札幌の Yuko Furukawa さんは毎年この時期開いている個展は、壁に貼ってあるステートメントが長文なのが特徴です。
札幌での個展で、これほど長い文章を添える人はそれほど多くありませんし、正直なところ、別になくてもかまわないテキストもちょくちょく見かけます。しかし、Furukawa さんの文章は一読したほうがいいです。単なるかわいいアクセサリーをつくる作家ではなく、現実社会への問題意識を抱きながら制作に取り組んでいることがわかるからです。
まあ、難しいことはさておき、今回の個展が3部構成になっていることぐらいはつかんでから見てもらいたいと思うのです。
第1部は、生き物に関する表現ということで、いろいろな人の俳句を1句ずつ添えています。
先の画像、左は「真夜中は淋しからうに御月様」という夏目漱石の句。
漱石が「坊っちゃん」「こころ」「明暗」などで名高い小説家であることは言うまでもありませんが、俳句もよく詠みました。
友人の正岡子規に教わったのでしょうか。
月の造形というと三日月が定番です。もちろん、真夜中に三日月は見えないのですが、満月のまん丸では月に見えないのでこれはしかたないでしょう。
月の映像が平面なのか立体なのか、見た目の大きさはいかばかりかということを考えだすと、きりがありません。
右は「生きてゐることちひさくていちゞく食ふ 細見綾子」。
2枚目は、俳聖・芭蕉の代表作のひとつ「山路来て何やらゆかし菫草」。
「野ざらし紀行」にある句で、スミレの薄紫が美しいです。
俳句コーナーは、会場の左側の壁から奥の窓際にまで、壁面・窓のほぼ半分を占めています。
「巻貝死すあまたの夢を巻きのこし 三橋鷹女」
ほかに
「角もちてはづかしげなり鹿の角 小林一茶」
「神もたぬ安穏にをり柘榴の実 藤田湘子」
など。
俳句は季語を入れるというきまりがあり(無季俳句というのもありますが)、日本の自然の定型を考える機縁のひとつになると思います。
もちろん、言葉を添えることで作品世界がぐっと広がるということもあるでしょう。
ただ、都市生活の普及につれて、季語が私たちのふだんの生活感覚と離れていく現状については、俳句という文芸形式のもつアキレス腱ではという感じもします。
第2部は標本。
右手の壁です。
キノコやヒトデのブローチが黒い箱におさめられ、色とりどりの美しさです。
ただ「標本」という、知の在り方には、作者が疑問を抱いていることが伝わります。
これは一針一針さしながら作品を作っていく作者の直感的な痛みでもあるのでしょう。
環境から生体を切断して個体を箱に収めていく方法論は、確かに種の弁別には有効ですが、いかにも西洋近代の手法だという感じもします(植物の個体は動物ほど明確な概念ではないとはいえ)。
その気持ちが、中央に置かれた、人間の心臓を模した作品にあらわれているのでしょう。
近代の人間中心主義への異議申し立てにもなりえている配置です。
最後、右側の壁の一角が第3部です。
これは「蓮」という作品。
「赤いきのこ」「青いきのこ」といった作の根もとには、新聞紙でつくった泥があります。
日本の新聞紙やニューヨーク・タイムズ、ル・モンドなどの紙面に「LGBT」「ガザ」という文字が読み取れ、作者の問題意識を静かに伝えています。
会場中央部には机が置かれ、ブローチやポストカードなどが並んでいました。
かわいらしいなかにも、いろいろなことを考えさせられる個展です。
2024年6月19日(水)~30日(日)正午~午後7時
ギャラリー犬養(札幌市豊平区豊平3の1)
□https://yukofurukawa.com/
過去の関連記事へのリンク
■Furukawa Yuko solo Exhibition「Essence」 (2023)
■Furukawa Yuko Solo Exhibition “Language of flowers" (2021)
■作品展 たましひ (2018)
■ Furukawa Yuko exhibition 風光る いきものたちのアクセサリー (2018年4月)
■Furukawa Yuko 作品展「闇に光る」 (2017)
■Furukawa Yuko 手芸作品展 したたかな小鳥(2017)
・地下鉄東西線「菊水駅」2番出口(マックスバリュ)から約530メートル、徒歩7分
・中央バス「豊平橋」から約290メートル、徒歩4分
・地下鉄東豊線「学園前駅」「豊水すすきの駅」から約1.1キロ、徒歩14分
