Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

#249 小川・山下・掛布

2012年12月19日 | 1981 年 



小川亨(近鉄)…前期終了時点で2割3分6厘、一時は2割を切ったこともあった。「俺にも遂に限界が来たのか」打撃センスは一級品と称された男が頭を抱え込み、もがき苦しんだシーズンだった。一度も優勝争いに加わること無く最下位に沈み最後は西本監督勇退。プロ入り最大のスランプを抜け出すには練習しかなかった。「あと何年野球を続けられるか分からないが1年でも長くやるには練習しかない」と自宅で行なう素振りの回数を若い頃の倍に増やした。周囲の励ましもあった。「チームの調子が悪い時こそムキになって自分の成績にこだわれ。各自がそうする事でチーム全体が上向きになる」「モーやんは元々打てる力を持っているのだから自分を信じろ」等々。

終わってみれば2割9分台まで上がったが「とても満足感からは程遠く、今年ほど寂しいシーズンはなかった。監督の花道に泥を塗ってしまったし・・。でもここまでやれたのだから来年もまだやれそうな気になれたのが救いかな。前期のままだったら真剣に引退を考えたかも」と振り返る。「先ずは体調を万全にする。3本ほど残っているムシ歯を治す事からやらなくちゃ」と気持ちは既に来季に向いている。来年はあと46本と迫っている1500安打達成という目標もあるが「でもなぁやっぱりチームの優勝の喜びに比べたら・・」とイブシ銀男の思いは個人成績よりも優勝なのである。




山下大輔(大洋)…突然の長嶋監督招聘表明で大揺れの大洋で山下大輔兼任監督説が浮上している。球団レベルを越えて大洋漁業本社・久野修慈総務部長兼秘書役が「これからは若い人の時代。広岡・野村氏ら既成の監督では新鮮味が無いでしょ。個人的には山下兼任監督は素晴らしいアイデアだと思います」と発言したのが発端。プロ8年目の29歳、早すぎる監督説だが球団内では意外とは受け止められてはいない。いずれは監督になるべき人間と考えられている選手だからだ。

沈みっぱなしの大洋で孤軍奮闘。巨人へ移籍した松原に代わって選手会長となりプレーでもチームを牽引した1年だった。開幕当初はそんな気持ちが空回りしたのか打撃不振に陥った。4月21日からの博多遠征の頃の打率は1割台まで落ち「お前の身長(174cm)より低いじゃないか」とOB解説者に冷やかされた。それに発奮したのか5月に入ると上昇気配を見せて6月には大爆発して、自身初の月間MVPを受賞しチームも4位まで順位を上げた。

「もう8年目だからね、誰だってこのくらいの歳の頃が一番良いんじゃないの。3割?う~ん、、まだ一度も打った事がないから分からない。一応、試合数プラス20本のヒットを心がけていますよ」と月間MVP受賞の際の会見で心境を述べた。打撃成績向上には怪我の功名もあった。4月末の中日戦で打球を追って左翼の長崎と交錯して突き指をしてしまったが「アレのお蔭でインパクトの瞬間に余計な力が入らなくなったのも好調の要因の一つ」らしい。

9月に入り土井監督が14試合を残して休養。その直前に山下は土井監督から直々に選手会長として積極的にナインの先頭に立って欲しいとチームの今後を託され、これまで以上にチーム全体の事を考えなくてはならなくなった。そのせい?なのか打率は下降し始めて初の3割は難しくなった。それでもプロ入り初の全試合出場は目前だ(10月1日現在)。昨年までは「大ちゃん」と呼ばれボンボン扱いされていたが今年ようやく一皮剥けて、来年の更なる飛躍を目指している。



掛布雅之(阪神)…先ずは下の表を見て頂こう。新人の年は別として、昨年の成績がいかに惨めなものであったかが一目瞭然である。

          年 度  試合数  安 打  本塁打  打 率
           49     83    33     3   .204
           50    106    78    11   .246
           51    122   132    27   .325
           52    103   126    23   .331
           53    129   148    32   .318
           54    122   153    48   .327
           55     70    59    11   .229
           56    123   145    22   .333 (10月2日現在)



「ゼロからの出発ですわ」 開幕前に掛布は自分に言い聞かせるように言っていた。習志野高からプロ入り以来順調に階段を駆け上がっていた成績が初めて転げ落ちた。昨年は何を聞かれても「別に何も無いっスよ」もともと口数の多い選手ではなかったが、さらに無愛想な1年だった。「去年は聞かれるのは怪我の事ばかり…。野球の話が出来るのがこんなに嬉しいとは思わなかった」と今年は表情も明るく別人だ。

昨年は左ヒザ半月板損傷、左太腿肉離れ、腰痛と次々と故障。期待が大きいだけにファンの失望も大きく、どこで調べてくるのか自宅マンションの電話は鳴りっ放しで安紀子夫人は心労で5kgも体重が落ちた。オフのサイン会やゴルフコンペは全て断り身体の手入れに努めた。藁をも掴む思いで千葉の実家にあった池を「敷地内に池があると不幸を招く」との進言に従い埋めてしまうなど一族郎党あげてバックアップをしたほどだった。

9月29日の中日戦8回表、三沢から21号を放った。タイトルを取った48本に比べたら半分にも満たないが「本塁打の数?ファンの皆さんには物足りない本数と言われそうですが今の僕には充分な数字。とにかく今年はここまで1試合も休まずに来れた事が一番嬉しい」今年の掛布を語る時についてまわるのが「休まず」なのだ。タイトル争いに加わる事は出来なかったがプロ入り初めて全試合に出場できた事が一番の収穫だった。
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