初打席満塁本塁打というド派手なデビューをした3年目の駒田に続いて同じ巨人から今度は2年目・19歳の槙原寛己が初登板・初先発・初完封、それも 0対0の延長戦を投げ抜きプロ初勝利を飾った。駒田の衝撃デビューから6日後の4月16日、篠突く雨の甲子園球場でまた一人ヒーローが誕生した。槙原寛己(19歳)、「あがりはしなかったけど阪神の応援がうるさくて…。カーブは見せ球で、あとは全て直球勝負でした」と延長10回を一人で投げきり涼しい顔で言ってのけた。熱投 145球、最高球速 149km、平均でも145km前後の球を最後まで投げ続けた。
「今日は負けてもいいから槙原と心中した」と藤田監督に言わせた。槙原が生まれた1年後にプロ入りした藤田平や若虎・掛布を自慢の豪速球で捻じ伏せた。ゼロ行進が続いた延長10回表に味方が取った1点を守りきった。最後の打者の掛布が放った中堅への大飛球が中井のグローブに吸い込まれた瞬間、初登板を完封勝利で飾った。スタンドの7~8割は阪神ファンで埋め尽くされた過酷な状況下で勝つ為の頼りは自らの直球だけだった。山倉のミットだけ目がけて投げ続けた。
「おいマキ、甲子園の第2戦はお前が行くぞ」 中村投手コーチが槙原に先発を告げたのは駒田が派手なデビューを飾りベンチ裏が記者でごった返していた時だった。しかし槙原は先輩・駒田が眩いフラッシュを浴びながら多くのマスコミに取り囲まれている喧騒を自分の事のように興奮していて中村コーチの話をきちんと聞いていなかった。「前の晩に準備は大丈夫か?と聞いたらアイツ、『エッ、先発ですか』と目を丸くしていたよ」と中村コーチは笑いながら明かした。
大府高校時代に投げた甲子園球場とは明らかに雰囲気は違っていた。プロ初登板の投手を威圧するような阪神への応援が渦巻くマウンドに向かう槙原に中村コーチは「グアムから宮崎、そしてオープン戦とお前は夜も惜しんで練習したよな。その練習のままを出せばいいんだ、欲は出すなよ。それから四球を恐れて球を置きにいかないでくれ、思い切り腕を振れば打たれたっていいんだ」と言い渡し送り出した。2回まで無難に阪神打線を抑えていたが3回一死からアレン・北村に連続死球を与えてしまった。「マズイ、何とか一巡目は持ち堪えたがこんな崩れ方もあるのか…」 野球の裏の裏まで知り尽くした牧野ヘッドコーチは天を仰いだ。
中村コーチがマウンドへ駆けつけた。「どうした、雨で球が滑るのか?」と問うと「いいえ、胸元を狙ったのが少しズレただけです」と答えた。それを聞いた中村コーチは直ぐに踵を返した。外角を狙った球がスッポ抜けたのなら「ご苦労さん」と交代させるつもりだったが、この若者は全く逃げていなかった。並みの投手なら2人連続でぶつけたら遠慮するものだが次打者の佐野に投じたのはまたも内角の厳しい球だった。阪神ベンチからの野次は一瞬で消え、佐野は三塁への詰まったハーフライナーに倒れた。そして二死一・二塁で打席には掛布が入った。
この試合が記念すべきプロ入り1000試合目だったセ・リーグを代表する打者の掛布をプロ2年目の投手が睨み付ける。昨年11月23日の秋季キャンプ中の練習試合で高卒新人の槙原と初めて対戦した掛布はその印象を問われ「まだまだ一回りの投手だね。確かに球は速いけど2巡目になると球威は落ちていた。まぁ、あと2~3年は焦らず二軍で力を付けて頑張って欲しい」と余裕のエールを送っていた。あの若者が今まさに半年前とはまるで別人の姿となって自分の前に立ち塞がっている。
1球目、直球でズバリとストライク。2球目も直球。掛布は狙いすましたように強振するがバットは空を斬った。3球目、遊ぶ事なく3球勝負の直球。虚を突かれた掛布は辛うじてファールで逃れる。続く4球目、「カーブも考えたが自分には直球しかなかった」と試合後の槙原が語ったようにまたも直球。やや外角寄りの高目の球で空振り三振を奪いピンチを脱した。掛布の視線の先には堂々と胸を張りマウンドを降りる姿があった。半年前、自信無さげにマウンド上でおどおどしていたあの時の面影は消えていた。
試合が4回を過ぎたあたりから雨は本降りになった。カクテル光線に乱反射する雨の中でも槙原は冷静さを失わずにいた。「野村さんも同じ条件の中で投げている。負ける訳にはいかない」 阪神の先発は36歳の大ベテラン・野村収投手、4球団を渡り歩き辛酸を舐め尽したプロ15年生だ。延長10回裏二死、最後の最後に4度目となる掛布との対決が待っていた。あわや、という中堅への大飛球だったがもうひと伸び足りず掛布にとって屈辱の1000試合出場となった。そう言えば2年前の夏、槙原が初めて甲子園のマウンドを踏み報徳学園相手に勝ち名乗りを上げた時もやはり甲子園球場は雨模様だった。