コナサン、ミンバンワ!
今日5/15は、戦後米合衆国の統治下にあった現在の沖縄県が我国に復帰した日。1972=昭和47年の事でありました。
先の大戦、大東亜戦争こと太平洋戦争に際してはその末期、我国内にて唯一の戦場となり、実に23万を超える方々が犠牲となった事、又一部で敵方スパイと誤解された地元の方々が、自決を求められる遺憾な事態をも生じた事を、我々は良く記憶して参る必要があるでしょう。
戦後にあっては、米合衆国軍の戦略拠点となり、日米安全保障条約の下、我国に駐留する在日米軍の半分を超える兵力、7割を超える基地施設が集中し、我国の安全が沖縄の犠牲と負担によって支えられている実態を、我々本土の日本人はしっかりと心に留め置くべきであると思います。
今回は、沖縄県の市街地に近い主要基地、普天間飛行場の移転問題が顕在化、鳩山民主党連立政権は、沖縄負担の軽減をも図って、県外又は海外への移転をも視野に入れてその方向性を探った様であるが、移転先候補の鹿児島県徳之島の自治体の支持が得られず、早期の引っ越しの線はなくなった様です。このままでは、市街地に近い普天間飛行場の移転計画は頓挫して引き続き多くの周辺住民が訓練飛行の米軍用機に引き続き安全を脅かされるだけでなく、沖縄県に危険負担を押し付けて戦後数十年を周辺諸国の脅威に晒される事もなく、安穏と生き続けた戦後日本人の「安全はタダ」との不良思潮をこれまでと変わらず蔓延させ続ける事となりかねません。
沖縄県の米軍基地負担の問題は、近現代の歴史教育においても、是非若い世代に知ってもらいたい大事な項目のはずですが、適正な歴史教育は行われて来なかった。まあ以前の文部省、現在の文部科学省にも、日本教職員組合や教育関係の専門家にそうした重い歴史の事実をきちんと教えられるかも疑問だし、それはこれからの歴史教育見直しの項目として強化して行って頂きたい所。
本土の日本人は特にそうですが、国家の安全保障とは、本来他の誰かに守ってもらうものではなく、国民自らの努力と知性にて守るべきものであると私は見ています。そうした思潮を前進させる為にも、まず我々は沖縄の歴史の不運と、基地負担低減へ向けた我国本土の、言わば「痛み分け」をも含めた努力を行う気概を持ち続ける事を、今から模索すべきであると強く感じます。*(椰子)*
今日5/15は、戦後米合衆国の統治下にあった現在の沖縄県が我国に復帰した日。1972=昭和47年の事でありました。
先の大戦、大東亜戦争こと太平洋戦争に際してはその末期、我国内にて唯一の戦場となり、実に23万を超える方々が犠牲となった事、又一部で敵方スパイと誤解された地元の方々が、自決を求められる遺憾な事態をも生じた事を、我々は良く記憶して参る必要があるでしょう。
戦後にあっては、米合衆国軍の戦略拠点となり、日米安全保障条約の下、我国に駐留する在日米軍の半分を超える兵力、7割を超える基地施設が集中し、我国の安全が沖縄の犠牲と負担によって支えられている実態を、我々本土の日本人はしっかりと心に留め置くべきであると思います。
今回は、沖縄県の市街地に近い主要基地、普天間飛行場の移転問題が顕在化、鳩山民主党連立政権は、沖縄負担の軽減をも図って、県外又は海外への移転をも視野に入れてその方向性を探った様であるが、移転先候補の鹿児島県徳之島の自治体の支持が得られず、早期の引っ越しの線はなくなった様です。このままでは、市街地に近い普天間飛行場の移転計画は頓挫して引き続き多くの周辺住民が訓練飛行の米軍用機に引き続き安全を脅かされるだけでなく、沖縄県に危険負担を押し付けて戦後数十年を周辺諸国の脅威に晒される事もなく、安穏と生き続けた戦後日本人の「安全はタダ」との不良思潮をこれまでと変わらず蔓延させ続ける事となりかねません。
沖縄県の米軍基地負担の問題は、近現代の歴史教育においても、是非若い世代に知ってもらいたい大事な項目のはずですが、適正な歴史教育は行われて来なかった。まあ以前の文部省、現在の文部科学省にも、日本教職員組合や教育関係の専門家にそうした重い歴史の事実をきちんと教えられるかも疑問だし、それはこれからの歴史教育見直しの項目として強化して行って頂きたい所。
本土の日本人は特にそうですが、国家の安全保障とは、本来他の誰かに守ってもらうものではなく、国民自らの努力と知性にて守るべきものであると私は見ています。そうした思潮を前進させる為にも、まず我々は沖縄の歴史の不運と、基地負担低減へ向けた我国本土の、言わば「痛み分け」をも含めた努力を行う気概を持ち続ける事を、今から模索すべきであると強く感じます。*(椰子)*