベルだが打撃は力不足は否めず巨人や広島はリストにさえ入れてない。

野手に関して多くのスカウトの目は甲子園に出場していない選手に向けられている。藤王と板倉(早実)である。ただし難点もある。それは2人が一塁しか守れないという事。一塁は体力面から動きが鈍くなった強打者が守るというのが今のプロ野球界の実情から指名を躊躇している球団は多い。その点でDHのあるパ・リーグ球団の方が指名しやすく阪急、近鉄、西武あたりが指名を検討しているが近鉄はセンバツ大会より評価を下げ撤退。セ・リーグの巨人は板倉はリストから外し藤王は検討中との事。中日は地元のスターを逃す訳にはいかず山内新監督の投手希望も聞き入れず藤王指名に動いている。過去に地元出身の槙原(巨人)や工藤(西武)を他球団に獲られた事に対する批判が名古屋圏で強く、二の舞いは御免という所か。
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# 376 逆指名

2015年05月27日 | 1983 年 



大物選手の逆指名。投の高野・水野は巨人熱望、打の小早川・藤王はナシ! 有力選手は在京セ・リーグが大流行。ドラフト戦線を有利に展開しようとする選手にとって逆指名は今や当たり前。動向が注目される選手たちが熱望している球団は?


今年は例年になく逸材が多く豊作の年と言えそうだ。特に在京セ・リーグは逆指名を受ける程の人気ぶりだ。横浜大洋はその筆頭で大洋・湊谷スカウト部長も「本当に嬉しい事です。ウチに来たいと言ってくれる選手は全て欲しいのですがそうはいきません」とニンマリ笑顔を見せる。それとは逆に川崎球場に対する悪印象と例年球団内部がゴタゴタを起こすロッテは気の毒なくらいアマチュア選手に敬遠されている。在京セ・リーグを最も強く希望しているのは高野(東海大)と水野(池田)の剛腕投手。高野は147㌔の速球が評価され全12球団がマークする逸材だが本人は巨人と大洋を希望している。巨人には大学の先輩である原がおり公私ともに親しく巨人側も受け入れ態勢は整っている。また大洋にも先輩の遠藤がいて負けていない。この2球団の指名ならスンナリ入団となりそうだ。

一方の " 阿波の金太郎 " こと水野の場合は高野ほどではないがこちらも巨人・大洋・ヤクルトを希望している。更にここにきて池田高の先輩・畠山がいる南海も水野指名に参入する動きを見せている。水野本人は「王監督は僕のお手本の人。指名されたら嬉しい」と巨人希望を隠さない。また父親・正雄さんは在京セ以外なら長男のいる駒大進学を勧めるという。甲子園で評価を上げた小野(創価)も同様に在京セ・リーグ希望だ。ただ何が何でもセ・リーグに拘っている訳ではなく西武や日ハムでも入団の可能性は有る。即戦力の青木(東芝)の場合は大洋一本の姿勢を崩さない。鶴見工時代は西武を始め2~3球団から誘われるも「自信が無い」とプロ入りを拒否し社会人入りした。その後3年間、東芝で鍛えられ今度はプロ入りに支障はない。大洋以外は会社に残ると宣言し大洋入りを熱望している。東芝のもう一人の即戦力投手である鳴門高出身の川端は在阪球団を希望している。

打者では小早川(法大)は地元の広島がガッチリ囲い込み、本人も就職活動は一切せずプロ一本に絞り込んでいる為、広島入りがほぼ確実な状況。同じ法大の銚子は一応在京球団を希望しているものの上位指名ならどこでもOKとしている。高校球界のスーパースター藤王は巨人と西武を希望しているが地元の中日も黙っておらず巻き返しに懸命だ。中日は槙原(巨人)や工藤(西武)ら地元スターを逃し批判を浴びた経験から「藤王だけは絶対に他球団に渡すな」の至上命令が親会社から下されている。ただ藤王の父親・知十六さんは「私の実家は秋田で周りは巨人ファンが多い。巨人か西武なら万々歳」と中日サイドには不安な発言をしているが救いは藤王が「逆指名は嫌」と12球団OK宣言している点か。

藤王のライバル野中(中京)は少し状況が複雑だ。甲子園大会後の日米高校野球で渡米した際も国体出場の時もヒジ痛を理由に殆ど投げなかった。野中と親しい高校の友人が「肘が痛いと言って投げるな、と言われているみたいです。誰が?中日関係者らしいですよ」と耳打ちしてくれた。三浦(横浜商)もプロ入りを宣言しているがやはり希望は地元の大洋だが最近になって大洋のチーム事情でどうやら投手から野手に方向転換した模様で銚子の1位指名が漏れ伝わるようになると三浦も大洋一辺倒からセ・リーグ球団に範囲を広げ、パ・リーグ球団に指名されたら日本石油に就職すると宣言した。

