森繁和(西武)…自分の事を「ワシ」と言う森と、森に「オッサン」と呼ばれる田淵の2人はウマが合う。歳は田淵の方が上だが物腰や言葉使いからは森の方が落ち着いて見える。その田淵が「将来の西武の屋台骨を支えるのは森」と断言する。力の松沼弟か技の森、つまりどちらがエース候補なのか?現エースの東尾はどう見ているのか。「チームを引っ張るという意味では森かな。勝っても負けても淡々としていて気分転換も上手い。あの勝負度胸は大したもん」と森に軍配を上げる。
着実に力をつけてきた。ドラフト1位で住友金属からプロ入りして初めてのキャンプで自ら野村(現解説者)に捕手役を求めるなど当時から度胸は折り紙付き。「ホワイトソックス戦で先発(2回無失点)した時はシュートのキレが抜群で"平松二世"だと思ったね」と野村氏は語る。そのシュートを武器に1年目は先発・リリーフの両投遣いで5勝16敗7Sと球団創設1年目で最下位に沈んだ西武で獅子奮迅の力投。「チームは断トツの最下位だったけど良い勉強になった。アマ時代は先発する事が多かったがリリーフを経験できた事が今に役立っている」と言う。
2年目のキャンプでパームボールを習得して一段と投球に幅が出来て10勝14敗7Sと成績も向上した。そして今季は目下14勝とチームの勝ち頭だ。エースの資格の一つが自己主張が出来る投手というのが東尾の持論だが、この点でも森は当てはまる。森は「我が道を行く」タイプで地元の高校から駒大付属高へ父親の反対を押し切って2年生の時に転校した。「野球でメシを喰っていく」と既にその当時から森は心に決めて、その為の最善の道を選択したのだ。しかし闇雲に、ただプロ野球選手になれればそれで良しとしないのも森らしい。
昭和51年のドラフトでは佐藤(現阪急)・斉藤(現大洋)と共に「大学ビック3」と称されロッテに1位指名されるも拒否。表向きの理由は「プロでやれる自信が無い」としていたが実際は「やる以上は組織のしっかりした球団で」と言う思いが強かったからである。駒大卒業後は住友金属に就職、配属先は人事労務部だった。この部署は社内的にはエリートコースと言われている所で過去のスポーツ選手で配属されたのは山中投手(法大出)ただ一人である。「サラリーマンとしても仕事が出来る人間だと見込まれていたのだろう。この3年間、彼と接してみて人間性が素晴らしい事を再認識した」と根本監督は言う。恵まれた体格から真っ向勝負を挑む本格派は人間的な成長も加えて、来季は20勝を狙うと早くも宣言した。
小松辰雄(中日)…「ウチにもやっと江川に力で対抗できる投手が出てきたよ」 近藤監督が嬉しそうに語る。ストッパーから先発へ転向した小松投手の事で、持論の投手分業制も小松に関しては不要だ。10月2日現在、12勝6敗11S。先発転向後は8勝4敗、そのうち完投は6試合。2日の阪神戦で敗れるまで6連勝と今やローテーションの柱で、もしも開幕から先発させていたら20勝も可能だったかもしれない。
投手を見る目に長けている近藤監督でも入団以来ストッパー専門で、いつも全力投球をする小松の限界は50球と踏んでいた。「あいつは何度言っても全球を全力投球してしまう。八分の力で投げてもスピードは変わらないと言っても信じないんだ」そこで近藤監督は一時的に先発で使う事にしたのだ。さすがの小松も先発させれば力をセーブして投げるだろうと、そして全力で投げなくてもスピードは落ちないと分かったら再びストッパーに戻せばいいと考えていた。
転向当初はやはり全力投球のままでスタミナ切れで5回もたない試合が続いたが次第に力を抜くコツを覚えて完投できるようになった。広島戦では延長12回を1人で投げきるなど9回を投げ終えても「あと2~3回なら大丈夫」とケロリと言ってのける程になった。「とにかく私の想像以上の能力、完全な認識不足でした」と近藤監督も脱帽する。怪我の功名だった先発転向がもう少し早かったらチームも小松本人も違った1年になっただろうが、後の祭りで既に視線は来季を見据えている。
小松の来季の目標は20勝。プロ入り時の目標「200勝して名球会入り」の為には是非とも達成しなければならない。巨人の連続得点試合を147試合でストップさせた豪腕と怪物・江川との対決が来季の目玉になる事は間違いない。
松岡弘(ヤクルト)…ここ数年オフを迎えると同じセリフの繰り返しだ。「俺個人はソコソコ満足できる数字だけど今年も若いヤツは出て来なかった。俺みたいなロートルが投手陣の柱じゃチームは強くならんよ」と伸び悩む若手投手たちに歯がゆさを感じているのだ。9度目の2桁勝利、チームの勝ち頭で巨人や広島を相手にする時はストッパーとして登板するなど34歳にしてなおフル回転だ。
「マツが凄すぎるのか若手が情けないのか、練習量ひとつとっても差は歴然だから当然か・・」と堀内投手コーチは深い溜め息をつく。試合前のランニングでも松岡の前に出る若手はいない。ダッシュを重ねれば重ねるほど松岡の健脚ぶりが目立つ。「若手が遠慮しているというより、ついて行けないんだ。走る事だけじゃなく投げる方でもマツが一番連投に耐えられる肩と体力を持っているんだ」 いつまでも松岡に頼らざるを得ない現状を根来コーチも嘆く。
肉体的な強さに加え精神面の支えは父・正男さんだ。「この歳になって言うのは照れくさいけど親父は凄い男、いまだに親父には勝てんよ。ヤクルトが万年Bクラスだった頃はチーム内にもクセ者が多くてね、あんまりイビリが酷いので何度も退団したいと思っていたんだ。でもその度に親父に怒鳴りつけられてね、お前は自分の事だけしか考えん人間なのかって」…正男さんは今年で70歳。終戦後満州から岡山に引き揚げて雑貨店を営み家族を養った。
「とにかく貧乏だった。子供心にも親父が音をあげないのが不思議なくらい貧しく、日々の食事にも困る状態だったけど親父の口癖は『死ぬまで諦めるな』だったな」 貧しさの中で自分たちを育ててくれた父親への敬意。時代の変遷の中で死語と化した父親への尊敬の気持ちをジッと持ち続ける男、派手さはカケラも無く単純で地味な努力だけが目立つ松岡だが、その考えが変わらない限り簡単には衰えないだろう。
岡山・倉敷商の1年先輩の星野(中日)も言う「アイツは間違いなく200勝するよ。あれだけ投げていて故障らしい故障をしないなんて奇跡に近い」と。どんなに食べても贅肉が付かない体質、ガタのこない足腰のバネは故障がちな平松や堀内ら同世代の連中からは羨望の的。強靭な躯体を武器に来年もまだまだ若手からの挑戦を受け続けるつもりだ。