はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

アンチ・エイジングへの同調圧力に疲れる

2019年08月22日 | はなこ的考察―良いこと探し
日中テレビを点けると、若々しい外見と体力の維持を謳う、主に中高年女性をターゲットにしたCMのオンパレードだ。

個人的には、特に女性用のカツラや増毛のCMが正直目障りだoni

私は女性用カツラや増毛のCMを見るまで、女性の加齢に伴う薄毛について気にしたことなど一度もなかった。

年老いた母の薄毛を気にも留めなかった。

おそらく、世間もそうではないのか?

個人では自分の頭髪の変化を多少気にすることはあっても、カツラ・メーカーの女性向けCMが登場するまで、世間が必要以上に女性の薄毛に注目することはなかったのではないか?

「薄毛になったら老けて見える」→「薄毛になったらカツラや増毛で毛量を増やすのが高齢女性の嗜み」と言わんばかりの同調圧力を日々かけられているようで、本当に不快だoni

カツラメーカーも生き残りをかけて、否、金儲けの為に新規市場を開拓しただけなのだろうが、世間に「アンチ薄毛」の空気を醸成したのは罪深い。余計なことをしてくれたものだ。しかも中高年世代の、ただでさえ貴重な老後資金を狙い撃ちされているようにも感じて、企業はどこまで人を食いものにするのかと戦慄する。


そもそも、日本ではお笑い芸人がいたずらに「ハゲ」を連発するなど、男性の薄毛を嘲笑する傾向がかねてより強かった。一体、誰が初めに言い出したのだろう?国によっては、特にヨーロッパでは頭髪の薄い男性を「セクシー」だと持て囃す価値観もあると聞く。今なら英俳優のジェイソン・ステイサムがその筆頭か?

比較的白い肌(←白人から見れば黄味がかって見えるのだろうが、実際は個人差はあるとは言え、全人種の中でも白い方だ)に黒髪は、毛量の少なさを強調するようなコントラスト効果があるのかもしれないが、加齢やストレスや遺伝と言う、本人の過失でもなく、本人の努力による改善も難しい毛量の減少を、なぜ、ここまで笑い者にするのだろう?

まあ、本人には選びようのない出自で「身分が卑しい」だのと卑下する風潮も昔から少なからずあるので、人間の品性はその程度のものなのかもしれない。

かく言う私の夫も義父の遺伝子をしっかりと引き継いで、年々頭髪が減って来ている。本人は気にしているが、私は、それをみっともないとも、ましてや恥ずかしいことだとも思ったことなどない。彼の人間性や本質には何ら関係のないことだからだ。

しかし、世間にはデリカシーのないアホ丸出しの人間はいるものだ。

いつだったか、駅ビルにある雑貨店も展開している某有名カフェ・チェーンで、私達夫婦が着席して暫くしてから、隣の若いカップルがやたらと「ハゲ」を連発しだした。私の夫をチラチラ見ながら、聞こえよがしに「ハゲるのは嫌だ」とか、「ハゲたらおしまいだな」などと抜かしている。

そういうカップルの出で立ちを見ると、両者共、パサパサの金髪頭にガサガサの肌で、上着もヨレヨレのだらしない服装だった。人の外見をどうこう言う前に、自分達の姿を鏡で見る方が先ではないかと思った。

見も知らぬ男女である。おそらく会話のネタに尽きて、後から横に座った私達をネタに貧弱な語彙で空疎な話をしだしたのだろう。縁もゆかりもない、今後会うこともないであろう男女なので、相手にするのも馬鹿らしく、私達は早々に席を立った。

聞きたくなくとも漏れ聞こえてくる会話や、弥が上にも目に付く身だしなみで、その知性や内面は容易に窺い知れる。外見重視は太古から世の常とは言え、年を重ねれば、誰もがどうあがいたところで外見の衰えは防げない以上、日々の努力による内面の充実がなければ、長い人生を有意義には生きていけないと思う。

件の男女がそのことに気付くのはいつの日のことだろう?


日々、テレビを筆頭にさまざまなメディアでは、アンチ・エイジングの大合唱が喧しいが、誰もが避けられない老いをあるがままに受け入れることも、私達ひとりひとりには選択する自由がある。老いることを必要以上に恐れることなく、「円熟」や「枯れる」と言う価値観も、私は大事にして行きたいと思う。
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