コナサン、ミンバンワ!当地東海にとっては忌まわしい史実、伊勢湾台風の風水害より昨9/26にて満50年となり、当時犠牲となった各位の遺族、親族の方々による追悼行事も多く行われた。
1959=昭和34年のこの日の数日前、南方太平洋上にて生じた台風第15号は短時間に一気に発達、我国近海に達する頃には中心気圧895hpa以下、中心における最大風速約75m/s以上、風速25m/s以上の暴風雨半径約400kmと言う我国気象史上屈指の猛烈な勢力にのし上がり、余り衰える事なく運命の日夕刻、紀伊半島に上陸する。襲来時の中心気圧930hpa以下、瞬間最大風速60m/s以上の破壊力は凄まじく、無防備な東海地方にては犠牲5000名以上を初め、風水害史上最悪の人的被害を生じるに至るのである。
想えば、襲来前の大雨による河川洪水が起き始めていた所へ、当地東海にとっては最も不運な、名古屋市西方を高速で通過した(70km/h位だったと言われる)大型台風による高潮(大潮とタイミングが合致)が重なり、名古屋市南部を中心とする伊勢湾沿岸には大波が打ち寄せて市街地を大きく冠水させ、更に名古屋港とその周辺に貯められていた巨大木材が波により流出、多くの建物を破壊した事が、犠牲を大きくしたと言われる。
当時出生直後だった俺は、余りはっきりした記憶がないのだが、両親のコメントによると、当時住んでいた西尾張の家も、強風の為倒壊間際まで追い込まれたとか。事実なら、我が一家も辛くも難を逃れた口だったのかも知れない。
景況が悪いと言われながらも、東海地方は全国レベルからすれば、まだマシな状況であると言われる。その事と、今の我々の繁栄は、戦災や災害の標的となった、こうした方々の犠牲の上に成り立っている事実を、防災への取り組みと共に今一度振り返り、改めてご冥福を祈りたいものである。(今月の拙ブログは、以上です。)