ひとくちに「美術史」と言っても、さまざまなアプローチの仕方があると思う。私個人はどちらかと言うと技法的なことよりも(←もちろん、美術史的には重要で、ギャラリートークでも外せない要素)、作品が生まれた社会的背景に興味がある。
ひとつの美術作品の誕生には、作家自身が目指した芸術表現の弛みない追求もさることながら、作家が生きた社会の政治体制、社会構造、経済状況、そして思潮が否応なく反映されているはずだ。
例えば、17世紀オランダにおける風俗画の流行は、後に「黄金時代」と称せられる当時のオランダの政治・宗教・経済状況がもたらした社会構造の変化に拠るところが大きい(→参考記事:『フェルメールとオランダ風俗画』)。
作品が生まれた時代背景に目を遣ることは、幾年月を経て今に伝わる作品を通して、その時代に思いを馳せると言うこと。
その意味で、英国骨董店の店主で、骨董銀器専門家の肩書きを持つ著者による本書は、大いに興味をそそられる内容だった。名画に描かれた食卓から、名画が描かれた時代の文化的背景に迫る。著者曰く、欧米では近年「食文化史」と言うジャンルが劇的に発達してるらしい。欧米の食文化史を、古代から近代までの名画を切り口に紹介したのは、日本ではおそらく、この著者が初めてではないだろうか?
本書はカラー図版が豊富で目にも楽しく、美しい装丁は愛蔵版と言った趣き。各々がそれほど長くない(←つまり読み易い)21章から成る本書は、巻末に「読書ガイド」も添えられていて、読者のさらなる好奇心にも応える構成となっている。
厳密には美術(史)書とは言えないのかもしれないが、こうした名画の楽しみ方があってもいいと思わせる良書だと思う。
各章のタイトルは、例えば以下の通りだ。
《3》食卓で手を洗う(←その習慣はいかにして始まったか?)
《4》英国中世 修道士の肉食(←修道士の食いっぷりと商才に驚く!)
《6》紀元前4世紀末 古代エトルリアの宴(←豊かでしゃれていた古代エトルリア)
《9》19世紀初頭 ロードメイヤーの宴席(←知られざるロンドン市長の権勢)
《10》17世紀中期 オランダ都市の食卓(←豊かなオランダの食卓の背景には…)
《14》アフタヌーンティーの誕生(←アフタヌーンティーのルーツとは?)
《21》19世紀 パリ 船遊びの昼食(←19世紀パリ風俗の最先端!)
【冒頭から、いきなり「ヘェーヘェーの連続】
第1章は「15世紀 フランスの王族の宴」。取り上げられた作品は《ベリー公のいとも豪華なる時祷書(1月)》ランブルール兄弟、1413-1489頃。
時祷書とは「祈祷文や賛歌、暦からなるキリスト教徒が使用する聖務日課書を指し、私的な物なので、各人が趣向を凝らして作成したらしい。中でも有力王侯貴族のひとりであったベリー公の時祷書は国際ゴシックの傑作でもあり、最も豪華な装飾写本として評価が高い」と言われている(ウィキペディアより)。
この章で著者は、この一葉に描かれた事物を事細かに解説し、それぞれが意味する文化的背景を活写している。
例えば、食卓脇で給仕している男性達は単なる「召使い」ではなく、ベリー公からの信頼が厚い「エリートの側近」であることを明快に解き明かす。
まずは、その見た目に着目。緑の服を着た男性の靴の踵から飛び出しているのは乗馬に必要な「拍車」。拍車は「騎士身分」の象徴だと言う。次いで彼らの行為に注目する。一見すると召使いの行為である「給仕」。身分の高い人物がなぜ「給仕」をするのか?これには少なくとも2つの理由があった。
ひとつには「毒殺対策」。当時、欧州各地の宮廷で毒殺の陰謀が跡を絶たなかった為、給仕は信頼できる側近にしか許されなかったと言う。宴席で料理を運ぶ銀盆"Salver"も、語源に"毒味をする"と言う意味を含むらしい(因みに韓国の食器が金属<銀?>製なのも、かつての毒殺対策の名残だとか)。
もうひとつは城の広大なホールを舞台に繰り広げられる芝居「宴の食事」の中で、「主役を演じるベリー公と賓客に対して給仕をする」と言う行為が、特別な訓練を要する厳しい食卓作法に則ったものであり、極度の緊張を強いられる大役であるということ。フランス語で「侍臣」と「刃」を意味する2語を組み合わせた役職名を与えられ、主家の紋章の刻まれた大中小のナイフを華麗に使い分け、宴のメインディッシュであるロースト肉を切り分ける彼ら。
「重要な政治」の場であり、キリストの「最後の晩餐」への憧憬をも意味した、こうした特別な宴で存在感を示した人物達が、それぞれの立場を暗示させる形で、この一葉には克明に描きこまれているのだ。しかし、それが一般の、非西欧文化圏の日本人には分かりづらい。それを軽やかな筆致で絵解きしてみせたのが、著者の真骨頂だろう。
また大道具、小道具に関する解説も興味深い。食卓で金色に輝く食器は果たして純金製なのか?テーブルの足の形やテーブルクロスが意味するところは?背景の豪華なタペストリーの意外な役割とは?
