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# 739 悲願の初優勝へ

2022年05月11日 | 1977 年 



あのヤクルト・松園オーナーが最近ソワソワしっ放しという。松園サンだけじゃない。女子職員に至るまで勇ましい「今年こそV1!」の掛け声。大健闘の前半戦、一昨年の赤ヘルの奇跡を思い出すまでもない。夢が現実に何となく近づいてくればその気になるのも当然。だがどうも選手たちコチコチになってきたのが心配だ。

熱心なオーナーにフロントはピリピリ
ヤクルト球団のフロント陣はこのところ神経が磨り減る思いをしているという。長いペナントレースだから勝った、負けたで一喜一憂する必要はない筈だったのだがワンマン経営者の松園オーナーが最近になってやたらとヤクルトの戦いぶりが気になって気になって仕方ないらしく、しきりにフロント陣に状況報告を催促するようになったのだ。東京の東新橋にあるヤクルト本社。松園オーナーは出社すると16階の社長室でありとあらゆる新聞に目を通す。以前はさほどスポーツ欄に関心はなったのだが、今ではヤクルトの記事が載っているのを見つけると隅から隅まで読んで球団事情に詳しくなった。

批判的な記事が書かれていようものなら「一体これはどういうことか」と秘書や球団フロントが詰問されて返答に困ることが度々あるそうだ。松園オーナーが熱くなるのも無理のないこと。昭和43年12月、サンケイ新聞から「アトムズ」を買収し、翌年3月に正式にオーナーに就任して以来、足かけ8年まだ一度も優勝経験がないのだ。そもそもは全国7万人いるヤクルト社員の娯楽の為にプロ球団を持った程度の認識しかなかった松園オーナーだったが、いざ球団オーナーになってみると会社のPRが出来れば安い買い物という当初の考えを改めるようになった。事業の鬼と呼ばれる松園オーナーは勝負事には勝たないと気が済まない。

「ここ2~3年は優勝するかも、みたいな記事を素人だから鵜吞みにしてきたが今年は違う。私なりに分析して本気で優勝できると思っている」と松園オーナーは力説し、早々と選手たちの目の前にニンジンをぶら下げた。「優勝すれば勿論、終盤まで優勝争いを演じれば来年のキャンプはブラジルで行なう。キャンプが終わり帰国する途中でアメリカに寄って大リーグのチームとオープン戦をする」という壮大なプランをオープン戦を観戦していた長崎市内で記者会見し発表した。ヤクルト担当記者によれば発表の翌日には球団フロントを呼んでブラジルについての下調べを命じたそうなので松園オーナーの本気度は相当なのもだ。

海外キャンプはこれまで巨人・阪神・ロッテ・中日がアメリカで、台湾でもクラウン(当時は太平洋クラブ)・巨人が行なっている。アメリカよりもっと遠い、地球の裏側までわざわざ大金をかけて行く必要もなさそうだが、松園オーナーは「なぁに、九州の湯之元でキャンプするのと大して変わらんよ」と太っ腹だ。しかも昭和43年に現地で創設された「ブラジルヤクルト」の業績はすこぶる好調でブラジルでのヤクルトの知名度は高く歓迎する声は多いそうだ。ヤクルトナインにとっては未知の土地で何かと不便なこともあろうが、ヤクルト本社にとっては更なる知名度アップのチャンスでもあり乗り気なのだ。


偉大な組織からの選手への報奨金
ご褒美はキャンプだけではない。松園オーナーが考え出した第2弾はチーム内で毎月選ばれるMVPに贈られる報奨金である。球団内に選考委員会を設けて試合ごとにMVPを選び、リーグが選ぶ月間MVP同様に表彰して士気を高めるプランだ。監督賞とかオーナーのポケットマネーによる報奨制度はどこの球団でも大なり小なりあるがヤクルトが出すこの種の賞金が今年はアップした。自らの腕一本が頼りでサラリーマンのように定期的に昇給したりはしない。勿論、ボーナスもない。あるとするなら各球場についているスポンサーからの勝利投手賞やホームラン賞の金一封くらいである。

しかしヤクルトでは後援会からという名目で月別、試合ごとに分けて報奨金が出ている。後援会とは名ばかりで本社のお偉いさんが音頭取りで後援会長は本社の山下専務であって実際はヤクルト本社からの報奨金である。報奨金は毎試合必要になるがどこからその資金を捻出しているかというと、ヤクルトはグループ会社がピラミッド型に組織され頂点に本社があってその下に原液工場、ポリ詰め工場、営業所、販売店があり、多岐多様に幅広く各所からお金を集めて後援会に納めている。初優勝の為の後援会費用などアッという間に集まるのだ。だが「ヤクルトの選手が競り合いに弱く精神的に甘いのは懐が温かくハングリー精神がないからだ」と指摘する声もあり痛し痒しだ。

今年から埼玉県戸田市の荒川河川敷に二軍専用の新球場が出来たが、これもヤクルトグループの総合運動場として建設した一部を球団が優先的に借りているシステム。また酒井投手ら若手が住む中野合宿所はグループ企業の一つである西東京ヤクルト販売所の社員用アパートの5・6階部分を球団が借り上げている。こうした組織だから前身である国鉄が鉄道弘済会を母体にして結成されたのと同じで必要な資金はグループ企業から集められるので潤沢で、月間のMVPなどに金一封を贈呈することなど造作ないことだ。


" 優勝チームのオーナー " が男の花道
球団経営に乗り出して満7年になりながら未だに優勝は皆無。12球団で唯一のV未経験とあれば松園オーナーが目の色を変えだしたのも当然だろう。「財界人の集まりで野球の事を聞かれる度にオレは恥をかきっ放しなんだ。球団は黒字経営で優等生かもしれんが堪らんよ」と松園オーナー。優勝貧乏という言葉がある。毎年チームが優勝争いをすれば必然的に選手の年俸は上がる。そのせいで球団の財政は苦しくなる。まさにヤクルトはその状態になりつつある。だが松園オーナーは「財政状態?そんなものはなんてことない。チームが勝つ、人気が出る、観客が増える、入場料収入が増える。簡単なことだよ」と優勝貧乏とやらを一笑に付す。

とにかく優勝の感激に浸りたい。赤ヘルの奇跡に広島県人が老いも若きも熱狂したあの優勝の興奮を味わっていないのは松園オーナーはじめ関係者やファンの人たちだけなのだ。大正11年、長崎県五島列島で生まれた松園オーナーは昭和18年に上京。法政大学に進学した後に一度長崎に帰り草履の行商までしたらしい。あらゆる商売をやり資金を貯めて改めて上京し、八王子で大八車で売り出したのがヤクルト飲料だった。いわば現代の立志出伝中のヒーローである。今里広記氏や五島昇氏、盛田昭夫ら財界の大物と肩を並べて交遊するようになった松園オーナーにとって次に欲しいのは勲章でもなく、プロ野球球団のオーナーの花道として " 優勝 " なのかもしれない。

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