Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

#83 小林⇔江川 強い要望トレード ①

2009年11月16日 | 1979 年 
遂に江川問題が解決に動き始めました。昭和54年1月31日 翌日のキャンプインに向けて
各球団はそれぞれキャンプ地入りします。巨人の選手も次々と羽田空港にやって来ました。
集合時刻は正午でしたが30分前には殆んどの選手が顔を揃えました。しかし江川の交換
要員の本命と見られていた小林投手は姿を現しません。選手の間でも 「小林が来ないぞ」
「昨日の練習には来てたし、心配ないさ」と少し場がざわつき始めた頃、小林が現れました。
ワッと報道陣に囲まれると「どうした?」と笑顔で切り返しその場の緊張感は無くなりました。
しかし次の瞬間、巨人軍球団総務・穂満氏が現れ小林の腕を取り連れ去りました。その時の
様子を小林本人がインタビューで答えています。


聞き手 羽田空港ではどんな状況だったのですか?
小林  集合時間の10分ぐらい前かな、空港に着いたのは。記者の人たちと雑談しながら出発を待っていたら
     球団の人が「こっちへ来い」と手招きするから、「あぁ、出発か」と近づくと腕を取られて出発ロビーから
     どんどん離れて行った。その時になって初めて「アッ、そうか」と気がついたんです。 車に乗ってから
     「昨夜、大阪と東京で話し合いがあって…」 と言われホテルニューオータニへ向かいました。部屋には
     正力オーナー・佐伯常務・長谷川代表がいて「阪神へ行って欲しい」 ただそれだけですよ。


小林が連れ去られた空港ロビーは騒然となりました。公衆電話に飛びつく記者、見送りの知人と
談笑していた選手らも一様に厳しい表情に。「恐ろしい事になった(堀内)」 「あまりにもやり方が
酷いじゃないか(柳田)」と重苦しい雰囲気のまま宮崎に飛び立ちました。宿舎のホテルの廊下に
「19 小林繁」のネーム入りのバッグが2つポツンと置かれていました。 …つづく



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