もういくつ寝るとお正月。
なんてまだいささか早すぎるけど、巷ではそんなこんな(コロナ禍)でお正月休みが気になる時期になりました。
ところでお正月というのは、めでたいんだか、めでたくないんだか、よくわからない。
子供のときは、お年玉がもらえるし、美味しいものを食べられるから、正月が終わるとがっかりしたものだった。
だが歳を重ねると、ほとんど正月なんかどうでもいいような気になってくる。
紅白歌合戦のド派手な小林幸子をコタツの中から眺めるのは、もうやめにしたいと思っている。
正月三が日のテレビから流れてくる、「おめでとうございます」という言葉を聞いても、ちっともおめでたくなんかない。
正月なんか、ちっともめでたくなんかない、歳をとるばっかしだし。
なんてぐちったら、人間性ができている友達は、にっこり笑いながら…
「違いますよ、無事に新年を迎えられたらありがたいと思わなくちゃ」
「自分たちはもう、新年がむかえられてよかったと思えるような年齢に、足の先を突っ込んでいるんだから、そう考えたほうがいいよ」
といった。
確かに正論である。
正月が楽しいとか、そういうことではなく、正月を迎えられることに感謝しなければならない年齢。
どんなかたちであれ、新年を迎えられたらありがたい、と思わなければバチが当たるのかもしれない。
正月は一方的に向こうからやってくるのだから。
あーあ。