
美術館に来て、特別展だけ見て帰る、というのは、じつにもったいないことです。
美術館の本筋は、常設展示室です。
ここには、わざわざ高い金で購入した価値ある美術品が、数カ月おきに展示替えされて、並んでいるのです(もちろん寄贈品もあるけれど)。
税金ですから、ヘタな買い物はできません。だから、コレクションは、おおむね質の高いものがそろっており、見て損はしないと思います。
今回は、所蔵品44点の、鑑賞のエッセンスを、かるたの短い文句にまとめた「かるたdeこれくしょん」という展覧会を見てきました。
まあ、このかるたのことばを読んで、美術品にたいする理解が飛躍的に深まるかどうかはわかりませんが、なんとかして気軽に、美術品にしたしんでもらおうという、学芸員の苦心は、理解できます。
また、入場者全員に、切り取ってかるた遊びもできる豪華なカラーリーフレットを配布しているのも、ポイント高いです。
今回は、かるたと、作者・題名以外のキャプションはありませんので、このリーフレットをめくりながらの鑑賞です。
ただ、かるたにひとつだけ註文をつければ、たまに「生命」に「いのち」、「造形」に「かたち」などとルビをふっているのがありました。
これは、「女」を「ひと」と読ませる一昔前の演歌みたいで、すこしダサイと思います。
子どもも見に来る展覧会なのですから、常用漢字(可能なら教育漢字)の範囲で、読めるものにすべきではないでしょうか。
常設展示室は、ストロボなしで、接写でなければ、写真撮影は禁止されてはいません。
とりあえず著作権にひっかからない作者の作品を何枚かアップしましたが、なにかさしさわりがあればご指摘いただけると助かります。
で、冒頭は、林竹治郎「朝の祈り」です。
作品の横には
この絵は1906年(明治38年)の作品。
道内から最初に文展に入選した作品として知られています。
リーフレットには
筆者は何度となくこの絵を見ていますが、この場所、つまり常設展示室の入り口以外に飾られていたという記憶がありません。
「スタート1発目」がこの絵の定位置なのです。
きっと「幕開け」にふさわしい場所なのでしょう。
「幕開け」の絵が、キリスト教を題材にしていること自体、北海道(札幌)の開拓が、米国からのお雇い外国人による部分が大きいという特殊な歴史的事情を、反映しているとも言えそうです。
いまの札幌は、べつにクリスチャンが多いわけでもなんでもありませんが、初期にあっては、ピューリタニズムが都市の大きなバックボーンになっていたことは確かです。
ただ、この絵が「幕開け」として認知されるのは、札幌中心、洋画中心という歴史観の文脈においてです。
もし函館(箱館)・松前を起点とする北海道の美術史を想定するとしたら、この絵が、それほど特権的な位置を占めることはありえません。
ここは、札幌にある、道の美術館です。とすれば、札幌中心になるのは当然のことといわねばなりません。
かるたの排列にも、或る種の政治が、顔をのぞかせています。
また、かるたの五十音順という、一見美術史の流れから自由であるような展覧会(それは、最近の美術館におけるひとつのトレンドだと思います)でも、さりげなく歴史を反映しているということを、指摘しておきたいと思います。
さて。
「い」は、
「う」は、
2月6日(火)-3月25日(日)
道立近代美術館(中央区北1西17 地図D)
美術館の本筋は、常設展示室です。
ここには、わざわざ高い金で購入した価値ある美術品が、数カ月おきに展示替えされて、並んでいるのです(もちろん寄贈品もあるけれど)。
税金ですから、ヘタな買い物はできません。だから、コレクションは、おおむね質の高いものがそろっており、見て損はしないと思います。
今回は、所蔵品44点の、鑑賞のエッセンスを、かるたの短い文句にまとめた「かるたdeこれくしょん」という展覧会を見てきました。
まあ、このかるたのことばを読んで、美術品にたいする理解が飛躍的に深まるかどうかはわかりませんが、なんとかして気軽に、美術品にしたしんでもらおうという、学芸員の苦心は、理解できます。
また、入場者全員に、切り取ってかるた遊びもできる豪華なカラーリーフレットを配布しているのも、ポイント高いです。
今回は、かるたと、作者・題名以外のキャプションはありませんので、このリーフレットをめくりながらの鑑賞です。
ただ、かるたにひとつだけ註文をつければ、たまに「生命」に「いのち」、「造形」に「かたち」などとルビをふっているのがありました。
これは、「女」を「ひと」と読ませる一昔前の演歌みたいで、すこしダサイと思います。
子どもも見に来る展覧会なのですから、常用漢字(可能なら教育漢字)の範囲で、読めるものにすべきではないでしょうか。
常設展示室は、ストロボなしで、接写でなければ、写真撮影は禁止されてはいません。
とりあえず著作権にひっかからない作者の作品を何枚かアップしましたが、なにかさしさわりがあればご指摘いただけると助かります。
で、冒頭は、林竹治郎「朝の祈り」です。
作品の横には
朝の祈りという大きなかるたの札が貼ってあります。
照らす光
この絵は1906年(明治38年)の作品。
道内から最初に文展に入選した作品として知られています。
リーフレットには
時代は日露戦争中、熱心なクリスチャンだった作者自身の家族をモデルに描かれた作品で、北海道洋画史の幕開けを告げる記念作でもあります。と書いてありました。
筆者は何度となくこの絵を見ていますが、この場所、つまり常設展示室の入り口以外に飾られていたという記憶がありません。
「スタート1発目」がこの絵の定位置なのです。
きっと「幕開け」にふさわしい場所なのでしょう。
「幕開け」の絵が、キリスト教を題材にしていること自体、北海道(札幌)の開拓が、米国からのお雇い外国人による部分が大きいという特殊な歴史的事情を、反映しているとも言えそうです。
いまの札幌は、べつにクリスチャンが多いわけでもなんでもありませんが、初期にあっては、ピューリタニズムが都市の大きなバックボーンになっていたことは確かです。
ただ、この絵が「幕開け」として認知されるのは、札幌中心、洋画中心という歴史観の文脈においてです。
もし函館(箱館)・松前を起点とする北海道の美術史を想定するとしたら、この絵が、それほど特権的な位置を占めることはありえません。
ここは、札幌にある、道の美術館です。とすれば、札幌中心になるのは当然のことといわねばなりません。
かるたの排列にも、或る種の政治が、顔をのぞかせています。
また、かるたの五十音順という、一見美術史の流れから自由であるような展覧会(それは、最近の美術館におけるひとつのトレンドだと思います)でも、さりげなく歴史を反映しているということを、指摘しておきたいと思います。
さて。
「い」は、
意外な素材がで、一原有徳「XII1」。
生み出すかたち
「う」は、
うつろう自然で、木田金次郎「秋のモイワ」…とつづきますが、長文になったので、あたらしいエントリに続けたいと思います。
とどめる絵筆
2月6日(火)-3月25日(日)
道立近代美術館(中央区北1西17 地図D)