はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

親子関係の在り方を考えてみる

2014年01月01日 | 家族のことつれづれ

夕闇に浮かび上がる富士のシルエットもまた美しい。肉眼で見るそれは、このぼやけた画像の何十倍、何百倍も美しいです。

「なにげに」という言葉がありす。

本来正しい日本語の用法とは言えないのですが、若い世代を中心に今や日常的に使われています。

私がこの言葉と初めて出会ったのは、2度目の大学に通った時でした。私の、それこそ半分くらいの年齢の同級生達との会話のそこかしこに登場したのです。

最初、何だろうと思いました。それまでの私の生活圏、言語環境で出逢ったことがなかったのです。

「なにげなく」ならわかる。用法としてはそれに近いようです。「なにげにスゴイね」意訳⇒そんな様子をみじんも見せないのに、実はスゴイんだね。⇒意外にスゴイんだね。

そもそも「なにげ」、同義語としての「さりげ」は”そのような様子”を意味します。だから、「なにげなく」なら、”そんな様子もないのに”で意味が通じるのです。

ところが、「なにげに」だと、”そのような様子で”ということになり、そのまま翻訳すると”見た通りスゴイね”になってしまう。

本来言いたいこととは真逆の表現になってしまう。にも関わらず、若者の間ではごく自然に「なにげなく」や「さりげなく」と同じ意味合いで使われている。私は最初聞いた時、かなりの違和感を覚えました。今も慣れたとは言い難い。私は使わないな、この表現。

PTAでお会いするお母さん方にも最近、「なにげに」という言葉を使われている方が少なからずいます。最初に親世代の口からその言葉を聞いた時には、正直耳を疑いました。本来、子供の言葉使い(文法的にも)を正すべき親が、子供の誤用を受け入れて、自分も使っているなんて、と。

私の頭が固いのか?私というより我が家では、息子が「なにげに」と言ったら、それは間違った使い方だよ、と容赦なく指摘しています。

最近、友達親子という親子関係の形が多いことも要因なのか、私には親が子に迎合しているように思えてならないのです。言葉使いに限らず、一時が万事そうなのではないかと。子供が制服の違反をしても注意しない。それどころか、改造費用を援助してあげる親もいるのだとか。

なにか間違っているのではないか?親と子の関係、お金の使い方、ルールに対する考え方。

我が家の方針は、親は親、子は子です。少なくとも親の庇護の下にいる間は、子供は親の決めた方針に従うこと。親は親として正すべき時は毅然として正し、その代わり、親としての全責任を負う。子供が困っている時には全力で手助けする。子供の心に寄り添うというのは、イコール子供に迎合することではないと思うのです。私の考え方は時代遅れなのでしょうか?

【参考までに】
同じような誤用としては「全然」もありますね。

本来「全然」の後には否定形がくるもの。

「全然面白くない」
「全然わからない」。

ところが、最近「全然オッケー」「全然イイよ」というように肯定的な表現で用いていたりします。これに関しては、辞書でも断り書きが添えられ、消極的に認めているフシが見られます。つまり、誤用の歴史?が長いのか。

言葉はナマモノなので、時代によって変化して行く運命にはあります。誤用が常態化し、ある程度のパーセンテージで多くの人に使用されるようになると、正式に認知されることはこれまでにもありました。

例えば、「一生懸命」これは元々は「一所懸命」、「独壇場」の読みは元々正しくは「どくせんじょう」。
しかし、今では「どくだんじょう」でもOKです。

今後近く認知されそうなのは、「十把一絡げ」「十戒」「舌鼓を打つ」など。

「十把」「十戒」の読みは、それぞれ「じっぱ」、「じっかい」です。しかし、意外にも多くの人が「じゅっぱ」や「じゅっかい」と読んでいるのでは?「舌鼓」も「したつづみ」なのに、テレビ番組でさえ、「したづつみ」と読んでいることがある。

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