同じく日本石油とプロ入りを両天秤にかけているのが高校球界でもトップクラスの球速を誇りながら甲子園出場は1年生の時のみで真の実力はベールに包まれたままの渡辺(前橋工)だ。中央球界では無名だがその速球は大府高時代の槙原(巨人)を凌ぐとさえ言われており「外れ1位で消える選手。競合を避けて1位入札をする球団があるかもしれない(近鉄・梶本スカウト部長)」位の逸材だ。また高鍋高卒業時に阪神に4位指名されたが拒否し法大へ進学した池田(日産)は今年が社会人2年目でプロ解禁。今回も阪神が熱心で本人も「上位指名なら」と前向き。こうして多くの有望選手がプロ入りする腹づもりだがセ・リーグ志向が強いだけにパ・リーグ球団がどう巻き返すか注目である。
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# 375 影のドラフト BIG3

2015年05月20日 | 1983 年 



水野・江上(共に池田高)、藤王(享栄高)、野中(中京高)・・・今年のドラフトの人気は甲子園で活躍した高校生に集まっていてスポーツ紙の見出しは少々加熱気味である。しかし彼ら甲子園出場組以外にも実力を秘めた選手は多い。そんな「隠し球」とも言われている選手を紹介しよう。


白井一幸(駒沢大学)…灯台もと暗し。「人気の六大学」に対し「実力の東都」と呼ばれているリーグに上位指名間違いなし、と言われている選手がいる。駒沢大学の主将・白井内野手だ。香川県の志度商出身で176cm , 71kg と身体は大きくないが堅実なプレーぶりで小技もソツなくこなして、まさに " ユーティリティープレーヤー " としてスカウト達の評価は高い。「恐らく全球団がマークしていると思いますよ。特に内野手不足に悩んでいる球団はノドから手が出る程の即戦力です(セ・リーグ某スカウト)」が一致した意見。駒大・太田監督も「とにかく真面目な奴で放っておくといつまでも練習している。完璧を求め過ぎて故障しないかヒヤヒヤするくらいだよ」と言うくらいの優等生だ。

監督が心配するのも無理はなく子供の頃から身体は決して丈夫ではなかった。小学校2年の時に破傷風に感染、大学入学後も1年生からベンチ入りしたものの血液に細菌が入り高熱が出る奇病に罹り5ヶ月間も入院生活を送った。また2年生の秋には左手人差し指を骨折しながらもプレーしたが打撃成績2位に終わりタイトルには届かなかった。昨年春には念願の首位打者に輝いたが実はその朗報を聞いたのは病院のベッドの上だった。敗血症で入院していたのだ。そして今秋こそ最後のシーズンだと万全の調整を目指したが夏合宿の練習中にヘッドスライディングをした際に左手小指を骨折してしまった。「もう慣れっこになっているから大丈夫です」と本人は至って鷹揚に構えている。怪我をしやすいのは懸念材料だが逆を言えば少々の怪我では休まないガッツの持ち主であるとも言える。

中学時代は投手、志度商入学後に遊撃手に転向し甲子園を目指したが2年生の夏予選で決勝まで勝ち進んだが敗れたのが最高で甲子園とは縁が無かった。駒大進学後は二塁を主に守り主将を務めるまでになった。駒大では卒業後の進路を夏までに決める習慣だが主将だけは毎年最後のシーズンが終わった後に決める事になっている。なので白井の進路も今は未定だ。本人は「プロ?無理ですよ」と言いながらも周囲の親しい人には「指名されたら是非チャレンジしたい。両親は安定した人生を望んでいるけど最後は僕の意志を尊重してくれる筈」と本音を漏らしている。ただ過去のリーグ戦での長打力不足(通算1本塁打)を不安視する声があるのも事実。またユーティリティープレーヤーゆえに何でも器用にこなしてしまうのが逆に珠にキズ。「走・攻・守のいずれも平均点。何かアピールするものが有れば文句なしの上位指名候補なんだが」と在京パ・リーグのスカウトは本音を吐露した。
  


