◆落合博満(ロッテ)…今シーズン前に高らかに " 打率4割 " 宣言をした落合が苦しんでいる。球宴直前にようやく3割に乗せた。並みの打者なら及第点だが三冠王にとって満足するには程遠い前半戦だった。落合がスランプを脱するきっかけとなったのがオールスター戦だった。今季から一塁にコンバートされたがファン投票では田淵(西武)に大きく水を開けられてしまったが広岡監督によって推薦出場が決まった。しかも田淵が左腕尺骨骨折の為に出場を辞退したので一塁でフル出場する機会に恵まれた。「正直言って日本一の監督さんが認めて推薦してくれたんだからこんなに名誉な事はない。精一杯プレーするよ、何とか自分の持ち味を出して後半戦に繋げたいからね」と落合にしては珍しく殊勝に真顔で語った。今季は何度も調子の波に乗り遅れてしまった落合としてはキッカケが欲しかった。そのキッカケを栄えある夢の球宴で掴もうとしていた。
色々と試行錯誤を繰り返した。7月4日から金沢で行なわれた日ハム3連戦の2戦目試合前、落合は若手の西村や佐藤健らと共に早出特打ちを行い打撃フォーム改造に踏み切った。これまでの名月赤城山の国定忠治ばりの顔の前にバットを立てていたのをオーソドックスな構えに変えた。更に下半身の重心を下げてクローズドスタンスにした。シーズン中に打撃フォームを変えるのは大博打だが本人は「今のフォームでも悪くは無いんだが俺は今年だけじゃなく数年先の事を見据えているのさ。新たなフォームで打つようになるのは来年のキャンプ以降だよ」と新打法はまだ練習段階のようだ。技術以外の肉体的なケアも試していた。球宴の10日ほど前から医師でもある友人の勧めで大好きな酒とコーヒーを断った。「体重も落ちてスッキリして動きも軽くなったよ」と早くも効果を実感していた。
新打法の予行演習となった球宴の初戦こそ低迷した前半戦の様な内容だったが第2戦では川口投手(広島)から本塁打を放った。外角高目の速球を狙いすました様に右方向へもって行く落合本来の一発だった。「球宴で初めての本塁打だったので気持ち良かった」と大舞台に強い所を見せ復活の狼煙を上げた。第3戦(広島市民球場)では北別府投手(広島)からバックスクリーン左に先制ソロ、9回表には角投手(巨人)から軽々と左翼席上段へダメ押し2ランを放った。勿論、MVPを手にした。「北別府と角に感謝しなくちゃ。まだまだ完全じゃないけど良い手応えは掴めた」と自信に満ちた表情が戻ってきた。
案の定、球宴明けの南海戦で3安打、次の試合では自身初の4打数4安打。それも全て中堅から右方向、来た球に逆らわず打ち返す落合本来の打撃が戻った。結局南海3連戦で8安打し打率を一気に上げた。「まだまだ。でも好調時に戻りつつあると感じてる」と久々の笑顔に。8月2日の日ハム戦では0対5とリードされた9回裏、高橋一投手から13号ソロを放つとロッテ打線に火が点き打順が一巡した打席で今度は抑えの江夏から右翼席にサヨナラ本塁打を放った。目下、打率.316 (8月2日現在) で香川(南海)を猛追している。香川との差はまだ5分近いが夏場が苦手な香川はジリジリ打率を落としている。落合は「3割3分台になるまでは大きな事は言わない」と舌を出すがその表情は不調だった前半戦とは別人である。
◆福間 納(阪神)…毎朝の食卓にスポーツ紙を広げて一人ニヤニヤ笑っている福間を見て早公子夫人は「主人は頭が変になったのかと思いました」と心配したという。福間が5分も10分もジッと眺めていたのはセ・リーグ投手部門。防御率欄の第2位に福間の名前がある。「だってね、自分の名前がこれだけ新聞に載るなんてプロ入り初めて。やっぱり気分いいっスよ」と明かす。肘を痛めて深沢投手との交換トレードで阪神にやって来たが獲った阪神も「左打者専用のワンポイントに使えれば御の字」程度の評価だった。ところが福間はまさに水を得た魚の如く開花した。「珍さんがいなかったらどうなっていたか。お世辞抜きで貴重な戦力です」と安藤監督が言うほど今や阪神に欠かせない投手となった。ちなみに「珍さん」は川藤選手が福間の風貌から付けたアダ名である。
痛めていた肘は自然と癒えた訳ではない。阪神を最後の死場と追い込まれた福間が尼崎の整体師の治療を受けて治したのだ。「彼(整体師)は高校の先輩なんです。『俺が絶対に治してやる』って銭・カネ抜きでやってくれて。持つべき者は先輩です」と振り返る。肘さえ治ればもう何の心配はない。「こんな事を言ったら世話になったロッテには申し訳ないけど閑散とした川崎球場と満員の甲子園球場ではやる気が全然違いますよ。あの歓声を浴びたら次も頑張ろう、って自然となります。阪神に来れて本当に幸せです」とロッテ時代には見せなかった笑顔で語る。ロッテでは在籍2年間で27試合登板だったが阪神移籍1年目は35試合、昨年は実に63試合に登板して8月14日の巨人戦でプロ初勝利を飾った。
