
(承前)
小樽文学館・美術館の瀧口修造展は6月いっぱいで終了した。
わたしは、2013年の北海道での展覧会ベストスリーは、小樽の瀧口修造、岩内の木田金次郎第1回個展の頃、鹿追の室内風景だと、見る前からいい続けてきた。
だから、見なかった人(とくに札幌や小樽の美術ファン)に対しては厳しく追及したいが、まあ、それはそれとして、図録だけでも入手しておいたほうがいいよと言っておく。
2000円で、かなりの充実ぶりだ。
ただ、この図録で、たったひとつ
「これは載せてほしかったなあ」
というものがある。
言っても、詮方ないことではあるのだが。
それは、島常雄氏が、現存しない写真をもとに描いた、「島屋」の油絵である。
図録の143ページに小さく、油絵が完成する前のスケッチが収録されている。
油絵は、図録印刷に間に合わなかったのだろう。
「島屋」は、瀧口修造の長姉みさをが開いた文具手芸の店である。修造も店を手伝っていたといわれる。
常雄氏は、みさをが嫁いだ島常次郎と、みさをが1939年に歿してから再婚した中谷アヤヲの長男。
瀧口修造からみると、どんな関係になるんだろう。姉の夫の再婚相手の長男、か。
図録によると
「島常次郎は昭和33年7月小樽で没し、文具店「島屋」は昭和63年3月まで現在の島常雄氏宅にあたる場所で営業していた」
とのことである。
そのほか、花園小学校のすぐ前にあったことと、島屋の前の道路は戦争中の疎開で拡幅されたことを、どこかで読んだ(図録をめくったが、どこにその記述があるのか、わからない)。疎開というのは、子供だけでなく、建物などを半強制的に壊して道路を広げ空襲などに備える場合にも使った言葉だった(すすきのの南4条通がやたらと広いのは、戦中の疎開のためである)。
住所は「花園町西三ノ二九」。これは、旧表記である。
筆者は瀧口修造展を見て、島屋の跡を確かめないで帰るわけにはいかなくなり、行ってきた。
あえて現住所はここに書かないし、地図へのリンクも貼らない。
ただ、花園といっても、飲み屋街ではなく、小樽公園に近い、坂のてっぺんのほうである。
ちょうど花園小学校が運動会で、にぎやかな歓声があたりに響いていた。

ところで、かつての島屋の絵を描いた島常雄さんは、道展油彩部門の会友であり、けっして絵の素人ではない。
道展出品作は、小樽の手宮の鉄道記念館や運河プラザなどにたくさんの人が集う、にぎやかな作品である。丁寧な写実はどこかアンリ・ルソー風であり、風船がたくさん飛んだりしている様子は幻想的でもある。
瀧口修造展には直接関係のない事柄とはいえ、今回の展覧会に感銘を受けた人々に、脳裡のどこかにとどめておいてほしいことである。

さらば、小樽。
また来るよ。
小樽文学館・美術館の瀧口修造展は6月いっぱいで終了した。
わたしは、2013年の北海道での展覧会ベストスリーは、小樽の瀧口修造、岩内の木田金次郎第1回個展の頃、鹿追の室内風景だと、見る前からいい続けてきた。
だから、見なかった人(とくに札幌や小樽の美術ファン)に対しては厳しく追及したいが、まあ、それはそれとして、図録だけでも入手しておいたほうがいいよと言っておく。
2000円で、かなりの充実ぶりだ。
ただ、この図録で、たったひとつ
「これは載せてほしかったなあ」
というものがある。
言っても、詮方ないことではあるのだが。
それは、島常雄氏が、現存しない写真をもとに描いた、「島屋」の油絵である。
図録の143ページに小さく、油絵が完成する前のスケッチが収録されている。
油絵は、図録印刷に間に合わなかったのだろう。
「島屋」は、瀧口修造の長姉みさをが開いた文具手芸の店である。修造も店を手伝っていたといわれる。
常雄氏は、みさをが嫁いだ島常次郎と、みさをが1939年に歿してから再婚した中谷アヤヲの長男。
瀧口修造からみると、どんな関係になるんだろう。姉の夫の再婚相手の長男、か。
図録によると
「島常次郎は昭和33年7月小樽で没し、文具店「島屋」は昭和63年3月まで現在の島常雄氏宅にあたる場所で営業していた」
とのことである。
そのほか、花園小学校のすぐ前にあったことと、島屋の前の道路は戦争中の疎開で拡幅されたことを、どこかで読んだ(図録をめくったが、どこにその記述があるのか、わからない)。疎開というのは、子供だけでなく、建物などを半強制的に壊して道路を広げ空襲などに備える場合にも使った言葉だった(すすきのの南4条通がやたらと広いのは、戦中の疎開のためである)。
住所は「花園町西三ノ二九」。これは、旧表記である。
筆者は瀧口修造展を見て、島屋の跡を確かめないで帰るわけにはいかなくなり、行ってきた。
あえて現住所はここに書かないし、地図へのリンクも貼らない。
ただ、花園といっても、飲み屋街ではなく、小樽公園に近い、坂のてっぺんのほうである。
ちょうど花園小学校が運動会で、にぎやかな歓声があたりに響いていた。

ところで、かつての島屋の絵を描いた島常雄さんは、道展油彩部門の会友であり、けっして絵の素人ではない。
道展出品作は、小樽の手宮の鉄道記念館や運河プラザなどにたくさんの人が集う、にぎやかな作品である。丁寧な写実はどこかアンリ・ルソー風であり、風船がたくさん飛んだりしている様子は幻想的でもある。
瀧口修造展には直接関係のない事柄とはいえ、今回の展覧会に感銘を受けた人々に、脳裡のどこかにとどめておいてほしいことである。

さらば、小樽。
また来るよ。
(この項、了)