Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

「9.11」再考

2009-09-12 18:37:00 | インポート
コナサン、ミンバンワ!

9月の今頃は「秋の長雨」と申して、平年なら南岸に停滞し易い秋雨前線の影響にて、雨がちの気候となり易い時期ですが、今年の当地は昨日まで長らく晴天が続き、今日に至ってようやく秋雨らしい1日となりました。明日は早くも天候回復の予想。久しくできなかった洗車でもと思っている所です。

さて本題に入ります。今世紀に入って間もない2001=平成13年9月に、合衆国N.Yの中心部が国際イスラム軍事組織による、乗っ取り旅客飛行機を使った大規模テロ行動より、昨日で8年となりました。この事件による犠牲者は80か国を超え3000人に近いと言われ、その多くが何の非もない無辜の方々であった事を想う時、一言哀悼の意を表するものであります。

ただ、犠牲者多数を生じたテロ行動を弁護する意思はありませんが、事件に関わった国際イスラム軍事組織にも、僅かではあるが言い分があるのは事実ではないかとも思うのです。
欧州もそうですが、米合衆国は「世界の警察官」を自認しており、その為に同国軍を世界中に展開している。これはとりも直さず、合衆国の地球上における勢力保持の為でもある。我国にしても同じで、1945=昭和20年夏の連合国進駐軍GHQを皮切りに、今日に至るまで相当の勢力が各地に駐屯しています。その「警察官」であるはずの合衆国軍関係者が、しばしば窃盗や婦女暴行などで刑事責任を繰り返し問われているのは大いに遺憾な所ですが。

合衆国軍は、イスラム世界の中東にも進出しています。イスラム圏は、宗教の関係で国内法規も基督教文化の欧米や、仏教や神道に基づく我国とは思考が大きく異なる。(人口の多くが信者である)東南アジアや中東の各位に対し、日々の礼拝や最低生涯一度の聖地(アラビア半島のメッカ市)巡礼、身近な所では飲酒の厳禁とか、女性に露出の少ない着衣を求めるとかですね。
その一方で、自殺を認めないのは基督教と同一なるも、大義の為に命を捧げる行動は奨励される。もし、イスラムの大義をかけて行動し、為に落命した場合、その者は「殉教者」として讃えられます。
合衆国を初め、欧米の進駐軍は、こうしたイスラム圏の宗教的立場を余り配慮していないとの話を聞いた事がありますね。
当時、N.YやワシントンDCを攻撃する挙に出た面々は、この「大義」の為に動いたのではないかとも言われます。イスラム法にては、自らが不当に攻撃された場合、又その為に家族や朋友に犠牲を生じた場合の報復も許されていると聞き、昭和末期の1980年前後に旧ソビエト連邦とアフガニスタン国が戦火を交えた頃、イスラム側を支援していた合衆国が突然裏切った事が原因とする情報も耳にした事があり、事実とすれば、この惨禍は合衆国が自ら招いた面もなくはないと思います。

それにしても、合衆国の国民各位も同国の政府当局も、この様な形で米本土が攻撃に晒される事は想定外だったと思います。
昨夜は、9.11の事件に因み、犠牲各位を悼む米映画もTV放映され拝見した次第。
大規模テロ行動の標的とされた、旧世界貿易センターの高層2棟が倒壊し、巻き込まれて九死に一生を得た救助活動中の警察官と、安否を気遣う家族達の模様を描いた秀作でした。
その最後に流れた言葉を、良くは覚えていないものの、大体の所を載せておきたいと思います。

「この事件は、人間の持つ邪悪さを世界に見せつけた。
だが同時に、人々が助け合う素晴らしさを世界に見せる事もできた。
皆、深く考えての事ではない。
咄嗟に、それが正しいと思い行動したのだ。」

この言葉には、色んな意味が込められていると思います。
「これからは、報復の為の兵隊も必要かな」と言った台詞もあったこの映画。異なる立場の人の間の対話も必要であろうが、同時に、その他の意味も時間をかけて考えてみたい気もします。*(地球)*
コメント
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