はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

祖母の死

2012年11月08日 | 日々のよしなしごと
先日、母方の祖母が亡くなった。103歳の大往生だった。

もう長いこと老人養護施設に入っており、以前私が訪ねた時には認知症が大分進んでいて、私が誰なのかさえ認識できない状態だった。

ただ、「おばあちゃん、○○だよ」と言う私の呼びかけに、必死に記憶を呼び覚まそうとしたのか、祖母はしばらく私の顔をじっと見つめた。それでも蘇らない記憶に、私に対して申し訳ないと思ったのか、祖母は「ごめんなさいね。ごめんなさいね」と繰り返し、涙をポロポロ流した。その祖母の涙に、記憶は失っても、私に対する情愛は祖母の中でまだ残っているのだと思えて、私はそれだけで十分だった。車椅子に乗った、すっかり小さくなった祖母の身体をぎゅっと抱きしめて、私も泣いた。


祖母は亡くなる3週間前から食欲がなくなり、入院後はずっと昏睡状態で、母の呼びかけに応えることもなく、徐々に衰えて行って、最期は眠るように息を引き取ったと言う。

祖父の事業を手伝う傍ら10人の子を産み育て、60代で祖父と死別し、その直後患った大病をも乗り越え、それから40年近く逞しく生きぬいた祖母。その間に3人の我が子を見送っている。その祖母との別れに、不思議と悲しみはない。寧ろ、穏やかな気持ちだ。その死に様に、祖母は十分生きた、その生を全うしたと思えるからだろうか?

長寿の時代を迎えたとは言え、祖母のような穏やかな最期を、一体どれだけの人が迎えられているのだろう。

祖母の死に、自らの人生の終え方を考えずにはいられない(正直言って、自分の現状を鑑みて自分が祖母ほどの長寿を、しかも立派に、全うできるとは思えない)


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