自由闊達な書風の書家、島田無響さんが亡くなりました。札幌在住。87歳でした。
北海道新聞に死亡記事が載っています。
おもに漢字で活躍しましたが、万葉がなの作なども手がけていました。
島田さんは千葉県銚子市生まれ。
北海道書道展名誉会員、毎日書道展審査会員など、肩書はいくつもありますが、何より北海道の書道史で特筆しておきたいのは、1990年と98年に札幌の京王プラザホテルのイベントホールで開いた破天荒な規模の個展でしょう。
筆者は98年のものしか見ていませんが、吹き抜けの巨大な空間に350点もの作品を、展示していました。最大のものは11メートルもあり、8メートルの作が、空中につるされていました。
この規模の書の個展は、今に至るまで道内ではほかに開催されていないと思います。
北海道書道展では、1963年の第4回展で特選。66年1月に開かれた第7回展で準大勝に輝き、会員に推挙されました。
自らの団体としては「點(点の正字)の会」をおこし、大丸藤井スカイホールなどで毎年のように社中展を開いていました。
1991年に道立近代美術館で「北海道 21人の書」という展覧会がありましたが、その図録によると、1961、64、70年以降、日展に入選し、77年に会友。70年に、金子鴎(鷗)亭が創立した有力な団体である「創玄書道展」の審査員に推挙(89年に参与)。
90年には札幌市民芸術賞を受けています。
芸術家には、見た目にもいかにも芸術家肌の人と、外見は堅物のサラリーマンのようでありながら個性的な作品をつくる人とがいますが、島田無響さんは典型的な前者だったと思います。
いつも和装で、髪を伸ばしていました。
個展は10回以上開いていましたが、型破りな大作をよく手がけていたという印象があります。
ご冥福をお祈りします。
■無響書展 (2007)
■第45回北海道書道展(2004)
北海道新聞に死亡記事が載っています。
おもに漢字で活躍しましたが、万葉がなの作なども手がけていました。
島田さんは千葉県銚子市生まれ。
北海道書道展名誉会員、毎日書道展審査会員など、肩書はいくつもありますが、何より北海道の書道史で特筆しておきたいのは、1990年と98年に札幌の京王プラザホテルのイベントホールで開いた破天荒な規模の個展でしょう。
筆者は98年のものしか見ていませんが、吹き抜けの巨大な空間に350点もの作品を、展示していました。最大のものは11メートルもあり、8メートルの作が、空中につるされていました。
この規模の書の個展は、今に至るまで道内ではほかに開催されていないと思います。
北海道書道展では、1963年の第4回展で特選。66年1月に開かれた第7回展で準大勝に輝き、会員に推挙されました。
自らの団体としては「點(点の正字)の会」をおこし、大丸藤井スカイホールなどで毎年のように社中展を開いていました。
1991年に道立近代美術館で「北海道 21人の書」という展覧会がありましたが、その図録によると、1961、64、70年以降、日展に入選し、77年に会友。70年に、金子鴎(鷗)亭が創立した有力な団体である「創玄書道展」の審査員に推挙(89年に参与)。
90年には札幌市民芸術賞を受けています。
芸術家には、見た目にもいかにも芸術家肌の人と、外見は堅物のサラリーマンのようでありながら個性的な作品をつくる人とがいますが、島田無響さんは典型的な前者だったと思います。
いつも和装で、髪を伸ばしていました。
個展は10回以上開いていましたが、型破りな大作をよく手がけていたという印象があります。
ご冥福をお祈りします。
■無響書展 (2007)
■第45回北海道書道展(2004)