はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

またもや訃報…

2009年07月10日 | 日々のよしなしごと
つい先ほど、息子の卒業した高校のクラスの連絡網が回って来ました。「どうして今頃…?」と訝りながら用件を伺うと、同じクラスのお母様が亡くなられたと言うではありませんか。

高校の2,3年は持ち上がりでしたが、同じクラスと言っても殆ど付き合いのない方もおられる中、亡くなられた方は息子が中学の頃に、私と一緒にPTAの役員を務められた方です。しかも彼女はその後、PTA全体の重要ポストに就かれました。人が嫌がってやらない仕事も、「誰もやらないなら仕方ないわね」と屈託のない笑顔で引き受けられるような方でした。

学校でお会いする度に、子どもの進路のことで互いに悩みとも愚痴ともつかぬことを言い合ったり、卒業式の日にも、それぞれの息子の進路が決まったことを受けて、「やっと一区切りついたわね」と安堵の言葉を交わしたばかりだったのに…

最初死因は不明と伺ったのですが、暫くして友人からメールがあり、心筋梗塞で急逝されたと知らされました。本当に突然のことだったようです。

先々週の友人の死からまだ10日余り…相次ぐ同世代の死に、ただただ愕然としています。

【追記 09.07.13】

昨日、息子と共に通夜に参列して来ました。葬祭場へ向かう途中で、参列を終え帰路につく多くの参列者にすれ違いました。その中には学校関係者(亡くなられたお母様の息子さんとお子さんが同じクラスだったお母様方や息子さんの同級生)の姿も少なくありませんでした。

帰りの電車でたまたまご一緒した、あるお母様の話では、故人とは先日デパートで偶然再会し、「このところの猛暑続きで食欲も減退ぎみだわ」と言うような言葉を交わしてお別れしたばかりだったので、突然の訃報に本当に驚かれたとのことでした。

その話に、人の命はかくも儚いものか、という思いを新たにしたのでした。「死」は誰にも平等に訪れるものですが、いつ訪れるか誰も知り得ないからこそ(自殺さえ、「生き死に」は最終的に私達人間から離れた高次な次元で決まるものだと思います)、”今、この瞬間”を悔いなく生きるよう努力すべきなのかもしれません。そのことは普段の生活の中で忘れがちなのですが、身近な、或いはよく知る人の死が、身を以て教えてくれているような気がしてなりません(もっとも、努力したからと言って、「全く悔いが残らない人生」なんて、なかなか生き抜けるものでもないですよね。とどのつまり「結果」ではなく、「過程」の問題なのかも)。
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