はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

『オデッセイ』(原題:THE MARTIAN、米、2015)

2016年02月13日 | 映画(今年公開の映画を中心に)


 本作、面白い!実に面白い!!子供の頃、「十五少年漂流記」や「ロビンソン・クルーソー」のサバイバル劇に胸躍らせた人間としては、文句なく楽しめた。

 火星の有人探査プロジェクトに参加した植物学者が事故によって死んだとみなされ、ひとり火星に取り残されてしまった。水も食料も残り僅かで、通信手段もなく、次の有人探査隊が火星に来るのは数年先。さあ、どうする?

 そんな絶望劇な状況の中でも、植物学者であるマーク・ワトニー(マット・デイモン)は挫けない。その科学的知識を駆使して、今、自分の周囲に残された物、在る物を使い、次の火星探査隊の到着までの生き残りを図るのだ。そのサバイバルぶりがお見事!

 「砂漠の凄まじい砂嵐に、ビニール様の遮蔽如きで対応できるの?」「火星の土壌で地球由来の植物が育つものなの?」なんて疑問もあるが、その辺り、NASAの全面協力を仰いでいるので、意外に有効なのかもしれない。とにかく渾身の知恵でローテク・ハイテクの両方を取り混ぜて、あっと驚く仕掛けを次から次へと繰り出してくれるので、上映時間2時間超えの長尺も感じさせない。

 たまたま本作を見る前に米国のゴールデン・グローブ賞を見た。本作はコメディ・ミュージカル部門で作品賞と主演男優賞を受賞。ライブ放送を英語で聞いたので聞き間違いの可能性もあるが、コメディ・ミュージカル部門での作品賞受賞に、ステージ上でリドリー・スコット監督は「どうして本作がコメディ部門?」と茶目っ気たっぷりな笑顔でコメントを残していた。私も見る前には不思議だった(ゴールデン・グローブ賞側で、米アカデミー賞でも作品賞が有力視されている『レヴェナント』とのドラマ部門での直接対決を回避して、本作に作品賞を与えたいとの配慮があったのか?同じ括りのミュージカル部門に、作品賞に値する作品がなかったと言うことなのかもしれないけれど)

 しかし、実際見てみると、コメディ要素が満載(笑)。限りなく死の予感が濃厚な状況の中で、マークは時に悪態をつきつつ、時に絶望感に打ちひしがれながらも、次から次へと彼に襲い掛かるアクシデントを、持ち前の明るさ、ポジティブさで克服して行く。

 彼自身の大らかな人間的な魅力が、過酷なはずのサバイバル劇に冒険活劇的風味を与えているのだ。さらに多くの映画ファンがマット・デイモンに抱くポジティブなイメージが、主人公マーク・ワトニーに見事に嵌って、マークの孤軍奮闘を応援せずにはいられない。

 それに世代的にBGMで次々と流れて来る楽曲が堪らなく嵌った。マークは劇中、「ダサい。ダサい」とぼやいていたけれど(笑)。その絶妙なタイミングでの絶妙な選曲センスにも、絶妙なコメディ・センスを感じた(笑)。SF映画に、これだけ70~80年代のディスコ・ミュージックが嵌るとはね。



 奇跡的に地球との交信を果たしてからの展開も人間ドラマ的要素がたっぷり。ひとり火星に取り残されたマークをいかに救出するか、世界中の知恵を結集しての地球側の人間たち、加えて、ミッションを止むなく中止して地球への帰還の途上にあるマークの同僚ミッション・クルー達の葛藤と奮闘ぶりにも見応えがある。そこにNASAとの関わりが深いはずのJAXAの欠片も見えないのは残念だけれど。まあ、某国は単独有人飛行も、日本に先んじて成功させているしね。

 火星になぞらえた広大な砂漠、どこかで見た覚えがあると思ったら、私がかつて住んだことのある国の有名な砂漠ワディ(現地の言葉で「涸れた川」の意)・ラムだった。そこは昔、「アラビアのロレンス」の撮影も行われた場所である。首都から約300キロに及ぶデザート・ハイウエイを、紅海に臨むアカバ湾に向かって走る途中にある。夜には満天の星が降り注ぐように目の前に迫って来ると言われる場所だ。

 その風景の圧倒的なスケール感に、SF映画はやっぱり映画館の大スクリーンで見なきゃね、と思った。

 それにしても、太陽系の惑星の中で地球に最も近く、将来的に地球人の移住地として最も有望だと目される火星だけれど、映画で描かれているような環境では、果たして実現可能なんだろうかとの疑問が残った。それとも、火星移住は米国のみで独占したいが為の、逆宣伝なのかな?(笑)

 それから、原題『THE MARTIAN(火星人)』をなぜ、邦題はわざわざ『オデッセイ(Odyssey)』と変えたのか?実際、劇中でもマークの火星への思い、火星で奮闘する唯一の人間としての矜持を滔々と語る、原題の意味が集約された重要なシーンがあるのに。

 真っ先に想起されたのは『2001年宇宙の旅』だけれど、その原題である『Space Odyssey』へのオマージュなのか?仮にそうだとしても、映画ファンならともかく広く一般に、邦題ほどその原題が周知されているとは思えない。過去のSF映画の傑作へのオマージュは映画ファンにのみ分かって貰えば良いということなのか?私の調査不足かもしれないけれど、こと本作に関して、わざわざ邦題が付いた経緯が謎。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 過酷な話 | トップ | インフルエンザ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。