「マムシの一三」と呼ばれた敏腕スカウト・青木一三氏の回顧録。交渉能力が高く数々の大物獲得にも辣腕ぶりを発揮した。また吉田義男・三宅秀史・山本哲也・藤本勝巳ら他球団がノーマークだった選手を発掘し次々と獲得した眼力も絶賛されていた。球界へ大きく貢献する一方で裏の顔として数々の事案を演出した青木氏が当時の舞台裏を明かした。
【A級10年選手】…同一球団でプレーした選手に「ボーナス受給の権利」か「自由移籍の権利」の
どちらか任意の権利を与える
【B級10年選手】…複数球団で10年間プレーした選手に「ボーナス受給の権利」を与える
昭和28~29年頃から新人の契約金が急騰したが「海のモノとも山のモノとも知れぬ新人に莫大な金を払う一方で安い契約金と年俸で長い間プロ野球界に貢献して来た選手に何の特別報酬を出さないのは不公平ではないか」という声に押され10年選手制度が導入された。従って昭和28年以降にプロ入りした選手にはその資格はなかった。阪神の田宮謙次郎はA級資格を持つ最後の大物と言われ動向が注目されていた。
昭和33年には首位打者のタイトルを取り大物ルーキー長嶋の三冠王を阻止した選手が移籍するかもしれないとあって田宮の周囲は騒がしくなった。私(青木一三)は当時大毎オリオンズのスカウトだったが旧知の仲という事もあり仕事抜きで相談に乗っていた。彼は元々お金に対する執着心は無く周りの人間から「アッサリし過ぎるよ。君クラスの選手ならもっと貰ってもバチは当たらないよ」と言われても「俺はそういう性分だから」と取り合わなかった。
まだシーズン中に私が彼の自宅を訪ねて身の振り方を聞くと「アオさん、俺は10年選手の権利を振り回そうとは考えてないよ。阪神が好きだし法外な要求をするつもりはない。球団がA級選手として納得できる条件を出してくれたら残るよ」と契約更改同様に欲の無い事を言った。シーズンオフに突入すると在阪スポーツ紙が虚実入り混ぜた報道合戦を始めた。「田宮の要求とは数百万円の差が」「球団はいざとなったら放出も辞さない」 等々…
交渉のタイムリミットは12月25日午後5時であった。田宮の要求はボーナスを含めて2,000万円、対する球団の提示は1,500万円と開きは中々埋まらず時間だけが過ぎて行った。田宮は最後まで残留を考えて1,800万円まで額を下げ、球団も1,700万円まで譲歩したがどうしても100万円の差が埋まらない。「100万円ぐらい出せば…」「100万円ぐらい我慢しろ…」両者は共に譲ろうとしない。こういう時は選手とフロントの間を監督が取り持ってメデタシ・・と行きたい所だが運悪く当時の監督は日系二世のカイザー田中。日本人の義理人情を理解するのが難しかったのか我関せずを貫き結局、交渉は決裂した。
首位打者・田宮はどこへ?騒動は過熱した。甲子園浜の自宅周辺は早朝から深夜まで報道陣が張り付き家の前の道路は各社の車で埋まり群がる報道陣目当てにラーメンの屋台まで出る始末。「田宮獲得」の球団指令を受けた私も大阪のホテルに泊まり続けた。色々な情報が耳に入って来たが娘さんが転校するのを嫌がっている為、田宮は関西圏から出るつもりは無く在阪球団への移籍を考えているようだった。在阪球団で獲得に名乗りを上げたのは近鉄と阪急。特に近鉄は根本睦夫スカウト(現西武・管理部長)が精力的に動き一歩リードと伝えられていた。
このままでは田宮獲得は無理だ。何か策はないかと考え田宮に影響力を持つ人物を探した。いた。しかも私の身近に。私が阪神在籍当時に世話になった松木謙治郎氏だ。聞けば田宮は松木を「人生の師」と仰いでいるという。口説き役として彼以上の人物はいない。早速、松木に連絡を取り仲介を依頼したが当時松木は東映の打撃コーチで同じパ・リーグのライバル球団の大毎オリオンズ移籍を薦めてくれるか不安だったが、快く口説き役を引き受けてくれた。
田宮は悩みに悩んだ。田宮から「静かな所で頭を冷やしてじっくり考えたいが家の周りは記者だらけで抜け出せない。手を貸してくれないか」と頼まれ私は報道陣に悟られないように家の周辺を見て回り死角を見つけた。隣家の裏口である。そこで隣人に頼み塀を乗り越えて庭を横切り裏口から抜け出して待たせていた車で四国へ行く事に成功した。熟慮の結果、田宮は大毎オリオンズ移籍を決断した。決め手はやはり娘さんで熱狂的なファンが多い事で知られる阪神から出る以上、同じセ・リーグ球団は論外。また近鉄や阪急は同じ電鉄会社という事で阪神ファンから娘さんや奥さんが責められる可能性もある。ならば心機一転、故郷の茨城県にも近い東京で勝負しようという気になったそうだ。
そして移籍先の発表は異例の実況中継が行なわれる事となった。親しい毎日放送の香西アナが密着して「ただいま田宮選手は甲子園浜の自宅を出ました…田宮選手を乗せた車は今、淀川を渡りました…桜橋に差し掛かりました…どちらに曲がるのでしょうか?左折なら阪急球団事務所、右折なら近鉄。直進なら大毎です」長い私のプロ野球人生でも後にも先にもこのような実況放送は聞いた事がない。ただ大毎入りは既に本人から聞かされていたのでゆったりと待機していた。車は直進し私たちが待つ国際ホテルに向かった。