現在は頭部への死球は、危険球で一発退場となる為、所謂 ビーンボール or ブラッシュボールの
類は少なくなりました。'79年パ・リーグの前期を独走し、マジックナンバー点灯の最大の貢献者は
マニエル選手でした。 50試合で打率 .370(2位) 本塁打 24(1位) 打点 60(1位) の成績を残し
5月の月間MVPも決まった直後のロッテ戦で八木沢投手から顎に死球を受けました。
下顎複雑骨折、顔面挫傷、口内挫傷、奥歯の根元も粉砕されているという凄まじさでした。口から
血がしたたり落ちているにも拘らず、ロッテベンチから「死球ぐらいで騒ぐなよ」のヤジをきっかけに
両軍の遺恨が始まりました。骨折部分を接合し退院したマニエルは「あの死球は故意だった。私は
八木沢を許さない」と発言。一方の八木沢は「初球をカーブでストライクを取り、2球目はインコース
ぎりぎりを突くつもりで投げた。それが指のかかりが悪くてスッポ抜け、そこに踏み込んできた彼の
上体が前傾した瞬間に当たってしまった。本当に悪いことをした」と場面を振り返りました。
概ね他の投手は八木沢に同情的で、頭を狙って投げるなんて有り得ないとしていましたが、中には
「スッポ抜けて右打者に当たるのなら理解できるが左打者の頭部に当たるのは考えられん。左打者
に当たる場合は、スッポ抜けるのではなく指先が引っかかった時だけど、その時は足元に行くはず」
「八木沢は完全試合を達成した投手だろ、コントロールには定評がある」「コーチ兼任だから投手陣を
代表してマニエルを潰しにかかったんじゃないの?」と発言する投手もいました。
事態に油を注いだのはロッテ側の対応の不味さでした。のたうち回るマニエルを前にしてベンチから
「死球ぐらい…」と言ったり、翌日 グラウンドでロッテ・山内監督が近鉄・西本監督に言葉を掛けたが
「中身は言えないが、かなり酷いことを言われた」と西本監督は激怒しました。入院中のマニエルに
花すら送らないと言われると八木沢本人でも球団フロント幹部でもない、全く無関係の高見沢選手を
見舞いに送り出しました。その後、両球団が報復合戦に至らなかったことが唯一の救いでした。