永谷園のおとなのふりかけ、山陰限定版
出雲路観光のお土産に是非どうぞ。
人は年齢によっていろんなものに目覚める。
思春期には異性に目覚める。
老年期には俳句に目覚める。
思春期に異性を求めるようになるのは生理である。
身体の仕組み、すなわちホルモンの作用によってそういうことになる。
老年期に俳句を求めるのも生理である。
食べ物で考えてみよう。
思春期において、若人はどういう食べ物を求めるか。
濃厚を求める。
とんかつ、ステーキ、焼き肉、ギトギトラーメン。
老年期の老人は何を求めるか。
湯豆腐、茶わん蒸し、蕎麦、お茶漬け。
濃厚から淡白へ。
食べ物に限らず、あらゆる志向がそういう流れになっていく。
堅牢から脆弱へ。
難解から容易へ。
ジョギングからウォーキングへ。
意気揚々から意気消沈へ。
叶姉妹からきんさんぎんさんへ。
こうした傾向は身体の生理のみが起因しているわけではない。
経済的な事情もからんでいる。
月給から年金へ。
このことは老年期の人々の生活のあらゆる面に大きく影響を及ぼす。
当然趣味にも影響を与える。
金のかからない趣味を選ばざるをえなくなる。
老境期に入ると短歌や俳句を趣味にする人が多くなる。
本当は短歌をやりたいのだが、短歌は五七五七七で三十一字、俳句は五七五だから十七字。
三十一と十七ではエンピツの減りが違う。
と言って俳句を選ぶ人もいる。
新聞や雑誌には必ずといっていいほど短歌俳句欄があって、テレビ、ラジオでもそういうコーナーがあるが、どの番組も隆盛である。
だが俳句で人生を謳歌しよう、元気になろう、歓喜を歌いあげよう、希望に満ちあふれよう、と意図する人はあまりいない。
本日の一句。
マスクして しばしコロナを 遠ざける
そろそろ俳句に目覚めるお年頃になったかなぁ、などと思うこの頃である。