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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

#325 十大秘話 ③ トラブル

2014年06月04日 | 1983 年 
昭和36年は巨人・川上監督が就任1年目にして6年ぶりに日本一の座についた南海との日本シリーズをはじめトラブルが多く発生した年だった


巨人の2勝1敗で迎えた第4戦は南海が9回表に2点をあげ3対2と逆転し9回裏も二死一塁、代打の藤尾が打席に入った。この回からリリーフしたスタンカ投手は藤尾を内野フライに討ち取り2勝2敗にタイに持ち込んだと思われた次の瞬間、一塁手の寺田がポロリと落球。二死一・二塁となり打席には長嶋。長嶋の打球は当たり損ねの三塁前へのゴロ、三塁手の小池が猛然と突っ込み捕球しようとしたがファンブルして二死満塁。南海は勝利目前から一転してサヨナラ負けの大ピンチに追い込まれた。

打席にはこのシリーズのラッキーボーイ的存在のエンディ・宮本。スタンカは簡単に2-1と追い込み4球目は外角へ。見逃し三振で試合終了と思われたが円城寺球審の判定は「ボール」、捕手の野村は勿論スタンカもマウンドから駆け下り猛抗議するも判定が覆る事はなく試合続行。同じく外角に投じられた続く5球目を宮本は逃さず右翼線に弾き返し同点の三塁走者に続き二塁走者も生還し巨人が逆転サヨナラ勝ち。スタンカは右翼からの返球に備えてバックアップに走り、その際に円城寺球審に体当たりし円城寺は吹っ飛ばされたが即座に立ち上がり「ゲームセット」を宣告した。

スタンカの体当たりには4球目の判定に対する不満が込められていたのは誰の目にも明らかだった。試合終了を宣告した円城寺球審に再びスタンカが詰め寄った。逆転サヨナラ勝ちで日本一に王手をかけ歓喜に沸く巨人ベンチとは対照的に「おい、ジョーが行くぞ」という声が南海ベンチから発せられると脱兎の如く南海の選手達がベンチを飛び出し円城寺球審を囲み球場内は騒然とした雰囲気に包まれた。【 昭和36年11月13日号 】



今でも語り継がれる日本シリーズでのトラブル。寺田選手の落球が無かったならゲームセット直後の騒動も無かった筈だが、南海側にしてみれば落球があってもスタンカの4球目は「コース・高さ共に文句なしのストライク。あれでウチは勝っていた(野村捕手)」と未だに納得していない。野村は4球目を捕球した瞬間「勝った」とばかり立ち上がりスタンカに向かって走り出そうとしたが球審の「ボール」のコールに「えっ!!」と振り返った。球審に抗議している間、普段は冷静な野村がホームベースをガラ空きにしていたほど我を忘れていた。実はスタンカが猛然の駆け寄って来たのはガラ空きとなったホームベースをカバーする為でもあった。

この騒動に代表されるようにこの年はトラブルが続出したシーズンだった。4月29日、日生球場での近鉄-阪急戦で判定に納得できない戸倉監督(阪急)は試合放棄を敢行しようとしたが審判団はもとより阪急の球団関係者までもが説得して何とか試合続行に漕ぎ着けた。抗議時間は1時間27分に及び、その間観客は大人しく待っていて暴動に至らなかった事が救い。ちなみに試合は7対4で阪急が勝ち、試合終了後の近鉄の選手たちは長時間試合に加え負けた事でグッタリした様子だった。

騒動はグラウンド外でも。5月13日、社会人野球協会が「今後プロ野球界と絶縁する」との声明を発表した。夏の都市対抗大会が終了する迄は社会人選手を引き抜かないという「約束」を中日が破り日本生命の柳川選手を入団させた事に態度を硬化させた。中日にしてみれば「約束」は暗黙の了解であって獲得を禁止している訳ではなくルール違反ではないという主張。しかし社会人側は納得せずプロ側との対立はその後も長く続く事になる。6月にはファンの野次に怒ったブルーム(近鉄)がフェンスをよじ登ってスタンドまで入り込み相手に殴りかかるという前代未聞の暴行事件を引き起こした。

極めつけだったのが7月7日の 巨人vs 国鉄戦。0対0のまま延長戦に突入し11回表・国鉄の攻撃は二死一・二塁で鈴木の打球は三塁ゴロ。捕球した長嶋は三塁封殺を狙うが間に合わず「セーフ」、しかし走者の土屋が勢い余ってオーバーランしてしまいそのまま本塁へ走り出す。三~本間での挟殺プレーとなったが捕手へ送球した後の長嶋と三塁へ戻る土屋が交錯し倒れた所をタッチされ「アウト」に。しかし国鉄は長嶋の走塁妨害だと抗議すると判定は「セーフ」に覆った。

そうなると巨人も黙っていない。延々と抗議は続き試合は中断に。イライラしたファンがグラウンド内に物を投げ込み始めて球場内は騒然となった。騒動を鎮める為に200人を超す警備員を配置した事が火に油を注ぐ結果となり、あちらこちらで小競り合いが起き始めた。そんな雰囲気を察した巨人が折れて試合は再開されたが既に時刻は深夜12時を過ぎていた。試合は1対0で巨人のサヨナラ勝ちとなったが川上監督にして「これまでの野球人生で最悪の試合」と言わしめる事となった。ちなみにこの試合の公式記録の日付は「巨人-国鉄戦 / 7月8日」となっている。
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