今日 9/11は、世界で知られる所謂「9.11 N.Y同時多発テロ」の発生日に当たる。2001=平成 13年のこの日から 19年、3000人超の犠牲を生じた史実は勿論忘れるべからざるもの。そしてその正に前年 2000=同 12年の同じ日には、稀に見る大都市水害といわれる 東海豪雨が生じている。
当時まだ現役の盛りだった拙者も、今で云う「帰宅困難者」当該となり、東郊の勤務先まで自家用車で通っていた所を出水で道路が寸断され、辛うじて勤務先まで戻った上 並行していた私鉄線が雨間に少しだけ運転され、日付が替わってから何とか帰宅を果たした記憶がある。荒天時は、行動に状況判断が何よりも大切である事を思い知らされた夜でもあった。この辺りの詳しい事共は、又日を改めて記せたらとも思う。東海豪雨、そして「9.11」の犠牲各位に 改めての弔意を表す次第。
本題です。来週初に予定される次期自民党総裁選に先立ち、各々一旦は解党の上 新党として再発足する体裁の立憲民主、国民民主 各党の合流新代表選が昨日執行され、新代表に枝野幸男・旧立憲民主代表が選出。新党名も立憲民主党が継承される事と相成った。
想えば与党総裁選も一定はそうなのかも知れないが、合流野党の代表戦の方も新鮮味のない(「欠ける」の表現は余りにも不適当)予定調和の云わば「出来レース」状態に陥っていたといえよう。ネットの下馬評では枝野現代表の対抗馬として立った 泉 健太・旧国民民主政務調査会長の優勢も伝えられたものだが、投票のあり様は全党員やサポーターと呼ばれるシンパ勢力は対象とならず、与党と大差ない国会議員票のみの投票となった様である。
この投票のあり様については、与党総裁選も国会議員票と各々三票ずつの地方票にて競われた訳だが、これにつき 攻撃舌鋒で知られる辻元清美・立民衆議より「やはり全党員投票をした方が良い」表明があったとか。それ自体は毎度の事とて余り留意しなかったのだが、今回はどうも語調に攻撃的元気がないな・・と思ったら、自勢力側代表選のあり様も似たり寄ったりだったとのオチがついたという事だ。こちらも「やっぱりそうか」の想いがふと過ったものだ。
先日の拙記事で、合流新党につき「見事に旧社会党と旧民社党に分かれた」との野党側関係者の呟きに触れたが、新代表選を終わるといよいよその感が強くなった。合流新党が「帰ってきた民主党」だとは多方面からよく言われる事だが、拙的にはむしろ「帰ってきた旧社会党」の印象が拭えないでいる所だ。
確かに旧国民民主党勢力の多くを併呑した体裁になってはいるが、代表選に際し枝野、泉の各候補が触れた「提案型野党」に本当に脱皮できるかは疑問だろう。来週半ばとも言われる 臨時国会の開始後は、又ぞろ対与党の些細な疑惑追及に 貴重な国会質疑の時間を含めた資源を空費する懸念があろう。既に決着をみた事案の蒸し返しすら考えられる。看板替えさえしなかった合流新党の基本姿勢は、拙的にはやはり大いなる疑問が付き纏う。
もう一つ、その事の 大きな裏付けの一つともいえるのが、新代表選会見場での国旗不掲出だろう。与党側でも明らかに「国旗・日の丸」を掲出したのは菅内閣官房長官だけだったとの話も聞いたが、何よりも立憲民主党は 公費支出による政党助成金を受領するれっきとした公党だ。そうである以上 代表選など重要会合の場での国旗掲出は当然であり、それが実行されなかったとあっては、政党助成金の受領資格などなく「一体、どこの国の政治組織か?」との誹りを免れまいて。
枝野新代表は、何かといえば「新しい闘いの始まり」みたいな挑戦的文言に頼る傾向があるが、これとて「一体何回目だ?」の芳しからぬ趣が付き纏う。こう申しては、現場各位への非礼ともなりかねないので最低限の例えに留めたいが、毎日同じ環状の路線を 一周ほぼ 1Hで周回する東京都心を結ぶ JR山手線にも劣る「堂々巡り」ではないだろうか。変わり映えのしない人事組織もさる事ながら、単に合流しただけでは これまでの政局目当ての「選挙互助会」の不良印象を払拭する事は叶わないだろう。
つまり又も、以前 山口那津男・公明代表が揶揄された「一見民主党」からの脱却は難しいという事だ。来月下旬の 衆院解散総選挙も視野に行動するとかだが、現状では余りそうする意味は薄い様に思う。まぁ、臨時国会が開けば 馬脚を現すと拙者は診ているが。今回画像は、当地西郊・清州市内を行く 長野県方面への燃料列車の様子を。三重県下から一旦当地の稲沢市を経由、そこで機関車をディーゼル機から電機に交替し、山間を目指します。以下に、関連記事をリンク致します。(私的憂国の書様) http://yukokulog.blog129.fc2.com/blog-entry-3947.html