もう結婚してから30年近いので、それはそのまま夫の母、つまり義理の母との付き合いの歳月にもなる。
義母とのこれまでの数えきれないほどの会話の中で最も感嘆するのは、これまでほぼ1度たりとも義母の口から人の悪口、陰口を聞いたことがないことだ。
例えば私が「同居する弟の嫁さんは家事を私の母に任せきりの一方で、母の入院時に一度も見舞いに行かないらしいのよ。」と不平を述べた際に、義母は「嫁姑で喧嘩しないだけ良いんじゃない。」と返した。
私の人間としての未熟ぶりを恥じた瞬間であった。
夫はこの人に育てられたのか。夫の誠実の源はこの人なのか。
そんな義母が唯一、人に対してキツイ一言を浴びせたのは定年を迎えた日の義父に対してであったらしい。
「今まで苦労をかけたな」とねぎらいの言葉をかけた義父に、義母は真顔で「はい、散々苦労しました」と応えたそうだ。
いつも穏やかで従順な義母からの意外な一撃に、義父は心底驚いたのではないかと想像する。
そんな驚きのエピソードを、台所で魚を焼きながら、ポロッと口にした義母。もちろん、意表を突かれた私も驚いた。
夫からは幼い日の実家での貧しい暮らしを何となく聞いてはいたので、義母の人並みならぬ苦労を私なりに想像はしていた。
しかし、普段、人を咎めるような発言を一切しない義母からの、積年の恨みを表明するかのような一言には、義母のそれまでの想像を絶する苦労が偲ばれた。よほどのことであったのだろう。
現在の義母は若い頃に罹った病の後遺症で肺の病気を患い、呼吸するのも苦しい状態だが、それでも老いた自分の体力のなさを嘆くことはあっても、人の悪口はけっして言わない。
寧ろ、近くに住み、細々と世話を焼いてくれる義弟の妻である義妹への感謝の言葉を欠かさない。
驚いたことに、夫がこれまで大病することなく健康でいられたことへの感謝を、妻である私にも述べる義母である(逆に夫を丈夫に産んでくれた義母に、私の方が感謝したいくらいである)。
その観音さまのような慈愛の深さには、いつも驚かされる。
そんな義母との会話を、これからも出来るだけ長く楽しみたいと心から思っている。
義母とのこれまでの数えきれないほどの会話の中で最も感嘆するのは、これまでほぼ1度たりとも義母の口から人の悪口、陰口を聞いたことがないことだ。
例えば私が「同居する弟の嫁さんは家事を私の母に任せきりの一方で、母の入院時に一度も見舞いに行かないらしいのよ。」と不平を述べた際に、義母は「嫁姑で喧嘩しないだけ良いんじゃない。」と返した。
私の人間としての未熟ぶりを恥じた瞬間であった。
夫はこの人に育てられたのか。夫の誠実の源はこの人なのか。
そんな義母が唯一、人に対してキツイ一言を浴びせたのは定年を迎えた日の義父に対してであったらしい。
「今まで苦労をかけたな」とねぎらいの言葉をかけた義父に、義母は真顔で「はい、散々苦労しました」と応えたそうだ。
いつも穏やかで従順な義母からの意外な一撃に、義父は心底驚いたのではないかと想像する。
そんな驚きのエピソードを、台所で魚を焼きながら、ポロッと口にした義母。もちろん、意表を突かれた私も驚いた。
夫からは幼い日の実家での貧しい暮らしを何となく聞いてはいたので、義母の人並みならぬ苦労を私なりに想像はしていた。
しかし、普段、人を咎めるような発言を一切しない義母からの、積年の恨みを表明するかのような一言には、義母のそれまでの想像を絶する苦労が偲ばれた。よほどのことであったのだろう。
現在の義母は若い頃に罹った病の後遺症で肺の病気を患い、呼吸するのも苦しい状態だが、それでも老いた自分の体力のなさを嘆くことはあっても、人の悪口はけっして言わない。
寧ろ、近くに住み、細々と世話を焼いてくれる義弟の妻である義妹への感謝の言葉を欠かさない。
驚いたことに、夫がこれまで大病することなく健康でいられたことへの感謝を、妻である私にも述べる義母である(逆に夫を丈夫に産んでくれた義母に、私の方が感謝したいくらいである)。
その観音さまのような慈愛の深さには、いつも驚かされる。
そんな義母との会話を、これからも出来るだけ長く楽しみたいと心から思っている。