はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

日比谷公園でアリのかんさつ

2013年05月07日 | 散歩の記録
 GWの期間、夫婦恒例の散歩も楽しんだ。息子はカレンダー通りに学校へ。

 ある日の散歩はJR有楽町を起点に、まず、日比谷シャンテで食事をし、その後、近くの日比谷公園へ。

 有楽門から公園に入り、まずは、お気に入りの、心字池沿いにそびえ立つ石垣の上に。そこには、心字池を望むようにベンチが並んでいる。そのひとつに腰かけ、心字池周辺の目にも鮮やかな新緑をしばし楽しむ。GWの平日は人影もまばらで、いたって静か。



 ここでおもむろに夫が蟻の観察を始める。3匹の蟻が、転落防止柵の土台となっているブロックの側壁(傾斜角度は90度の絶壁である)を上って、食べ物の欠片を運ぼうとしている姿を見つけたからだ。2匹の蟻が欠片の両端を肩に載せ、残る1匹の蟻が欠片の中央部分を下支えするようにして運んでいる。その少し離れた所から、様子を窺うように追従する蟻が1匹。

 何の道具もなしに6本の足で踏ん張って、自分の体の何倍もあろうかという食物の欠片を運んでいる。おそらく草むらのどこかにある巣穴に運ぼうとしているのだろう。

 こんな神業、人間さまには無理だ。思わず、同じ状況で絶壁を50cmも進めずに地面に倒れ込む人間の姿を想像し、蟻の偉業に改めて感服する。尤も、他の生き物たちより身体能力が劣るのをカバーすべく人間は頭を使い、道具を使うんだろうけれどniko

 蟻達は人間に見られているとも知らず、あれよあれよという間に、ブロックの頂上に辿り着いた。そして、草むらの中へ思い切りよく欠片を落とした。ここで、追従していた蟻もちゃっかり合流する。さも、自分も仕事していました、と言うように。こんなタイプ、人間界にもいそうだ。

 ここからが意外に大変なようだ。草むらは青々とした草と枯れ葉とでうっそうとしている。巣穴の入口がどこにあるのか、こちらは知る由もないが、無秩序にうっそうとした草むらが、あのブロック以上に立ちはだかる壁となって、蟻達の行く手を阻む。

 欠片はあっちにぶつかり、こっちにぶつかりして、なかなか前に進まない。何度か試行錯誤を繰り返し、諦めたのか、蟻達は踵?を返して、再びブロックの上に戻った。そして暫くブロック上を歩いたかと思うと、特に何か考えがあったとは思えないが、再び草むらに欠片ごとダイブ。そして再び、欠片はあっちにぶつかり、こっちにぶつかり…これは彼らにとって、おそらく1日がかりの大仕事なんだろうな。

 この調子だと、その欠片が無事巣穴に送り届けられるのを、私達は見届けられそうにない。諦めて、30分ばかり一点に意識を集中して、すっかり凝り固まってしまった目の筋肉をほぐすかのように、再び心字池の新緑に目を遣った。

 新緑がさっきより一層、目に染みいるように美しく見えた。空はあいにくの曇天で、5月にしては肌寒いくらいだったが、青空の背景の助けを借りずとも、公園の木々は鮮やかに萌えていた。

 つい何年か前に、大地を揺るがす地震があり、原発事故があったことが信じられないような、昔と変わりない風景が、そこに住む動植物達の日々の営みが、そこには現前として在る。連綿と続いている。あの地震で変わったのは、どこか弱気で、諦念に支配された、自分の心なのかもしれない。



 日比谷公園を出た後は皇居のお堀端をそぞろ歩き(途中、ロンドンから来日したという老夫婦と会話し)、ちょっと気後れしながらマロニエ通りなど丸の内界隈を散策し、東京駅から帰途についた。

 特に何かするでもなく、そこそこおいしい物を食べ、適度に自然に触れ、やんわりと街の雰囲気を味わいながら、数時間をノンビリ過ごせたら、それで十分に散歩は楽しいheart

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« どうせなら賢い女性を目指そう! | トップ | 良いこと、悪いこと、良いこと »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。