遂に江川問題が解決に動き始めました。昭和54年1月31日 翌日のキャンプインに向けて
各球団はそれぞれキャンプ地入りします。巨人の選手も次々と羽田空港にやって来ました。
集合時刻は正午でしたが30分前には殆んどの選手が顔を揃えました。しかし江川の交換
要員の本命と見られていた小林投手は姿を現しません。選手の間でも 「小林が来ないぞ」
「昨日の練習には来てたし、心配ないさ」と少し場がざわつき始めた頃、小林が現れました。
ワッと報道陣に囲まれると「どうした?」と笑顔で切り返しその場の緊張感は無くなりました。
しかし次の瞬間、巨人軍球団総務・穂満氏が現れ小林の腕を取り連れ去りました。その時の
様子を小林本人がインタビューで答えています。
聞き手 羽田空港ではどんな状況だったのですか?
小林 集合時間の10分ぐらい前かな、空港に着いたのは。記者の人たちと雑談しながら出発を待っていたら
球団の人が「こっちへ来い」と手招きするから、「あぁ、出発か」と近づくと腕を取られて出発ロビーから
どんどん離れて行った。その時になって初めて「アッ、そうか」と気がついたんです。 車に乗ってから
「昨夜、大阪と東京で話し合いがあって…」 と言われホテルニューオータニへ向かいました。部屋には
正力オーナー・佐伯常務・長谷川代表がいて「阪神へ行って欲しい」 ただそれだけですよ。
小林が連れ去られた空港ロビーは騒然となりました。公衆電話に飛びつく記者、見送りの知人と
談笑していた選手らも一様に厳しい表情に。「恐ろしい事になった(堀内)」 「あまりにもやり方が
酷いじゃないか(柳田)」と重苦しい雰囲気のまま宮崎に飛び立ちました。宿舎のホテルの廊下に
「19 小林繁」のネーム入りのバッグが2つポツンと置かれていました。 …つづく
各球団はそれぞれキャンプ地入りします。巨人の選手も次々と羽田空港にやって来ました。
集合時刻は正午でしたが30分前には殆んどの選手が顔を揃えました。しかし江川の交換
要員の本命と見られていた小林投手は姿を現しません。選手の間でも 「小林が来ないぞ」
「昨日の練習には来てたし、心配ないさ」と少し場がざわつき始めた頃、小林が現れました。
ワッと報道陣に囲まれると「どうした?」と笑顔で切り返しその場の緊張感は無くなりました。
しかし次の瞬間、巨人軍球団総務・穂満氏が現れ小林の腕を取り連れ去りました。その時の
様子を小林本人がインタビューで答えています。
聞き手 羽田空港ではどんな状況だったのですか?
小林 集合時間の10分ぐらい前かな、空港に着いたのは。記者の人たちと雑談しながら出発を待っていたら
球団の人が「こっちへ来い」と手招きするから、「あぁ、出発か」と近づくと腕を取られて出発ロビーから
どんどん離れて行った。その時になって初めて「アッ、そうか」と気がついたんです。 車に乗ってから
「昨夜、大阪と東京で話し合いがあって…」 と言われホテルニューオータニへ向かいました。部屋には
正力オーナー・佐伯常務・長谷川代表がいて「阪神へ行って欲しい」 ただそれだけですよ。
小林が連れ去られた空港ロビーは騒然となりました。公衆電話に飛びつく記者、見送りの知人と
談笑していた選手らも一様に厳しい表情に。「恐ろしい事になった(堀内)」 「あまりにもやり方が
酷いじゃないか(柳田)」と重苦しい雰囲気のまま宮崎に飛び立ちました。宿舎のホテルの廊下に
「19 小林繁」のネーム入りのバッグが2つポツンと置かれていました。 …つづく