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寿司職人からプロの世界へ
開幕前に一番の話題となったのは柴田民男投手(大洋)ではないだろうか。夢に向かって猪突猛進していた男が遂に己の限界を知り夢を捨てた。昨年夏の都市対抗野球に富士重工の柴田投手は日立製作所の補強選手として出場した。日立製作所は1回戦で住友金属に敗れ柴田投手も大会を去った。大会後に柴田投手は年齢(28歳)と実力の限界を悟って野球から身を引いた。同時に富士重工を退社した。「野球をやめるんだからサラリーマンでいたってつまらない。自分の腕一本で食っていきたい」と兄・明さんが経営する東京・向島にある「柴寿司」で修業をすることにした。富士重工時代に知り合った柳子さんと結婚もして第二の人生を歩み出した。
暮れも押し迫った12月に一人の紳士が柴寿司に現れた。大洋の湊谷スカウトである。カウンター越にシャリを握る柴田に湊谷スカウトは「なぁ柴田君、いっちょウチで勝負してみないか。君ならやれると思う」と声をかけた。状況が飲み込めぬ柴田はその紳士が湊谷スカウトだと知ると放心状態になり「えっ、まさか…」と狐に化かされたようにキョトンと固まってしまった。日大三➡日大➡富士重工と野球を続けたのは「俺の夢はプロ入り」という願いを叶えるため。その野球をやめたのもプロになれないなら続ける意味がないと思ったからだ。しかも、もう独身じゃなく責任がある。自分の夢だけを追っていい立場じゃない。
無失点デビュー
悩む柴田を後押ししたのが兄・明さんと柳子夫人だった。「男だったらプロでやってみなさいよ。寿司屋の修業は後でいいから」と。そうして寿司職人柴田は柴田投手に戻り白球を握った。春のキャンプから柴田投手は飛ばした。別当監督や堀本投手コーチはニコニコで「こりゃ掘り出し物だ」と口を揃えた。しかし好事魔多し。5ヶ月間のブランクは大きく右ヒジ痛でダウンしてしまった。だが夢だったプロの世界で負けてたまるかと奮起し、黙々と走り込んで故障の回復に努め早期に投げ込みを再開した。開幕一軍はならなかったものの、オールスター戦期間中の一軍練習に参加し、主力打者をキリキリ舞いさせて一軍昇格を果たした。
8月2日の阪神戦(甲子園)で念願のデビューとなった。6回裏から2イニングを投げ、4安打されたが得意のシュートで2併殺を奪い無失点に抑えた。「やっぱり緊張で地に足がつかなかった。本当に嬉しいです…」と声を詰まらせた。憧れの甲子園球場で無口な男が精一杯の喜びを表現している頃、東京では明さんと柳子夫人は「本人も嬉しいでしょうが私たちも大喜びです。良かった良かった」と祝福した。別当監督も柴田投手の好投に大満足でこれからも柴田投手をどしどし投げさせるそうだ。夢だったプロ野球の世界で次はエースへの夢を膨らませる柴田投手である。
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