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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 797 新人王

2023年06月21日 | 1977 年 



今年のオールスター戦にヤクルトの梶間投手が新人でただ一人出場した。セ・リーグの新人王レースも勝負あったという感じだが、昨年から規定が改正され新人王は今年入団の選手だけに限られなくなった。今年の新人王有資格者を総ざらいしてみた(記録は7月19日現在)

新人王争奪で図られる深慮遠謀
昨年の10月21日、広島対ヤクルト戦(広島)に先発した北別府投手は7回表二死後に1点を失うと直ぐに降板した。得点は広島が3点リードしており交代させる必要はなかったのだが、今年の新人王を見据えた配慮だったのは明らかだ。高卒ルーキーの北別府投手はここまで投球回数は29回 1/3 。30回を超すと新人王の有資格を失う。この試合に勝利しても2勝1敗で新人王には実績不足だ。北別府投手の降板は新人王を獲らせる為の首脳陣の深慮遠謀だったのだ。従来、新人王候補は公式戦に出場していなければプロ入り何年過ぎていても有資格者だった。昭和46年にセ・リーグの新人王に選ばれた関本投手(巨人)はプロ4年目だった。

打者1人に対戦しただけでその資格は行使されてしまう。昭和48年に成東高から中日入りした鈴木孝投手は開幕直後の4月19日の大洋戦に三番手で登板し8回裏を僅か9球で三者凡退に退けたが、その後はずっと二軍暮らしが続き鈴木孝投手の新人王の資格はこの年で終わった。翌49年の新人王は藤波選手(中日)が選ばれたが、殆ど代打要員で114打数33安打・打率 284 と特筆すべき成績ではなかった。この年の鈴木孝投手は35試合・4勝2敗2Sだったので仮に有資格者だったら新人王に選ばれてもおかしくなかった。ちなみに藤波選手への投票は37票。該当者なしが全体の44%にあたる89票もあった。

昭和51年1月27日のプロ野球実行委員会で新人王の資格が改訂された。プロ入り5年以内で投手なら通算30イニング、打者なら通算60打席以下の選手を有資格者と改めた。そこで早速、昨年の新人王の投票にあたって高木選手(大洋)に9票が投じられた。高木選手は昨年でプロ5年目だが過去4年で40打席しかなかったからである。角選手(ヤクルト)は昨年8月4日の巨人戦のプロ初打席で左前打、続く2打席目に左中間2塁打。翌日の巨人戦でも右中間2塁打と3打席連続安打の鮮烈デビューを飾ったが、10月3日の巨人戦で3打席凡退するとベンチに退き、残りの13試合には出場せず通算56打席と新人王の資格を残したままシーズンを終えた。


セの本命にあげられる梶間の実績
鉾田一高から日本鋼管を経て昨年のドラフト会議で酒井投手に次ぎ2位指名でヤクルト入りした梶間投手。オープン戦で5試合に登板し球威はそれほどでもないが巧みな投球術で打者を翻弄し開幕一軍を果たした。4月10日の大洋戦に登板し4回を2安打・無失点と実力の一端を示した。この好投が広岡監督に評価され16日の巨人戦で先発投手に起用された。試合は5失点で敗戦投手となったが王選手から三振を奪うなどキラリと光るものがあった。9日後の27日の中日戦で中継ぎで2回 2/3 を投げてプロ初勝利を手にした。すると5月13日の大洋戦で初完投勝利、6月8日の阪神戦で初完封勝利を飾り7月19日現在、防御率 2.94 はリーグ2位だ。

大洋の斎藤明投手は梶間投手に次ぐ4勝をあげているが完投はゼロ。7月12日の阪神戦では6回まで無失点と好投したが見方も無得点とツキに見放され7回に田淵選手に本塁打を許し8回に打順が回ると代打を送られ完投を逃した。この2人を除くとこれといった新人王候補は見当たらない。人気で圧倒する酒井投手は初登板した4月21日の大洋戦で7回無死で退くまで2失点と好投したが、それ以降は


5月1日:対巨人・5回・4失点  
5月9日:対巨人・3回 2/3 ・4失点  
5月14日:対大洋・1回 2/3 ・2失点
5月28日:対中日・1回 2/3 ・5失点
   と結果を残せず、6月1日の対大洋戦でリリーフ登板した後に二軍落ちした。

打者で有力候補だった松本選手(巨人)は左肩脱臼で戦線離脱し新人王レースからも脱落。当初は打撃が課題とされていたが、4本塁打を含む打率 378 と予想を覆す活躍を見せていただけに怪我が惜しまれる。一方のパ・リーグには投打共に候補者すら頭に浮かばない。新人王の有資格者で本塁打を放ったのは大宮選手(日ハム)ただ一人。その大宮選手も先輩の加藤捕手が好調でなかなか出番が回ってこない。投手では梶間投手より早く初勝利を飾った仁科投手(ロッテ)だったが完投ゼロの3勝では決め手とならない。佐藤投手(阪急)は初先発初完投勝利を記録したが、多士済済の阪急で出番が限られるのが難点。


条件厳しかった一昔前の新人王
以前は打者ならば規定打席に達したうえで打率は2割8分以上、投手なら15勝前後が新人王の最低条件の不文律とされた時代があった。今から考えると随分と厳しい条件であった為、昭和35年に東筑高から近鉄に入団した矢ノ浦国満選手は19歳で110試合に出場し華麗な守備で鳴らし、打率 256 をマークしながら新人王を見送られたことがあった。しかし最近では一定の水準を決めたりせず、その年の候補者の中で最高の成績をあげた選手を選ぶようにして「該当者なし」の事態を避けるようにしている。それをよく表しているのが冒頭で記した藤波選手(中日)と三井投手(ロッテ)が選ばれた昭和49年の新人王だろう。

三井投手はオールスター戦までは10試合・2勝2敗と目立った活躍はしていなかった。それが後半戦は21試合に登板し4勝3敗4Sと先発と抑えの切り札を兼ねて、6勝5敗4Sでロッテの後期シーズン優勝に貢献した。三井投手のように後半戦に調子を上げて新人王になったのが安田投手(ヤクルト)。昭和47年の前半戦終了時点で安田投手は29試合・1勝4敗・防御率 3.25 だった。それが後半戦に入って間もなくの8月5日の大洋戦で初完封勝利をすると調子に乗って、後半戦は96回 1/3 ・自責点13 で防御率 1.22 (通算 2.08)という快投を見せ最優秀防御率のタイトルを獲得し、文句なしで新人王に選ばれた。

過去の新人王のうち、投手の最少勝利数は三井投手の6勝。打者の最少打数は藤波選手の114打数。今年もこの最少ランクを下回るようなら見送りということも有り得よう。新人王はMVP(最高殊勲選手)やベストナインと同様に全国のプロ野球担当記者による投票で決定されるが、「該当者なし(白票を含む)」が総投票数の50%以上になると選出を見送ることになっている。果たして今年は誰が選ばれるのだろうか?このまま梶間投手が逃げ切るのか、斉藤投手が追いつき追い越すのか。またまた今はまだ身を潜めているダークホースが突如現れるのか注目である。
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