最近は地上波でのプロ野球中継は減る一方ですが、30年前は高視聴率を望める優良番組
コンテンツで野球中継に批判的な声は少数派でしたが皆無では有りませんでした。 しかし
そんな数少ない意見もメディアは総出で叩きました。
4月24日付け 朝日新聞に「ナイター視聴は時間の無駄使い」という投書が掲載された。 「…やれ巨人が勝った、広島が
負けたとやらに貴重な時間が浪費されていくのは実に勿体ない…」「この2時間半を読書などに使ったら莫大な価値がある
ことに気付いてもらいたい」 一読して投稿者には大変申し訳ないが筆者は「野球というスポーツのもつ醍醐味を分かって
もらえないとは可哀想だな」と同情したものだった。野球嫌いの人に野球の面白さや奥深さ、見る人への心の効用などを
説いても逆効果かもしれないが、埴谷雄高氏の随筆の一文を紹介しよう。
例えば投球の数瞬前に捕手のサインを覗いて頷いている投手の表情と、数瞬後に本塁打を打たれてマウンドの土を握りしめ
叩きつける無念と落胆の表情を眺め続けて見るならば、そこに不安の破局と栄光へ向かってひた走りに走っている時間の一瞬
一瞬の渾池の姿が窺われる。
寥寥たる人影しか見えない外野スタンドでホームランボールを追う4~5人の少年の姿を見て、過ぎ去った自分の人生の一断面を
思い出し、それは不意に昔日の迫真性をもって私に蘇えってきたのであった。テレビ観戦はこの上なく楽しいものだ。そこには活字
文化を越えた豊かな人生の反映がある。
一瞬後には何が起こるか分からない野球。その何が起こるか分からない場合に備えて選手が日夜鍛錬を積んだ成果を見る楽しみ。
そこから学ぶ人と人との連係・呼吸・共同作業。その瞬間にうろたえるのは何故だったかを考えるのも読書からは得られぬ「ひとつの
人生」なのである。
野球をどう見るかは人それぞれ自由ですが、この様な見方は私には「鬱陶しい」と感じられます。以前
「朝まで生テレビ」という番組内でスポーツライターの玉木氏が 「門田(南海)が打ち上げた内野フライが
門田と言う武骨で不器用な性格を体言する様に実に美しかった」と滔々と語っていた時に野球評論家の
江本氏が 「したり顔して何を言ってるの、最近 多いんだョこの手の輩が・・アホくさっ」と言ったのを聞き
溜飲が下がる思いをしたものでした。野球選手に物語を求めて叙事詩的に語る必要は無いし、単なる
内野フライに形容詞を付けて美化する気も、野球から人生訓を学ぶ気も有りません。野球は数多くある
娯楽の内の一つに過ぎないと思っています。真夏のナイターを冷房の効いた部屋でビールを飲みながら
懸命にプレーする汗だくの選手や監督に罵声を浴びせる・・そんなモンです、プロ野球は。
記事の中に書かれている「野球の奥深さ」についても、個人的に心理戦や知恵比べには全く興味は
無いです。根が単純なので「裏のウラ」などの駆け引きはどうでも良くて「チカラ比べ」が好きなのです。
南海時代の江夏投手が野村捕手は1点リードの9回2死満塁フルカウントの場面で敢えてボール球を
要求しサイン通りにボール球を投げたら空振り三振が取れ改めて野球の奥深さを知ったと言ったのを
聞いた時も 「ふ~ん、だから何? 鬱陶しいんだよ」と思ったりしてました。 手も足も出ない剛速球、
桁外れの怪力で飛ばす場外ホームラン・・それで充分です。