※HOKUBU絵画記念館から約10分、札幌市民ギャラリーは約14分、ト・オン・カフェから約21分
札幌での個展で、これほど長い文章を添える人はそれほど多くありませんし、正直なところ、別になくてもかまわないテキストもちょくちょく見かけます。しかし、Furukawa さんの文章は一読したほうがいいです。単なるかわいいアクセサリーをつくる作家ではなく、現実社会への問題意識を抱きながら制作に取り組んでいることがわかるからです。
まあ、難しいことはさておき、今回の個展が3部構成になっていることぐらいはつかんでから見てもらいたいと思うのです。
第1部は、生き物に関する表現ということで、いろいろな人の俳句を1句ずつ添えています。
先の画像、左は「真夜中は淋しからうに御月様」という夏目漱石の句。
漱石が「坊っちゃん」「こころ」「明暗」などで名高い小説家であることは言うまでもありませんが、俳句もよく詠みました。
友人の正岡子規に教わったのでしょうか。
月の造形というと三日月が定番です。もちろん、真夜中に三日月は見えないのですが、満月のまん丸では月に見えないのでこれはしかたないでしょう。
月の映像が平面なのか立体なのか、見た目の大きさはいかばかりかということを考えだすと、きりがありません。
右は「生きてゐることちひさくていちゞく食ふ 細見綾子」。
2枚目は、俳聖・芭蕉の代表作のひとつ「山路来て何やらゆかし菫草」。
「野ざらし紀行」にある句で、スミレの薄紫が美しいです。
俳句コーナーは、会場の左側の壁から奥の窓際にまで、壁面・窓のほぼ半分を占めています。
「巻貝死すあまたの夢を巻きのこし 三橋鷹女」
ほかに
「角もちてはづかしげなり鹿の角 小林一茶」
「神もたぬ安穏にをり柘榴の実 藤田湘子」
など。
俳句は季語を入れるというきまりがあり(無季俳句というのもありますが)、日本の自然の定型を考える機縁のひとつになると思います。
もちろん、言葉を添えることで作品世界がぐっと広がるということもあるでしょう。
ただ、都市生活の普及につれて、季語が私たちのふだんの生活感覚と離れていく現状については、俳句という文芸形式のもつアキレス腱ではという感じもします。
第2部は標本。
右手の壁です。
キノコやヒトデのブローチが黒い箱におさめられ、色とりどりの美しさです。
ただ「標本」という、知の在り方には、作者が疑問を抱いていることが伝わります。
これは一針一針さしながら作品を作っていく作者の直感的な痛みでもあるのでしょう。
環境から生体を切断して個体を箱に収めていく方法論は、確かに種の弁別には有効ですが、いかにも西洋近代の手法だという感じもします(植物の個体は動物ほど明確な概念ではないとはいえ)。
その気持ちが、中央に置かれた、人間の心臓を模した作品にあらわれているのでしょう。
近代の人間中心主義への異議申し立てにもなりえている配置です。
最後、右側の壁の一角が第3部です。
これは「蓮」という作品。
「赤いきのこ」「青いきのこ」といった作の根もとには、新聞紙でつくった泥があります。
日本の新聞紙やニューヨーク・タイムズ、ル・モンドなどの紙面に「LGBT」「ガザ」という文字が読み取れ、作者の問題意識を静かに伝えています。
会場中央部には机が置かれ、ブローチやポストカードなどが並んでいました。
かわいらしいなかにも、いろいろなことを考えさせられる個展です。
2024年6月19日(水)~30日(日)正午~午後7時
ギャラリー犬養(札幌市豊平区豊平3の1)
□https://yukofurukawa.com/
過去の関連記事へのリンク
■Furukawa Yuko solo Exhibition「Essence」 (2023)
■Furukawa Yuko Solo Exhibition “Language of flowers" (2021)
■作品展 たましひ (2018)
■ Furukawa Yuko exhibition 風光る いきものたちのアクセサリー (2018年4月)
■Furukawa Yuko 作品展「闇に光る」 (2017)
■Furukawa Yuko 手芸作品展 したたかな小鳥(2017)
・地下鉄東西線「菊水駅」2番出口(マックスバリュ)から約530メートル、徒歩7分
・中央バス「豊平橋」から約290メートル、徒歩4分
・地下鉄東豊線「学園前駅」「豊水すすきの駅」から約1.1キロ、徒歩14分
※HOKUBU絵画記念館から約10分、札幌市民ギャラリーは約14分、ト・オン・カフェから約21分