ひとつの壁にぶち当たった時、人間それをどう突き破るか。一番難しいところだが、それを見事成功した後の生きざまは素晴らしいものになるはずである。
セーブは男の生き甲斐、反逆児の転身
「ここいらで踏ん張らないと名前を忘れられてしまう」江夏投手が復活宣言をした。阪神から南海に移籍し、期待されながら昨シーズンは勝ち星が少なくその名前は新聞紙上から消えた。そんな江夏投手がリリーフ役に徹し復活を遂げた。8月15日の阪急戦でリリーフし6試合連続セーブポイントを記録した。これは7月10日の近鉄戦ダブルヘッダーでのセーブから数えて8連続セーブとなり、中日の鈴木孝投手が一昨年にマークした7連続セーブのプロ野球記録を更新した。「記録といってもリリーフじゃねぇ。でもまぁチームの勝利に貢献できることは働き甲斐のあることだわな」と江夏投手は振り返る。
往年の江夏投手を知る人には驚きの発言だろう。根っからの先発完投型で監督が交代を命じたらプイッと横を向き不貞腐れた表情をするのが珍しくなかったのだ。反逆児と呼ばれ異端者とまで言われた江夏投手の最近の豹変ぶりには驚かされる。苦悩の末のリリーフ役転向だった。開幕前に左腕の血行障害を起こし、一時は再起不能とさえ言われたくらい重症だった。しかし腕に電流を当てパラフィンで患部を温める特殊な療法が効いて徐々に回復し投球に支障がないところまで這い上がってきた。球団は数十万円する治療器具を江夏投手の為に購入し、大阪球場のロッカールームの奥に設置した。
午後に球場入りするナインより一足早く江夏投手はロッカールームに来て治療器具を使用した後、入念にマッサージを受けて試合に臨んだ。阪神時代に酷使した左腕はボロボロだった。江夏投手は「過去の事は言うまい。今は一生懸命、若い選手たちに負けないよう頑張るだけや」と静かに語るが、そもそも " 若い選手 " という表現を使うほど江夏投手はまだ29歳で老け込む歳ではない。野村監督も「江夏の存在は大きい。若手選手にはない経験値がある。自分は江夏を頼りにしている」と江夏投手の存在の大きさを指摘し、昨シーズンの不振から「江夏獲得は失敗だった」という声にも「そんなことはない」と言い続けてきた。
あの江夏が「監督のために」と
野村・江夏会談は昨オフからずっと続いてきた。江夏投手が監督と膝を交えて話し合うのは初めてで、阪神時代では皆無だった。「野村監督は僕を庇い、励まし人生についてまで教えてくれた。こんなありがたいことはない。僕は野村監督の為、チームの為にリリーフ役に徹することを決意しました」と話す江夏投手の表情は底抜けに明るかった。そんな江夏投手にショッキングな事が起きた。阪神時代には常連だったオールスター戦に選出されなかったのだ。江夏投手はオールスター戦期間中の休みを利用して野村監督の自宅がある豊中市刀根山に引っ越しを行なった。選手がシーズン中に住まいを変えるのは異例である。
それ以来、遠征に行く時も野村監督と行動を共にした。野村監督にとっても江夏投手と一緒にいることで左ヒジの状態を確認できて都合が良かった。「江夏の復活は信じていた。あれだけの大投手を短い寿命で終わらせしまってはいかん。それはワシの使命でもある」と42歳で今なお捕手という重労働に耐えて現役で活躍する野村監督にとって江夏投手の選手寿命を延ばすことは大事な仕事である。藤田学、山内、佐藤、金城投手らを先発で起用できるのもリリーフ役の江夏投手が控えているからだ。本人の努力と周囲のサポートもあって江夏投手は復活することができた。
左ヒジの痛みもなくなり「毎日でもいい。僕が役立つならいつでもマウンドに立ちたい」と " 優等生 " になった江夏投手は話す。「本人も速球一本やりで押し通すのはもう無理だと気がついて、打者との駆け引きや読みを駆使した投球術は天下一品。あとは左腕がどれくらい耐えられるかだ」と評論家各氏は口を揃える。また南海担当記者は「江夏は逆境を乗り越えて性格まで変わった。子供も生まれて親としての自覚を持つようになり、公私共にまさに文字通りの大変身だ。チームに溶け込もうという気持ちがいじらしいほど分かる」と言っている。秋口に向かって江夏投手の投球から目が離せない。
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