
「う~ん、これは…」と阪急・上田監督は思わず唸った。目の前で練習する縦縞のユニフォームの群れは今まで上田監督が見てきた阪神の練習風景とは違っていた。3月2日、高知・安芸キャンプで行なわれた阪神のオープン戦初戦は例年通り、同じ高知でキャンプを張る阪急だった。三塁側ベンチに腰を下ろし阪神の練習を見入っていた上田監督。次第にその表情が変わっていった。「阪神は変わったね。グラウンドにいる選手全員が動いている。去年までは一部の選手が練習している間、他の選手はただブラブラしていた。でも今年は違う。監督やコーチが色々と考えているのがよく分かる」と阪神の変貌ぶりに上田監督は驚きを隠さなかった。
土台作りを主要テーマに掲げスタートした吉田阪神。若手育成の大号令をかけたが正直言ってその道のりは険しい。仲田投手の快速球はキャンプを訪れた評論家の目を見張らせたが、その実力は未知数。キャンプ打ち上げに際し「ベテラン勢の方が元気があった事は否めず、若手が今ひとつ良い結果を出せなかったのは残念。でも今の阪神は耐える時期だと考えている。一・二軍合同でキャンプを張った効果はいずれ実を結ぶと信じている」とやや苦悩を滲ませながら吉田監督は総括した。若手の伸び悩みに関してはスポーツ紙上でも取りざたされた。北村が右肩の怪我でキャンプ途中で離脱したり、シュアな打撃が期待の吉竹の不振など。
若手の底上げと共に吉田阪神の課題が野手陣の大コンバート。遊撃には守りに定評がある平田を固定。欠場がちでポジションをたらい回し状態だった岡田を二塁に、昨季は主に二塁を守っていた真弓を右翼に配置替えを敢行した。キーマンは岡田で昨オフの契約更改の席で「たらい回しするなら西武へトレードしてくれ」と直訴し騒動となった。二塁に固定された岡田の表情は生き生きとしていた。自ら望んだ二塁への再転向という後戻り出来ないレールが敷かれ張り切りざるを得ない面もあるがそれだけではない。吉田新体制の指針、テーマにすんなり溶け込んでいったからだ。「特に先頭に立って引っ張っていこう、という意識は無い(岡田)」とその風貌通り飄々としているが首脳陣はニンマリである。
キャンプ中盤から始まった守備特訓で掛布と岡田は常にコンビを組んだ。普通はノッカーと選手が1対1で行なうものでコンビでやるのは珍しい。球団初の試みだそうで吉田監督と一枝コーチの発案だとか。これには " KとOは一対 " という首脳陣の考えが表れている。「あくまでも掛布が前輪で岡田が後輪という形ですけど要は2人でチームを牽引していって欲しいという我々の考え」と吉田監督は言う。こうした考えに岡田は勿論だが掛布もまたミスタータイガースの誇りを保持し、生まれ変わった阪神に同化していっている。キャンプ中に掛布は親しい新聞記者に「今のウチは本当に良い雰囲気なんだ。このまま秋まで続けばいいんだけどね」と心情を吐露している。
個人タイトルは数々手にしてきた掛布だが未だに知らない優勝の美酒。チーム全体、ナイン全員で分かち合える喜びを掛布はここ数年、切実に望んできた。その美酒がすぐ近くにある事を肌で感じ取っている。付け加えるならば岡田に対する目も巷間伝えられているものとは違い、厳しさの中に愛情溢れるものがある。「彼はまだ年俸二千万円前後の選手でしょ。先ずは五~六千万円もらえる選手になる事ですよ。そうすれば自ずとチーム内でそれなりの選手となる。彼にはその力が間違いなく有るんですから」と岡田が自分のライバルと称されている事に対してビシッと言い切っている。一見、突き放した言い方ではあるがその言葉の裏には「早く俺に追いつけ」という激励が込められている。
若手の息吹を大切にしつつ一方で岡田に中心選手としての意識を植え付けようと臨む土台作りの道。岡田だけではなくベテラン勢にもお互いの立場を尊重しようという気風も存在する。今の阪神には新旧勢力が一体となる過程での緊張感が漂っている。そんな中、自由な雰囲気も吉田阪神の指針の一つとなっている。キャンプ後半、朝の体操に掛布と平田が遅刻し更に真弓と吉竹が欠席する事態が起きた。一部スポーツ紙が " 大事件 " と仰々しく報じたが吉田監督は口頭での注意だけで罰金などの制裁は避けた。元々吉田監督は「そういう(罰金)形で律するのは好ましいとは思わない」と罰金制度は否定的な立場で、これから始まる公式戦でも「プレー上のミスやボーンヘッドに対して罰金は取らない」と明言している。
余りに自由過ぎてチームが崩壊した過去がある阪神を思うと少々不安だが吉田監督は選手を大人扱いしようとしている。「縛りつけられている印象はないですね。メリハリが有るというか、ちょうど " オッサン " と同じやり方ですね」と話すのは永尾。永尾が言うオッサンとは元近鉄監督の西本幸雄氏の事。かつて西本氏の下でプレーした永尾は厳しさとリラックスの融合を経験している。敢えて " 西本監督 " を見習おうとしている訳ではなく結果的に同じ手法を取る形となった。自由と厳しさが同居する吉田阪神のキャッチフレーズ " FIGHT・FRESH・FOR THE TEAM " の「3F野球」を標榜する吉田丸は順調に船出した。