福間が重宝されたのは左腕である事が第一だが同じ左腕でも藤原投手は先発タイプ、益山投手は準備に時間が必要で急な登板には不向き。山本和投手は抑え役だから投げる場面が決まっている。そこへいくと福間は少しの肩慣らしで準備OKでワンポイントや中継ぎもこなせて安藤監督にとって使い勝手が良かった。瞬く間に信頼を得た所へ藤原と益山が肘痛で二軍落ちした為に福間の出番が更に増えた。ワンポイントや中継ぎ役の筈が今季は不調の山本和の代わりに抑えまで務めた事もあった。「俺は10~20球くらいの肩慣らしでも大丈夫。こんな小さな身体( 174cm,67kg )だけどスタミナには自信がある」と胸を張る。
そんな貴重な左腕が倒れた。球宴後の中日戦で大島の放ったライナーが左腕を直撃、担架で運ばれ即入院。スワ、骨折か?とマスコミは大騒ぎとなったが何と2日後にはケロッと戻って来た。試合(対巨人18回戦)は工藤~山本和のリレーで出る幕はなかったが「行けと言われたら行きましたよ。マスコミの皆さんは『今季絶望か』なんて騒いでいましたけど、ピンピンしています」と何事も無かったよう。給料査定係の石田博三氏は「仮にチームがBクラスになっても福間だけは別格。貢献度はNo,1です」と評価もウナギ登りだ。実は今オフに自宅を改装する予定で「殆どが借金ですけど初めて嫁さん孝行が出来そうです」と心は早くもバラ色のオフへ。後半戦も頑張る理由はそんな所にも有りそうだ。
◆田淵幸一(西武)…スタンドから沸き起こる大歓声の中、ゆっくりと誰にも邪魔される事なくベースを一周する。それは本塁打を放った者だけに許される時間だ。田淵はこれを過去459回も経験してきた。今季は嘗てない好調さで本塁打を量産して他者を大きくリードしていたが7月13日の近鉄戦で柳田投手から左手首に死球を受けて尺骨を骨折してしまった。当初は20日間で骨はつく、と診断されていたが実情は遅れている。「今は何を言っても始まらないよ。骨がつかなければ何も出来ないし…」と現在は埼玉・小手指にある自宅で長男の裕章ちゃん(1歳8ヶ月)相手に良きパパとなって一緒に遊んであげている。無類の人好きでファンに対して怪我をしている暗さは見せない。治療に通う病院の前でカメラを持つ少年にも「写真?いいよ一緒に写ろう」と快く応じる程だ。
プロ15年生。幾度となく怪我や病気と闘ってきた。「野球選手に怪我は付き物」と文句一つ言わない。昭和45年8月、外木場投手(広島)から左側頭部に死球を喰らい生死を彷徨った。球の避け方が下手でその後も死球を受けて欠場を余儀なくされたり急性腎炎を患い戦列を離れたりしたが、その都度這い上がってきた。本塁打王争いを独走中で久々のタイトル獲得が見えていただけに今回の怪我のショックは大きかったが望みは残っている。現在の29本塁打はまだトップである。8月いっぱい西武が順調に試合を消化していくと103試合で27試合残っている。仮にテリー(西武)が8月中にあと7本打つとすると34本、門田(南海)が10本打っても33本でまだ追いつくのは可能だ。
プラス材料は田淵に多い。先ず、田淵は固め打ちが得意で1本出ればポンポン続く事が多い。テリーは4月こそ量産したが5月以降はポツリポツリだ。二つ目は日本人選手であるという事。実はこれが大きい。相手から見ても「同じ打たれるなら外人選手より日本人選手の方がマシ」という心理が働くのは過去の動向からもハッキリしている。三つ目はテリー自身が本塁打に拘っていない点。「ボクは長距離砲じゃない。春先にポンポンと出た時に本塁打を狙ってフォームを崩してしまった。安打を沢山打つのがボクの役割」と本塁打王は眼中にはない。もう一人の門田も怖い存在だがテリー以上に量産体制が必要でベテラン選手には酷と言える。
水銀柱が35℃を超える真夏の炎天下、セミの鳴き声を背中に受けて黙々と走り込みをする田淵の姿がある。自身の誕生月でもある9月と言えば好きで燃える季節だ。また9月15日は敬愛する父親・綾男さんの命日で毎年9月は他の月以上に気合が入り本塁打を量産してきた。運命の糸に引かれるように白球をスタンドへ運んだ。自分でも「この季節は打てる」と信じて打席に入っている。動かせない左手を机の上に置き右手でメモを取りながら味方の戦いぶりをジッと見つめている。復帰する時の心の準備だけは怠っていない。「まだ大丈夫。俺はまだ終わっていない」…最後の27試合に賭ける田淵の熱き闘志を込めた雄叫びが漏れてきた。