斎藤敏夫(鶴見工)…彼ほどの鉄砲肩の捕手はプロでもそうはいないだろう。176cm , 75kg のガッシリした体格から放たれる遠投は優に120㍍を超える。「あの肩は天性のもの。鍛えても遠くへ投げられる訳ではなく肩だけで飯が喰えるほど魅力的な選手、是非とも欲しい」と多くのスカウトが鶴見詣でを欠かさない。しかも投げるだけではなく50㍍走は6.6秒と捕手としては速い部類。打撃も1年生から主軸を任され3年生からは四番に座り新チーム結成以降の昨年から今年の春にかけては6本塁打を放つなど順調だった。だが好事魔多し、夏の県予選大会では突如スランプに陥りチームは甲子園に進めなかった。

それでも8月末に行われた神奈川選抜 vs 韓国戦では三番に抜擢されたが結果は4打数1安打に終わり「今はたまたま不調だが斎藤は右にも左にも打てる好打者(片山監督)」とかばったが本人は「打撃は自信ありません…」とションボリ。そんな状況下で進路問題が起きている。進学かプロか、或いは社会人か?両親は「私どもは野球に関しては無知なので本人と学校が相談して決めると思っていますが親としては進学して欲しいです」と語る。社会人となると監督との繋がりで東芝が有力視されている。要は本人次第なのだが「息子は決心がつかないと悩んでいるようです。プロでやっていく自信が無いと言ってました」と母・りえ子さん。

とは言えこれ程の逸材をプロ側が手をこまねいて静観してはいない。「打撃なんて練習すればソコソコのレベルには到達する。山倉(巨人)だって打撃は素人レベルと酷評されていたが今では " 意外性の男 " なんて言われている。何といってもあの肩は魅力」とスカウト達はラブコールを送る。それだけプロでは捕手難時代が続いているのだ。各球団は毎年のように補強を試みているが思うように進んでいない。一人前になるのに最も時間のかかるポジションだけに即戦力に拘らず有望な高校生を指名している。今年も井上(池田高)、仲田秀(興南高)、野村(熊本工)など逸材が揃っている。彼ら甲子園出場組と比較しても関東No,1捕手と言われている斎藤の評価は決して劣らない。



比嘉良智(沖縄水産高)…今年は沖縄から3人のドラフト指名選手が出る! との声を多く聞く。もし実現すれば史上初の出来事だが、そうなる可能性は高い。3人とは仲田幸司投手と女房役の仲田秀捕手(ともに興南高)、そして比嘉投手だ。豊見城高を率いて甲子園に沖縄旋風を巻き起こした栽監督が新天地の沖縄水産高で3年間、手塩に掛けて育て上げた文字通り秘蔵っ子が比嘉投手である。「投手の場合、左腕の方が有利と言われているけど比嘉投手は決して左腕の仲田投手に負けてない。それに仲田投手は甲子園で評価を下げちゃったから比嘉投手に乗り換える球団も出てくるかもしれない(ヤクルト・片岡スカウト)」と179cm , 83kg の右腕の人気が上昇中なのである。

比嘉投手の名前がスカウト達のメモに載ったのは今春の九州大会だった。沖縄県大会決勝で豊見城高を破って優勝し九州大会へ。比嘉投手は甲子園出場組の久留米商や興南高を相手に4連投も耐え抜いて沖縄水産高は決勝戦まで勝ち進んだ。決勝戦の相手は強豪・鹿児島実業。雨中の試合となり沖縄水産高は2対3で降雨コールド負けの準優勝だった。負けはしたものの比嘉投手の評価は高まり、夏の県予選大会前の予想では剛腕・仲田投手がいる興南高に勝つのではとの声が多かった。当然の如く予選決勝は沖縄水産高と興南高の顔合わせとなった。比嘉投手は興南打線を5安打・10奪三振と抑えたが試合は1対3で敗れ甲子園出場はならなかった。

池田高の水野投手に対抗して " 沖縄の金太郎 " とも呼ばれている剛腕の周囲はプロか進学か、それとも社会人かと騒がしい。肝心の比嘉本人も進路を決めかねていて色々な情報を各方面から取り寄せており「両親や監督さんとよく相談して決めたい」としている。多くの好投手を育ててきた栽監督は「これまで見てきた投手の中でも素質もパワーも抜きん出ている。私個人の意見としては上(プロ)の世界で充分やっていけるだけの選手だと思っている」とプロ入りを薦める。本人もプロ野球に対して大きな関心を寄せながらも「チームの皆は進学する奴が殆どだし…」と揺れ動いている感じだ。剛腕の将来はプロへと傾きつつあるが最後の一押しはドラフト会議での結果が出てからのようだ。
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