他にも当時の宗教観や季節感への言及等、著者の視野の広さに感心する。そして、先へ先へと読み進めたくなる面白さだ。
最後に敢えて難を言えば、細かい解説を読みながら、何度も章の表紙の図版を見返さなければならないこと(笑)。しかし、そんな面倒臭さを我慢しても、この本は一読の価値ありだと思う。とにかく著者の明快な絵解きに、胸がワクワクする。
ひとつの美術作品の誕生には、作家自身が目指した芸術表現の弛みない追求もさることながら、作家が生きた社会の政治体制、社会構造、経済状況、そして思潮が否応なく反映されているはずだ。
例えば、17世紀オランダにおける風俗画の流行は、後に「黄金時代」と称せられる当時のオランダの政治・宗教・経済状況がもたらした社会構造の変化に拠るところが大きい(→参考記事:『フェルメールとオランダ風俗画』)。
作品が生まれた時代背景に目を遣ることは、幾年月を経て今に伝わる作品を通して、その時代に思いを馳せると言うこと。
その意味で、英国骨董店の店主で、骨董銀器専門家の肩書きを持つ著者による本書は、大いに興味をそそられる内容だった。名画に描かれた食卓から、名画が描かれた時代の文化的背景に迫る。著者曰く、欧米では近年「食文化史」と言うジャンルが劇的に発達してるらしい。欧米の食文化史を、古代から近代までの名画を切り口に紹介したのは、日本ではおそらく、この著者が初めてではないだろうか?
本書はカラー図版が豊富で目にも楽しく、美しい装丁は愛蔵版と言った趣き。各々がそれほど長くない(←つまり読み易い)21章から成る本書は、巻末に「読書ガイド」も添えられていて、読者のさらなる好奇心にも応える構成となっている。
厳密には美術(史)書とは言えないのかもしれないが、こうした名画の楽しみ方があってもいいと思わせる良書だと思う。
各章のタイトルは、例えば以下の通りだ。
《3》食卓で手を洗う(←その習慣はいかにして始まったか?)
《4》英国中世 修道士の肉食(←修道士の食いっぷりと商才に驚く!)
《6》紀元前4世紀末 古代エトルリアの宴(←豊かでしゃれていた古代エトルリア)
《9》19世紀初頭 ロードメイヤーの宴席(←知られざるロンドン市長の権勢)
《10》17世紀中期 オランダ都市の食卓(←豊かなオランダの食卓の背景には…)
《14》アフタヌーンティーの誕生(←アフタヌーンティーのルーツとは?)
《21》19世紀 パリ 船遊びの昼食(←19世紀パリ風俗の最先端!)
【冒頭から、いきなり「ヘェーヘェーの連続】
第1章は「15世紀 フランスの王族の宴」。取り上げられた作品は《ベリー公のいとも豪華なる時祷書(1月)》ランブルール兄弟、1413-1489頃。
時祷書とは「祈祷文や賛歌、暦からなるキリスト教徒が使用する聖務日課書を指し、私的な物なので、各人が趣向を凝らして作成したらしい。中でも有力王侯貴族のひとりであったベリー公の時祷書は国際ゴシックの傑作でもあり、最も豪華な装飾写本として評価が高い」と言われている(ウィキペディアより)。
この章で著者は、この一葉に描かれた事物を事細かに解説し、それぞれが意味する文化的背景を活写している。
例えば、食卓脇で給仕している男性達は単なる「召使い」ではなく、ベリー公からの信頼が厚い「エリートの側近」であることを明快に解き明かす。
まずは、その見た目に着目。緑の服を着た男性の靴の踵から飛び出しているのは乗馬に必要な「拍車」。拍車は「騎士身分」の象徴だと言う。次いで彼らの行為に注目する。一見すると召使いの行為である「給仕」。身分の高い人物がなぜ「給仕」をするのか?これには少なくとも2つの理由があった。
ひとつには「毒殺対策」。当時、欧州各地の宮廷で毒殺の陰謀が跡を絶たなかった為、給仕は信頼できる側近にしか許されなかったと言う。宴席で料理を運ぶ銀盆"Salver"も、語源に"毒味をする"と言う意味を含むらしい(因みに韓国の食器が金属<銀?>製なのも、かつての毒殺対策の名残だとか)。
もうひとつは城の広大なホールを舞台に繰り広げられる芝居「宴の食事」の中で、「主役を演じるベリー公と賓客に対して給仕をする」と言う行為が、特別な訓練を要する厳しい食卓作法に則ったものであり、極度の緊張を強いられる大役であるということ。フランス語で「侍臣」と「刃」を意味する2語を組み合わせた役職名を与えられ、主家の紋章の刻まれた大中小のナイフを華麗に使い分け、宴のメインディッシュであるロースト肉を切り分ける彼ら。
「重要な政治」の場であり、キリストの「最後の晩餐」への憧憬をも意味した、こうした特別な宴で存在感を示した人物達が、それぞれの立場を暗示させる形で、この一葉には克明に描きこまれているのだ。しかし、それが一般の、非西欧文化圏の日本人には分かりづらい。それを軽やかな筆致で絵解きしてみせたのが、著者の真骨頂だろう。
また大道具、小道具に関する解説も興味深い。食卓で金色に輝く食器は果たして純金製なのか?テーブルの足の形やテーブルクロスが意味するところは?背景の豪華なタペストリーの意外な役割とは?
他にも当時の宗教観や季節感への言及等、著者の視野の広さに感心する。そして、先へ先へと読み進めたくなる面白さだ。
最後に敢えて難を言えば、細かい解説を読みながら、何度も章の表紙の図版を見返さなければならないこと(笑)。しかし、そんな面倒臭さを我慢しても、この本は一読の価値ありだと思う。とにかく著者の明快な絵解きに、胸がワクワクする。